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2022.08.05

芸術家が疎開したアートの街、藤野をめぐる / 連載「街中アート探訪記」Vol.9

Text / Shigeto Ohkita
Critic / Yutaka Tsukada

私たちの街にはアートがあふれている。駅の待ち合わせスポットとして、市役所の入り口に、パブリックアートと呼ばれる無料で誰もが見られる芸術作品が置かれている。
こうした作品を待ち合わせスポットにすることはあっても鑑賞したおぼえがない。美術館にある作品となんら違いはないはずなのに。一度正面から鑑賞して言葉にして味わってみたい。

米軍基地返還後、街のアイデンティティをアートに求めたファーレ立川を見た私達だが、今回は戦中に芸術家が疎開し、アートの街として有名になった藤野町にやってきた。東京都の高尾駅から2駅山梨側に行った神奈川県の街である。山あいの町のパブリックアートとはどのようなものなんだろうか?

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前回はレアンドロ・エルリッヒ『The cloud』を鑑賞しました。vol.8もぜひご覧ください。

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この雲は美術の歴史を固めたもの / 連載「街中アート探訪記」Vol.8

  • #大北栄人・塚田優

 

ラブレターがある街

《緑のラブレター》高橋政行 1989年

塚田:山にラブレターが見えますね。
大北:電車からすでに見えたんですよ。怖いですよね。
塚田:怖いですか。
大北:そもそも大きな観音像が見える街とかもなんか怖いんですよ。それがばかでかいラブレターなんですよ? これはもうただならぬ街ですよ。

《バッファロー》ジム・ドラン 1988年

 

芸術家たちが疎開してきた街

大北:駅前には観光案内所があるくらいですね。
塚田:あそこにあるの、作品じゃないですか。1番最初のやつですね。
大北:説明がある。昭和20年頃に芸術家たちが疎開で藤野に移住してきて、昭和の終わりから平成にかけてまたここで芸術が盛り上がったんですか?
塚田:そうです。というのは疎開してきた芸術家のことをみんな忘れちゃったんですよ。忘れていたところに疎開してきた方がここ藤野で作ったものが見つかって、1983年に遺作展をやったんですって。それが週刊誌に取り上げられて、ここが芸術の街だったことを思い出したんです、みんな。
大北:へ~、面白い。遺作が見つかったので町おこししているのは面白いですね。死んだおじいちゃん実は作家だったんだ、みたいなことかな~。

美術評論の塚田優(左)と演劇系コントの明日のアー主宰大北栄人(右)でめぐります

大北:駅前にシュタイナー学園の看板。シュタイナー教育ってやつですよね。そういう芸術的だったり、リベラルな人が多いのかな?
塚田:そうみたいですね。その辺のことはまた後で触れるとして、とりあえず彫刻を回ってみますかね。
大北:芸術の道というのがあって30作品くらい見て回れるようですね。
塚田:車でいくと全部見られるかもしれませんが今回は徒歩で。

塚田:このシーゲル堂という店の看板の周りに、西村繁男さんという絵本作家の人が描いた絵の看板があったみたいでそれを見たかったんですけど、ないですね。西村さんは絵本作家として実績のある方なので少し残念です。
大北:絵本作家も住んでるのか。あっ、八王子にある歯医者のきぬた歯科クリニックの看板がここにもありますね…!! 神奈川に入ってもまだ看板出してるのか!

 

地元に根ざしたアート

塚田:あれが日連大橋なんですかね。
大北:あった、ほんとだ。1つ目の岡本敦生さん。うむうむ、立派な。これだけ大きな石の作品を作るのは大変そうですね。硬いし重いし…。
塚田:あ、勝手にペットボトルが置かれちゃってるみたいですね。
大北:パブリックアート名物、作品の周りに意図せずに何かが置かれちゃってるやつですね。

《記憶容量-水より、台地より》岡本敦生 1991年

塚田:ここの芸術の道の特徴として、この前行ったファーレ立川よりかはマイナーな人が多いんですね。かつ、地元の作家も混ざってる。ファーレは世界的に有名な作家も多かったですけど、そう考えるとこの岡本敦夫さんは芸術の道の中では有名な方に入るような気がします。
大北:石であんなでっかいもの作るって大変ですよね。
塚田:岡本さんは自然からそのままの状態の石を切り出すことにこだわっていて、ファーレ立川のプロジェクトにも参加しています。
大北:あ、ファーレ立川にもあるんですか、岡本さんの作品が。
塚田:制覇(?)してる人もいるってことですね。

橋の両端に作品がある

《記憶容量-水より、台地より》岡本敦生 1991年

大北:説明がありますね。「自然にある石から…」ふむふむ。「作者の内面志向から出てる」ってもう書いてますね。説明であんまりここまで書いてくれないですから一般の人に向けて親切設計ですね。
大北:岡本さんもこちらの作家なんですかね。
塚田:そこまでちょっと調べてないですけど、確実に言えるのは、駅前から見えたラブレターの作品の作家さんがこの辺り在住だそうです。
大北:あの人か…。藤野はやっぱり変な街なんだな…。

 

作品の置かれ方で分かる街の事情

《両側の丘の斜面》三梨伸 1990年

大北:あっ、これは!?
塚田:ありますね。作品です。
大北:説明があることで急に安心しますね。「空間の緊張感」って書いてある。変わった宗教がここにあるのかなと思って緊張感すごかったですよ……。
塚田:確かに(笑)。ただ少し批判的な見方なんですが、藤野の野外彫刻は作品の置き方が見る人のことをそこまで考えられてない印象がありますね。見せ方が土木の発想の延長線上にある。
大北:カーブのところに土地の余白あるしなんか置いとくか、みたいなところですかね。

塚田:そうですね、さっきのも「あの橋のふもと置けるじゃん」って。町作りのモニュメント的なものだったり、置き場所が都市計画っぽいです。ファーレ立川には橋にタイルを埋めた作品あったじゃないですか、
大北:ありましたね。あれは橋を作る計画段階から入ってたんですよね。
塚田:あの素晴らしさが身に染みますよね。あれって開発の計画と同時にアートの構想もスタートしてるじゃないですか。タイルをバーコード状に配置すれば、橋の完成と同時にアートができるって。ここの作品はとりあえず道路とか橋作って空いたところにちょっとおこうか、みたいな発想の仕方ですから。作品を魅力的に見せるのって意外と難しいんだなってことを実感します。空いたところに置くのは普通の発想で、もちろん悪くはないんですけれども、ファーレ立川の場合は「あ、こんなところに…!」みたいな驚きがあったじゃないですか。車止めも全部彫刻作品だったり。置き方に工夫があったからこそ魅力的見えたんだなっていうのを実感しています。
大北:ふだんこういうものを見ていて置き方って全く考えたことないんですけど、比較してみるとたしかにちょっと面白い置き方ってありますね。

 

開発ができない街の事情

大北:芸術の道は坂多いですね…。
塚田:ニコニコ動画に「芸術動画」というアート系の番組があって、そこで伊藤允彦さんという土木が専門家が藤野のリサーチをされた際の、動画を今日のために見てきたんですけど、なんでこんなアップダウンが多いのかというと、伐採しちゃいけない森林が多いんですって。
大北:ああ、自然的な理由が。
塚田:たくさん雨が降っても川や湖が増水しないようにしてくれる機能が森にあって。藤野は水源涵養保安林という森林を伐採するのに許可が必要なゾーンがほとんどなんですって。だから造成して地面を平らにできない。大々的な開発がしづらいと。
大北:でかい駐車場のイオンとかできない。
塚田:でも彫刻だったらポンって置けるじゃないですか。この土地の制約の中で開発をいかにしていくかを考えたときに導き出されたやり方でもあるんじゃないかと伊藤さんは説明されてました。
大北:観光面で?
塚田:他にも街のアイデンティティをどう作るかとか。
大北:ファーレ立川のときもそういう話になりましたね。パブリックアートって街の顔になるところもありますよね。

大北:このARToVILLA、ステキな連載が並ぶなか、ずぶずぶの登山になってきました…
塚田:でもね、ちゃんとパンフレットもあるし、ちょっと文句っぽいこと言ってるけど、アートは大切にはされてますね。
大北:立て看板見るとクマも出るみたいですけどね。

塚田:藤野の歴史の話を進めますね。遺作が見つかり芸術家の街だったことを思い出す、そして相模川周辺の開発をする県の計画が80年代の後半に策定されます。ここで他の街は道路だとかハード面での町づくりが計画されたけど、ここだけは開発しづらいからか、遺作が見つかって取り上げられてたことに着目して、じゃあ、彫刻とか置こうかと予算が降りたんです。
大北:「他は道路だけどお前は芸術な」ですね。山だからこそ開発できなくて芸術になったのけっこう変な事態ですね。
塚田:でもそれは県の計画なんで億単位の予算があったみたいです。それで作品を買ったり、今でいうアートフェスティバルみたいなことをやったりとか。アーティストを呼んで作品を作ってもらったりコンサートとかシンポジウムをやったりしていました。80年代後半から90年前半にかけては、万単位の観光客がちゃんと来てそこそこ成功したと。言ってみればここはバブル期のものなんですよね。
大北:そこから30年か~、
塚田:アートフェスみたいなのが盛り上がってくるのって21世紀に入ってからなのでそういった意味ではすごく先駆的な取り組みであることは間違いはないと。はあはあ…。
大北:山を登りながら歴史を語るのは大変であることがよく伝わりますよ。

 

30年前のアートが残る街

大北:今バブルから30年か~って言いながら歩いてますけど、ここから先はもう町おこしとかみんなすることもなくなって、その年数がどんどん増えていくだけなのかもしれないですね。
塚田:でも戦中、画家が疎開していたことが忘れられてた時期があったって言いますけど、彫刻の場合はずっとありますからね。彫刻は忘れられることはないだろうと。後で改めて話題にしたいと思いますが、また違った形で藤野の文化へのこだわりは継承されてるんです。
大北:そういう意味でもアートで街のアイデンティティ作るのは強く残りやすいのか。

塚田:昔は藤野町という地方の自治体だったんですがいわゆる平成の大合併、あれで相模原市に吸収合併されたわけですね。合併から5周年を記念して、あのラブレターの中身が開いたことがあったそうです。
大北:あれ実際に手紙の形状してるってことなんですか??
塚田:そう。封筒の折られた部分あるじゃないですか、封筒の上の部分の逆三角形になってるところがパカって開いたみたいです。
大北:開く!? 一体どういう執念なんだ…! 聞けば聞くほど恐ろしいですよ、ぼくは。

《過去からのひびき(エコー)》アロイズ・ラング 1988年

 

遺作を掘り起こすような体験

塚田:ああ、ありました、作品です!
大北:ようやく!! これ、作品の前にどうやっていくんだってところにありますね!
塚田:ちょっと出会うまでが大変すぎて……すごくいろんな感情が巻き起こります。
大北:山の上に水があったらめっちゃ美味しく感じられるでしょうけど、芸術作品はわりと「それどころじゃない」って感じしますね……。

塚田:この落ちてるのもしかして説明かな? ああ、そうだ。ここに貼ってあったんですね。
大北:本当に埋もれたところから情報が出てきましたね。昭和終わりの藤野町のように遺作を発見する感じがある。
塚田:そもそも作品にはそう簡単に出会えてたまるかって思うんですよ。
大北:そうですね…真夏にこれだけ山登って、忘れられない作品になりました…。
塚田:この方、当時日連にアトリエを構えていた人なんですね。この人も実際住んでた系の人ですね。この作品もそうですけど、自然をモチーフにした作品が多い。
大北:これも真ん中が変わった形で切り株みたいに見えるしな~。
塚田:さっき80年代後半にシンポジウムとかが開かれてたって話をしたじゃないですか。それもエコロジーをテーマにしてたり。90年代ってそういう意識が高まってきた時代じゃないですか。そういった意味では、すごく先進的な取り組みをしてたということの現れなのかなと思います。
大北:そこから30年か……アートと街の歴史をたどっていくのおもしろいですね。作品は彫刻で残るけど、情報が朽ち果てて地面に埋もれているのとか象徴的でした。こうやってまた歴史が繰り返すんだな~。

DOORS

大北栄人

ユーモアの舞台"明日のアー"主宰 / ライター

デイリーポータルZをはじめおもしろ系記事を書くライターとして活動し、2015年よりコントの舞台明日のアーを主宰する。団体名の「明日の」は現在はパブリックアートでもある『明日の神話』から。監督した映像作品でしたまちコメディ大賞2017グランプリを受賞。塚田とはパブリックアートをめぐる記事で知り合う。

DOORS

塚田優

評論家

評論家。1988年生まれ。アニメーション、イラストレーション、美術の領域を中心に執筆活動等を行う。共著に『グラフィックデザイン・ブックガイド 文字・イメージ・思考の探究のために』(グラフィック社、2022)など。 写真 / 若林亮二

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