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REPORT
2024.07.31
スイスの渓谷に埋め込まれた名建築。ピーター・ズントー設計のスパリゾートへ
「光と重力の魔術師」と呼ばれるスイスの建築家、ピーター・ズントー。彼の最高傑作と言われるスパリゾート「テルメ・ヴァルス」は、チューリッヒから約2時間半電車とバスを乗り継いだ先に待っている天国のような空間。アート、建築、温泉、サウナすべてを愛するライター/編集者の肥髙茉実が、学生時代から憧れ続けたズントー建築での宿泊体験をレポートする。
「光と重力の魔術師」ピーター・ズントーの
傑作は、心身をほぐすスパリゾート
夏のはじまり。ミラノのアートや建築、そしてヴェネチア・ビエンナーレをまわる予定があり、せっかくなのでその前に近隣のスイスにも足を伸ばしてみることにした。
スイスでの目的地は、世界的建築家 ピーター・ズントーの最高傑作である通称「テルメ・ヴァルス」(Therme Vals、現在の正式名称は7132 Therme)。石と水の里として知られるヴァルスの豊かな自然を活かしたスパリゾートで、チューリッヒから列車とバスを乗り継いで約2時間半という辺鄙な地にありながらも、世界中の人々がはるばる足を運ぶ名建築だ。
チューリッヒ中央駅(Zürich HB)のスーパーマーケットでビールやチーズ、フルーツなどを買い込み、約2時間半鉄道やバスに揺られながら、アルプス山脈を越えた先にあるヴァルス(Vals)まで向かう。ヨーロッパの列車は、食事車両以外も席が広くWi-Fi完備で、乗客は自由に食事や仕事をしているので移動も楽しい。長い道のりを億劫に感じていたものの、実際は車内も静かで、車窓から見える景色もみるみる自然豊かになり、視界を遮るものがなくなっていくので気持ちよい時間だった。
車窓からの景色。ヴァルスの駅からはバスに乗り継いでテルメ・ヴァルスまで向かう。穏やかな時間から一転、車体がギリギリ通れるほどの崖の多い山道をかなりのスピードでぐんぐん登っていくので、ここ数年で一番スリリングな体験だった
建築自体も、石を切り出すように引き算で空間の奥行きをつくりだしている
地元の岩を6万枚以上にスライスし、
積み重ねることで生み出された重厚感
テルメ・ヴァルスは、青々とした渓谷の斜面に埋め込まれたように立っている。石の積層を感じさせる外壁、建物に続く階段から小道、スパの中まで、ヴァルスの石切場で採れた片麻岩をスライスし、その6万枚以上を積み重ねるようにして形作ったというから驚きだ。
この幾何学的な建築は、村の人気のなさと澄んだ空気、あたりに生い茂る草花の中で、まるでサナトリウムのような異彩を放っている。建物の中も、どことなく謎めいた神殿のような陰翳礼讃の世界。地下にあるスパは、暗くて長い廊下とスロープを抜けた先にあり、正方形の広々とした温泉を中心に、大きさや温度もさまざまな温泉がパズルのように配置され、ぼんやり照らされている。建築自体も、石を直接切り出すような引き算的に空間の奥行きをつくりだす設計が印象的で、どこからも空間全体を見渡すことはできない。
上から露天を見下ろすと、文字通り谷の斜面に埋まっていることがよくわかる
早朝は朝日を浴びながらのスイミング、
深夜は音楽鑑賞。時間ごとに表情が変わる
印象に残っているのは、テルメ・ヴァルス全体にじっくりと広がる静かで重厚な音の反響だ。音の反響が大きく、残響時間も長く、聴覚を通じて石の層によってなす無限の重力を感じるほど。音楽をこよなく愛するというズントーが、視覚のみならず反響音でも無限の重力を表現しているように感じる。
その空間を活かしてなのか、深夜帯はテルメ・ヴァルスの中でプロの音楽家による演奏が行われることもあるようだ。そのタイミングに合わせてここを訪れる人も多いようで、今回体験できなかったことが惜しい……。
光と水と石の何百年にもわたる
対話に耳を澄ませるひととき
肝心の温泉は、日本の42度の温泉に慣れている私にとって、テルメ・ヴァルスのほとんどは30度台のぬる湯で、何時間でものぼせずに入っていられる温度。名物の露天は特にお湯がぬるくて柔らかく、広々としているのでプールのように泳ぐのも楽しい。
浴場は6つに分かれており、ぬる湯を中心にしながらも14°Cの水風呂から熱めの42°Cまで、そしてカモミールの湯の用意もある。初夏とはいえ夕方から夜にかけては冷えるので、屋内に一つだけある42°Cの温泉や、サウナ、水風呂を楽しむのがおすすめだ。少し疲れたらサマーベッドに寝転がり、読書をしたり目の前に広がる雄大な景色を眺めたり、思い思いに自分の時間を楽しむ絶好の環境になっている(スパではプライベート空間に没入できるよう、携帯やカメラの持ち込みと撮影禁止が徹底されている)。
今回宿泊した「7132 Hotel」のエントランスは、併設のテルメ・ヴァルスとは異なり、曲線的で斬新なデザイン。ロビーには、ヨーゼフ・ボイスやジャコメッティの作品も
「7132 Hotel」は、テルメ・ヴァルスはもちろん、マウンテンビューのバルコニーがついた客室も魅力。隣接するもう一つのホテル「7132 House of Architects」も、ズントー以外に、安藤忠雄と隈研吾、トム・メイヌといった名だたる建築家たちが客室を手がけており人気が高いとのこと
快晴の中、早朝からカメラを持って周辺を散歩し、朝食も満喫してから再びテルメ・ヴァルスへ。朝日の中の露天がおすすめ。酪農が盛んなだけあって、やはりヨーグルトやチーズ、バターなどの乳製品がとてもおいしい
情報から離れて心身を癒やし、五感を研ぎ澄ます中で、光と水と石の何百万年にもわたる対話を想像させるような重厚な建築。「光と重力の魔術師」として唯一無二の建築を追求し続けてきたズントーの力量を、ありありと感じられた体験だった。
ズントーの建築は、ヴァルスの少し手前に、スンヴィッツの「聖ベネディクト教会」や、クールの「ビュントナー美術館」なども。またスイスでは毎年6月に世界最大級の現代アートフェアであるアート・バーゼルが開催され、隣のイタリアでは、タイミングが合えば同時期にミラノ・コレクションやヴェネチア・ビエンナーレも見てまわることができる。
DOORS
肥髙茉実
ライター/編集者
2018年多摩美術大学美術学部絵画学科油画専攻卒業、卒業制作優秀作品賞受賞。社会課題への関心をもとにリサーチを行い、音や平面作品、言葉を組み合わせたインスタレーションなどを制作する。18年4月よりリサーチの一環として、広告や雑誌・書籍、テレビなど、領域横断的な言葉の仕事を開始。ウェブ版『美術手帖』をはじめ、『tattva』『BRUTUS』『i-D』などのカルチャーメディアを中心に企画と執筆を行う。主な展覧会に 2020年「静謐な光、游泳のかたち」(Sta.)。
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