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2026.02.25

ダニエル・ビュレンの世界で最も無難なストライプをお台場で観る / 連載「街中アート探訪記」Vol.49

Text / Shigeto Ohkita
Critic / Yutaka Tsukada

私たちの街にはアートがあふれている。駅の待ち合わせスポットとして、市役所の入り口に、パブリックアートと呼ばれる無料で誰もが観られる芸術作品が置かれている。
こうした作品を待ち合わせスポットにすることはあっても鑑賞したおぼえがない。美術館にある作品となんら違いはないはずなのに。一度正面から鑑賞して言葉にして味わってみたい。
今回訪れたのはお台場海浜公園駅にあるダニエル・ビュレンの作品である。一見、あたりさわりのないよくある装飾だが、そこには美術の歴史の行き詰まりとも言える背景があった。

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  • #大北栄人・塚田優 #連載

ダニエル・ビュレン『25 PORTICOS』1996年 @お台場海浜公園

このストライプは飾りではない

塚田:だいぶ前に三島喜美代のゴミ箱を見に行きましたけどお台場や天王洲にはいくつか作品がありますよね。
大北:お台場はさすが洒落たものがあるなとは思ったんですけど……これが作品だったんですね。いや、いきなりこんなネガティブな発言はよくないですね。
塚田:いやいや(笑)、でもそこは結構悪くない着眼点ですよ。このダニエル・ビュレンっていうフランスの作家は、ほぼ全部こういったストライプで作品を作ってるんですが、なんでかというと「ストライプ自体には意味がないものだからいいんだ」っていうふうに言ってるんですよ。
大北:ええ!?意味がない!?ラディカルですね!
塚田:なので大北さんの第一印象として「これが作品なの?」という受け取り方も入口としては正しいから、もしかしたら作家本人も喜ぶんじゃないですかね。
大北:うそでしょ。作者の手のひらの上で転がされてましたね。
塚田:ビュレンがなんでストライプにしたかって話は結構面白くって。このストライプの幅がいつも8.7センチメートルの幅なんですよ。

大北:幅が決まってるのはディック・ブルーナ(※ミッフィーなどで知られるGデザイナー)の色みたいな話?
塚田:ブルーナも色数を厳しく制限していることで知られていますよね。ビュレンがストライプを使い始めたのは1960年代中盤です。その頃のビュレンは、絵に何を描いても「美しい絵」になってしまうっていうことにジレンマを感じていたんです。
つまり、表面に何かが描かれてしまうと、それで「絵として完成してしまう」。そうじゃない絵のあり方は何かないのかと考えていたビュレンは、あるときストライプの布を買います。「ストライプだったら意味がなくていいんじゃないか」ということで、そこからストライプの絵画を作り始めるんです。
大北:すごいな!ストライプ布作った人がめっちゃ怒りそうな話だ。
塚田:そのストライプが、8.7センチの幅だったから、50年以上ずっと8.7センチのストライプで作品を作っているっていうおじいちゃんです。
大北:人間の一生っていうのは、何があるのかわかんないですよね。たまたま買った柄と一生付き合っていくのか…!

塚田:だからその本人も「別にストライプじゃなくてもいいんだよね」って言ってるんですよ。思いのほかバリエーションが効いて色々試せるからやってるだけであって。「明日にも別の作品を作るかもしれない」という発言もあります。
ストライプさえ守れば別に8.7センチじゃなくてもいいんじゃないかと一瞬思いますが、幅を決めることでその他の要素とどう響き合っているかがわかるので、実験としてやりやすい。もちろん自身の原体験を大切にしているという部分もあるでしょうが。ただこの情報を知ってると「今回の8.7センチはどうかな?作品にふさわしいかな?」というとっかかりにもなるので、鑑賞者目線からも案外いいかもしれませんね。
大北:あー、すごい。8.7センチと並走する人生か。8.6秒バズーカという芸人の『ラッスンゴレライ』思い出しますね。あれこそ本当に意味がないものを目指した言葉でしょうけど、陰謀論めいた意味付けを勝手にされて炎上したんですよね。
塚田:なるほど。「意味がない」っていうことを作るのが難しい時代だからこそ、そこを出発点としているビュレンの作品は逆に現代性を持ってるのかもしれませんね。
大北:後ろのスーパーの看板にもストライプがありますけど、「あたりさわりのなさ」というか「平たさ」みたいなものがありますよね。
塚田:目にも留めないっていうかね。
大北:そうですよね。「よくある」超えて「ありすぎる」というような。それをもう「意味がない」というレベルで扱えるのはすごい視点だな~。

シンプルだからこそアイデアが生きる

大北:プレートがある。ここからスタートなんですね。
塚田:ビュレンはこういった空間を使った作品が多いですが、始まりとか終わりとかは人それぞれでいいってスタンスではありますけどね。
大北:25本ありそうですがポルティコスって読むのかな。
塚田:玄関の雨除け、庇(ひさし)みたいなのあるじゃないですか。そういう意味らしいです。キャプションには「work in situ」とありますね。「situ(サイチュ)」ってラテン語で「その場所に、現場で」っていう感じの意味なんですけど、「この場所で作りました」ってことですかね。
大北:ライトがそれぞれにありますね。夜も光るんだ。意味のなさが。
塚田:中から見ても面白いですよ。門の中に門があるみたいに見えて。ビュレンはこういう入れ子状の関係を結構好むんですね。
大北:意味なしストライプを前にして言っていいのかと思いますが、我々は人生において、こういうゲートをくぐるなあと。それも入れ子状の何かですよね。東大を出たから一流企業に入ってとか……。
塚田:ある種の生きることのメタファーみたいにも思えてきますよね。学校や会社など、僕たちはどこかに入って、どこかを出ての繰り返しですからね。そういう結び付け方も面白いかもしれません。
大北:つい感じとってしまうなあ。

塚田:終点に鏡があるから行き止まりなのに奥に続いてるようにも見えますね。でも映っているのは、僕たちが通ってきた道でしかない。
大北:二つの見え方があると作品もより豊かになりますね。これを門として捉えると、中を通ってる感覚になるし、一本の道のように感じる。
塚田:しばらく鏡を見た後振り返ると、ストライプの色も違うしパラレルワールドに来たような感じがしますね。
大北:道っていうのは考えてみれば行きと帰りがあるし、それが視覚化されてるなあ。
塚田:ビュレンの作品はこういう不思議な感覚を見る人に与えるんです。愛知県の豊田市美術館に常設展示されている『3つの破裂した小屋』という作品はもっと面白い効果があるんですよ。小屋と鏡をうまく組み合わせて「色が浮かんで見える」という体験を実現させてるんですね。
大北:ビュレンさんはアイデアを効かせてくるんですね。
塚田:シンプルな「ストライプ」っていう仕掛けだけで、視覚的にどう新しいことができるのかっていうことをずっと実験し続けています。

空間を平面でとらえるビュレンの作家性

塚田:鑑賞者の移動などによる「見え方の変化」が鑑賞のポイントですよっていう話は国立新美術館で、玉山拓郎さんの作品を取り上げた時にも言いましたよね。
大北:同じようなものが2つあって、歩きながらもうひとつの作品に向かってくと建築と関係していることがなんとなく分かってきて、感じ方が変わってきましたよね。
塚田:そうです。同じ要素の反復っていうところも似てる。でもちょっと発想が違うんですね。玉山さんの作品は、国立新美術館の建築物の形を一部借りてきて、建築作品を拡張するみたいな意図があったんですけれど、ビュレンはストライプ、平面的なものですね。なので形態的な感覚じゃなくて視覚的な感覚なんです。
大北:ここにあるのは立体だけども。

塚田:鏡をよく使うのも、そういうところ関係がありそうです。鏡は視覚に働きかけて、対象を分裂させたり体験を変えたりする装置として非常に面白いから。ビュレンは他の作品だと、ポスターや広告とかが雑多に貼られている壁に、自分のこのストライプをバーンって上から貼ったりしてるんですよ。
大北:おっ、そういうやり方ってありますね。すでにあるものに自分のタグだったり、シグネチャ(署名)を付けるような。
塚田:そうですね、グラフティの場合は自分の存在証明としてそんなことしますけど。ビュレンの場合は特に署名と言えるものは…ただ8.7センチのストライプの幅だけなんで。これを知ってる人であればわかると思うんですけど。
大北:この8.7センチ…ビュレンだ!と。怪盗みたいな感じあるな。
塚田:その作品は雑多にポスター貼られてる壁の中で、ビュレンのストライプがバーンって貼られて「ここ壁だったんだ」っていうことを逆説的に浮かび上がらせるみたいな効果があったんです。都市空間って、イメージの空間でもあるじゃないですか。広告がたくさんあったり、看板とか案内板とか。

大北:おっ、そういう話題はムホー作品でも出てきましたね。日本は広告だらけでショックを受けたと。
塚田:イメージは色々ある中で、そこに一つ風穴を開けるようなことをしているのではと。
大北:う~む、「意味ある、意味ある」っていう場の中にストライプの「意味なし」がポンって出たときに、「お、なんか異物が出てきたぞ」とみんなが騒ぎ出す。そのことによって、いかに我々が「意味あり空間」に暮らしてるかが感じられるみたいなとこですか。
塚田:そうですね。ストライプというそれ自体では意味のないものを環境にポンと提示して、そこから様々な意味を立ち上げていくのがビュレンの作家性ですね。
大北:うわー、「ない」から逆説的に「ある」を作ってくんだ。知的で洗練された表現がベースにあるんですね~。

シチュアシオニストに同調した背景とは

塚田:広告がいっぱい貼ってある壁に自分のストライプをバンってやるっていうのは、思想的な背景もあるんです。フランスを中心に、1957年から72年まで活動してた「シチュアシオニスト※」という人たちの影響を受けてるんですよ。
※シチュアシオニスト・インターナショナル……1950年代にフランスをひとつの拠点として国際的に活動していた前衛集団。消費社会を批判するような芸術と政治的活動を行う。シュルレアリスムやマルクス主義の影響を受け、後にパンクへと影響を与えていく

大北:お、それは演劇の文脈で知ってました。街なかでラディカルなパフォーマンスしたりするんですよね。
塚田:ですね。彼らは人々を受動的な立場にする消費社会っていうのを「スペクタクルな社会」として批判し、いろんな活動を行ったわけですけれども。ビュレンもまた都市の広告の上に自分の作品を重ねることによって、大衆が扇動されていく状況を批判的に捉えている。大雑把に言ってしまうとそういうヨーロッパ的な感性の持ち主です。
大北:ヨーロッパの人は「資本主義とか危ねえんじゃねえか、これ」みたいな現代社会の警鐘をちゃんと鳴らしますよね。
塚田:ですよね。とても重要なことだと思います。やっぱりそういったところで、アメリカ発祥の「ミニマル・アート」ともやっぱり違うんです。
大北:これ、ミニマル・アートとパッと見た印象は近そうに思ったんですが。
塚田:むしろ「ミニマル・アートとは違うんだよ」っていう論じられ方の方が多いくらいですね。ただ時代的にも離れてないし、やってることも離れてないですけども、イメージとしては同じ「連峰」って感じですかね。
大北:山の(笑)。
塚田:位置も違うし、たどり着くための登り方も全然違うんですけど、結果的にちょっと近いところにある感じ。

大北:絵画の問題からこのストライプが生まれているんですね。
塚田:そうそう。だからすごく視覚的なんです。ビュレンは60年代後半から本格的にいろんなメディアに取り組むようになって、シチュアシオニスト的な都市空間へのアプローチっていうのも始めて。絵画の問題を絵画の外へとさらに広げて、制度的なものの中に自分の考えている「絵画性」っていうものを差し込むことによって、いろんなバリエーションで同じ問題を問い続けている。
大北:今も活動されてるんですか?
塚田:1938年生まれなんですけど、まだご存命で作品を絵画や彫刻だけでなく映像などいろんな方向に展開している。ビュレンはこの8.7センチメートルのストライプを、「視覚の道具(VisualTool)」っていう風に言ってるんですね。視覚的に何かを感じさせるための道具だ、って。
大北:確かにストライプっていうのは全然遠近感がないし変わったものだなあ。

行き詰まった絵画の歴史からの脱却

塚田:ストライプがいいって思ったのは、それを「素材」に感じたからなんです。それ自体に意味はなくて、それを使ってそれまで浮上してこなかった認識を明るみに出す。道具として使ってるんです。
大北:ストライプ自体が1つの土とか鉄とかあんな感じに見えた。
塚田:そういうイメージでいいと思います。ビュレンは何も描いてない真っ白なキャンバスっていうのは、もうそれで1つの表面に見えて、素材にはならなかったっていう風に言ってるんですね。60年代の当時にはもう一色だけの絵画とかもすでにあったので、真っ白なキャンパスを前にして、「もうこれでできてるじゃん」みたいな感じに思っちゃったんじゃないでしょうか。
大北:ううむ、禅問答みたいになってきた。
塚田:そうなると何も描けなくなっちゃいますよね。
大北:根源的な無に挑むみたいな方向には行かなかったんですかね?
塚田:それはシュプレマティズムっぽいですね。現実との関係性の否定みたいな。カジミール・マレーヴィチという作家が『白の中の白』っていう絵を描いたりしてます。アメリカでもバーネット・ニューマンとかがほぼ1色しか使わないような、色面で構成した絵画を描いてました。

大北:初期しか知らない人がこれ見たら「まだこれやってんのか」ってびっくりするでしょうね。
塚田:そうですね。ただ全く一緒というわけでもなくて、初期のストライプは結構内省的な雰囲気がありますよ。画像検索してみますか。
大北:あ、思ったよりヨレヨレだ。
塚田:「なかなか新しい絵が描けない」っていう経緯を知ってると、悩んでいたんだろうなっていう内省的な絵に見えますよね。それぐらいトリッキーなことをしないと絵が描けないくらい絵画の歴史自体が行き詰まってたわけですよ。19世紀後半から怒涛の流れで印象派とかキュビズムとか色々出てきてたので、もう何をやっても新しいものを描けないっていう。
大北:苦しかったんだろうな……めちゃくちゃ変な状況ですけどね。苦しみのストライプ。
塚田:で、それを乗り越えてこんな感じになったと。
大北:あ、もう開き直って明るい感じに見えてきますね(笑)。行き詰まりというのは思いも寄らないところで打開されるなあ。たまたま買ってきたストライプかあ。

美術評論の塚田(左)とユーモアの舞台を作る大北(右)でお送りしました

machinaka-art

DOORS

大北栄人

ユーモアの舞台"明日のアー"主宰 / ライター

デイリーポータルZをはじめおもしろ系記事を書くライターとして活動し、2015年よりコントの舞台明日のアーを主宰する。団体名の「明日の」は現在はパブリックアートでもある『明日の神話』から。監督した映像作品でしたまちコメディ大賞2017グランプリを受賞。塚田とはパブリックアートをめぐる記事で知り合う。

DOORS

塚田優

評論家

評論家。1988年生まれ。アニメーション、イラストレーション、美術の領域を中心に執筆活動等を行う。共著に『グラフィックデザイン・ブックガイド 文字・イメージ・思考の探究のために』(グラフィック社、2022)など。 写真 / 若林亮二

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