• ARTICLES
  • がんばりたいし、がんばるね。ピザ食べたり、昼寝しながら。〜THE MIRROR & Cafe Cotton Club 高田馬場〜 / 連載「小原晩の“午後のアート、ちいさなうたげ”」Vol.2

SERIES

2024.10.16

がんばりたいし、がんばるね。ピザ食べたり、昼寝しながら。〜THE MIRROR & Cafe Cotton Club 高田馬場〜 / 連載「小原晩の“午後のアート、ちいさなうたげ”」Vol.2

Text / Ban Obara
Photo / Tomohiro Takeshita
Edit / Yume Nomura, Maki Takenaka(me and you)

『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』などの著作で知られている小原晩さんが、気になるギャラリーを訪れた後に、近所のお店へひとりで飲みに出かける連載、「小原晩の“午後のアート、ちいさなうたげ”」。「アートに詳しいわけではないけれど、これからもっと知っていきたい」という小原晩さん。肩肘はらず、自分自身のまま、生活の一部としてアートと付き合ってみる楽しみ方を、自身の言葉で綴っていただきます。

第2回目は、早稲田・THE MIRRORで開催していたラム・カツィールの個展「がんばって」を観たあと、学生街にある「Cafe Cotton Club 高田馬場」へ。ピザを食べたり畳で昼寝したりした、ある午後のこと。

 九月中旬であるのに気温は三十度を超えて、残暑なんてなまやさしいものでもなかったから、迷わず半袖を着た。夏のような写真になっているけれど暦の上では秋である。芸術の秋、読書の秋、食い意地の秋である。

 そんなお天気のなか、西早稲田駅より歩いて4分のところにある「THE MIRROR」へやって来た。

 階段を登り、玄関を開け、土間にあがって靴をぬぐ。「おじゃまします」と言いたくなるし、記憶のなかでは言っている。ここは、つまりはおうちなのである。二階建ての一軒家である。

SERIES

いま注目の「民藝」って?

いま注目の「民藝」って?

SERIES

高円寺で世界の民藝を楽しむ! / 連載「和田彩花のHow to become the DOORS Season2 もっと知りたいアート!」Vol.5

  • #和田彩花 #連載

松川ボックス

 オーナーである松川氏が宮脇檀に設計を依頼した住宅で、A棟のみ建築学会賞を受賞しています。A棟は1971年、B棟は1978年、D棟は1991年に竣工しました。住宅として建てられ、B棟とD棟は現在も住として使用されています。A棟向かいには離れのお茶室があり、その跡地にD棟が賃貸用に作られました。A棟は30年前から賃貸物件として貸し出していて、現在の赤い塀はその際に作られました。

建物は、カーペットを一度張り替えていること、台所の流し台を変えていること、襖や障子の張り替え等のメンテナンス以外はオリジナルです。

――THE MIRRORパンフレットより

 つまるところ、この賃貸物件として貸し出されているA棟こそが「THE MIRROR」なのである。気持ちのいい家である。波打つ天井の窓から光が降り注いでくる。水面みたいにゆるやかにうつらうつらと光が反射しているものだから、しばらく見惚れていたら目がやられた。見えている景色の真ん中が真っ黒に焦げたまま、この場所や、今回の展示のことをスタッフさんがお話ししてくれる。

 この場所のオーナーである松川さんは、ご夫婦と娘さんの3人家族。ここには暮らしがあったのだ。他人の暮らしていたところ、もっと正確にいえば家族の暮らしのあったところにいるのは、小さい頃、学校からの帰り道に友達の家に寄ったときぶりではないだろうか。あの変な感じ、友達んちの暮らし、それから見つめる自分んちの暮らし。こんなおうちに住んでいる友達がいたら、あの頃の私はどう思っただろう。今の私は、こう思っている。あこがれちゃう。
 「民藝」のコレクターでもあった松川さんのコレクションのひとつである芹沢銈介の「花」という版画から、この家の色は着想を得たらしい。外は紅、和室は青、台所のあたりは黄色、床はグレー。うつくしく、調和のとれた、おだやかで、しかしどこかユーモアを感じる配色である。2階は寝室で、1階の和室ではお手伝いの方が寝泊まりしていたらしい。

 開催されていたのはラム・カツィールの個展「がんばって」である。
 がんばって、という言葉には温かみとむなしさの両方があって、どうか報われてほしいという純粋な願いが込められることもあれば、きっと報われないだろうけど、と思っていることに無意識的かつ前向きなほうがいつも正しいと思っているひとが使うこともある。いちばん使われる頻度が多いのは、相手になんの関心もないときのような気さえする。なんだかいじわるなことを言ってしまっただろうか。でも、そういう言葉だと思うのだ。気分の問題かもしれないけれど。

     本展覧会は鑑賞者に人生の美しさと複雑さを体験していただくことを目指しています。物事は変化していくこと、時間は過ぎ去っていくものだということを思い起こし内省する機会をなることを願っています。
「人は変わらない。ただ単に「自分」になっていくだけだ。この考えは私が昔にノートに書きつけたものでこの展覧会の3つの作品にはその考えが貫かれている。『乳歯』と「がんばって』の新編集バージョンとの間に20年の時間が流れたが、私自身はいまだに「子供」だと思っている。」

ラム・カツィール

――ラム・カツィールによる作品解説より

 展覧会のタイトルになった《がんばって》は、映像作品である。床に置いてある液晶の前に腰掛け、ヘッドフォンをして観る。
 学帽をかぶり、めがねをかけた小さな男の子が教室の床を雑巾で磨いている(それも同じ場所をしつこく)のだけれど、その男の子がいつのまに老人になる。簡単にいってしまうとそういう内容のムービーなのだけれど、たとえば生活というのはこういうことであるような気がした。

RamKatzir,Ganbatte,2024,Videoinstallation ©StudioRamKatzir

 床を磨く男の子の仕草はつたない。どこか体のおさまりがわるくて、じっとしているのがむずかしくて、膝をつき、足首同士を組んでいたりする。手元の様子も、いったいそれは磨けているのか磨けていないのか心配になるような心許ない感じがする。やらされてるという雰囲気すらある。けれど姿が老人に変わると、どしっとして、磨く様子にも熟練が感じられる。ここを、こうだ。という意思を感じる。たとえば、歯磨き、靴紐結び、髪を洗うこと、体を拭くこと、洗濯物を干すこと、畳むこと、買い出しに行くこと、料理をすること。日々、生きるために繰り返されることも、はじめは誰かに教わって、やらされて、やりつづけ、自分のやり方をみつけて、みつけた頃には年老いて、口うるさくなって、そしてまた誰かに教える。そういうことに意味はあるのか。

 この作品に《がんばって》とつけたラムさんがどういう思いだったのかはわからないけれど、たしかに、この映像のなかで床を磨く小さな男の子にも、この老いた男性にも「がんばって」と声をかけたくなる。でもそれは、報われるか報われないかという話ではなくて、関心がないわけでもなくて、生きることのとるにたらなさ、それ自体を肯定したいという思いからであるような気がする。人間生活の象徴のように彼らは床を磨きつづけている、そういうふうに見えた。

RamKatzir,Milk teeth,2004,Carrara Marble©StudioRamKatzir

 それから《乳歯》。放課後になって教室掃除をするときに、一旦机を前に出したり、後ろに下げたりするとき、こうして椅子を机にのせていたことを思い出す。大理石でできているらしいのだけれど、持ちあげたらとんでもなく重いだろうか。触ったら冷たいだろうか。今日なんかはひんやりと気持ちいいかな。触れられないときこそ想像はめぐるものだなと思う。でも大理石はどちらかというとあたたかそうな石であるような気もする。生きものだった、という雰囲気がある。

《乳歯》

(中略)椅子を机の上に載せて帰る行為は放課後に教室の掃除をしやすくするためで人生の初めに行う他の人を利する行為なのです。それは幼いときの純粋な行為を象徴しています。またそこに亡霊のように残された凍ったかのような机と椅子は私たちが歳を重ねることで起きる不可逆的な変化を示しています。

――ラム・カツィールによる作品解説より

 人生の初めに行う他の人のためにする行為、純粋な行為、亡霊のよう、凍ったかのよう、もう戻ることのできない変化。耳馴染みのない言葉を頭の中で言い換えつつ、作品の雰囲気について言及していそうな言葉を拾い上げる。なんとなく、ラムさんの言いたいことがわかったような気になる。

RamKatzir,Onirico,2023,Bronze ©StudioRamKatzir

 さらに、畳の部屋へと入っていく。
 雲に頭をつっこんだ3人組の立ち話? ひと目見てそう思った。

オニリコ(夢)

     二つの色が混ざると新しい色が生まれます。そのように数人の人が集まると新しい空間が生まれます。しかしそれは単に足し算で生まれる空間よりも広い空間です。本作品は人々が雲の中に頭を埋めた出会いを現したもので、人々の関係と変化していく役割について考えさせる作品です。

     大量のデータをストックするデジタルクラウドに支配されている現代、本作品はフィジカルなクラウドが未来に向けて記憶をストックすることを表しています。

――ラム・カツィールによる作品解説より

 腕を組むひと、ジャケットをきているひと、すこしもったりとしたゆるやかな線をもつひと。それぞれ立ち方が違ったりする。腕を組むひとのお尻の片方には四角いふくらみがあって、私はそれを知っている。文庫本である。いや、他のものかもしれないけれど。私もデニムのポケットによく文庫本を入れている。ほぼ毎日入れている。そして今日も入れている。この腕を組んでいるひととは話が合うかもしれない。もしくは、このひとが私だとして、あとのふたりとは何を話そう。

 それから寝室だったという2階を見せてもらって、松川さんの暮らしを想像する。なんというか、2階から1階でくつろいでいる家族に喋りかけたくなる家である。

 「THE MIRROR」は読書、おしゃべり、お昼寝大歓迎という、友達んちよりふところのふかいギャラリーであるので、畳で一旦横にならせてもらってから、満足して、ギャラリーをあとにする。おじゃましました。


 かんかん照りのなかを10分ほど歩いて、Cafe Cotton Clubへやってきた。1984年創業の歴史あるアメリカンスタイルのカフェである。もともと地下階にあったカフェは2004年に1階、2階に増改装、2014年には3階に増築をすすめ、今のかたちになったということである。

 大きくて広々としたカフェである。せっかくなので2階のテラス席に座ることにした。ほんとうに今日はよく晴れている。喉が渇いて、迷わずビールを頼み、飲み干すような勢いで飲む。やはり、まだ夏だ。昼間のビールがこんなに染みるもの。

 ランチメニューにはパスタやらピザやらあって、悩んで悩んで、マルゲリータを注文する。一枚まるまる私の、私ひとりだけの、ピザである。先にやってきたランチセットのサラダをつまみながら、ビールを飲みすすめる。木のお皿にのったマルゲリータが目の前にやってきたときの、肩が上がるようなよろこび。耳までおいしいというのが見るからにわかるピザはうれしい。熱いうちに、熱いうちにと口へ運ぶ。トマトの柔らかい甘み、バジルのバジルらしさ、モッツァレラチーズの自由な振る舞い、そしてやっぱり耳までおいしいこのすばらしいマルゲリータである。熱々なので、熱を逃すため、鼻から熱のこもった息がふんふんとでる。お構いなしにどんどんと食べる。ピザは冷めないほうがいい。腹は満ち満ちて、一枚まるごと食べおわる。ビールもすっかり飲み終わる。するとデザートがやってきて、つめたいものですっきりと終わる。まだまだ日が暮れる様子はない。家に帰って、青空を横目に昼寝でもしよう。畳の部屋で横になったときから、ずっとそうしたかったんだ。

本日のアート
THE MIRROR

Ram Katzir_omote

ラム・カツィール「がんばって」

◼会期 : 2024年9月11日(水)〜 10月5日(土) ※会期終了


◼住所 : 東京都新宿区西早稲田2-14-15 松川ボックスA
◼休館日 :日曜日、月曜日
◼入館料 : 無料
Instagramはこちら

本日の宴
Cafe Cotton Club 高田馬場

◼住所 : 東京都新宿区高田馬場1-17-14
◼電話 :03-3207-3369
◼店休日 :なし
◼営業時間 :11:30~翌2:00(日曜日・月曜日は23:00まで、金曜日は翌04:30まで) ※全日15:00までランチタイム
公式サイトはこちら

Information

2022年に自費出版した『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』が、新たに実業之日本社から商業出版されます。
私家版の23篇にくわえ、新たに17篇のエッセイが書き足されています。

information_obaraban.JPG

『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』
著:小原晩
実業之日本社
2024年11月14日発売
価格:1,760円(税込)

utage_02_100

 

 

 

 

 

 

 

 

 

DOORS

小原晩

作家

1996年、東京生まれ。作家。2022年3月、自費出版にて『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』を刊行。2023年9月、『これが生活なのかしらん』を大和書房より出版。

新着記事 New articles

more

アートを楽しむ視点を増やす。
記事・イベント情報をお届け!

友だち追加