• ARTICLES
  • 今ではあり得ない大きさ 30年経ったみなとみらいのヨーヨーから分かること / 連載「街中アート探訪記」Vol.27

SERIES

2024.03.15

今ではあり得ない大きさ 30年経ったみなとみらいのヨーヨーから分かること / 連載「街中アート探訪記」Vol.27

Text / Shigeto Ohkita
Critic / Yutaka Tsukada

私たちの街にはアートがあふれている。駅の待ち合わせスポットとして、市役所の入り口に、パブリックアートと呼ばれる無料で誰もが見られる芸術作品が置かれている。
こうした作品を待ち合わせスポットにすることはあっても鑑賞したおぼえがない。美術館にある作品となんら違いはないはずなのに。一度正面から鑑賞して言葉にして味わってみたい。
今回はみなとみらいにあるヨーヨー広場のオブジェ『モクモク・ワクワク・ヨコハマ・ヨーヨー』である。このタイトルのリズムとはなんなのか? そもそもこの彫刻の役割とは? 本連載が取り上げてきた彫刻としては最も大きい作品から、巨大パブリックアートの現在を知る。

SERIES

前回はさいたま新都心で巨大トカゲに遭遇しました!

前回はさいたま新都心で巨大トカゲに遭遇しました!

SERIES

さいたま新都心の巨大トカゲに、環境問題へのアプローチを見る / 連載「街中アート探訪記」Vol.26

  • #大北栄人・塚田優 #連載

みなとみらいに30年前を見る

『モクモク・ワクワク・ヨコハマ・ヨーヨー』最上壽之(もがみひさゆき)1994年

大北:大きいですね。僕は初めて見ました。知恵の輪的なことですか?
塚田:ではないでしょう、外れたら危ないじゃないですか(笑)。
大北:対称ではないしおもしろい形ですね。どうやって生まれたんだろう。
塚田:柱より内側で見ると、形が浮かんでるような感じがして面白いですね。
大北:たしかに。物体が密になってるし。この真下は人が多く通りますね。

塚田:「みなとみらいに来た」って気分になってるのでしょうか。
大北:通勤の人は横浜に暮らしてる実感があるでしょうね。
塚田:そもそもこれはみなとみらいが作られた時に設置されたものなので、ずっとこの場所に存在している作品です。
大北:さいたま新都心と同じパターンだ。街が新しくなる時にパブリックアートはドーンとできるんですね。

塚田:プレートがありました。1994年作だ。みなとみらいも30年経ったんですね。
大北:「日本の失われた30年」だ。バブルで元気な頃はこういう未来像が。
塚田:94年はすでにバブル崩壊後でしたが、計画されたのはバブル期だったのかもしれませんね。
大北:海外のアーティストやブランドのコラボで話題になった空山基さんとかああいうメタリックで曲線的でちょっと昔の未来像というか。
塚田:空山さんもそうですが『メトロポリス』(1927年)という映画があったんですけど、女性型のロボットってそれくらいから登場してるんで、曲線美と金属の組み合わせはしばしば見られますよね。
大北:手塚治虫とかもか。「伝統的な未来像」なんですね。それが30年経ってこれ。エイジングがバシバシに終わって味わいが出てきてました。
塚田:ステンレスは耐久年数があるし、倒れないよう構造設計もされてるから、持つは持つんでしょうけどね。
大北:後世の人からすると鎌倉の大仏と変わらないぐらいの存在になるかもしれない。
塚田:1000年ぐらい経てば一緒になるかもしれない。

独特なタイトルは最上流

塚田:作者の最上壽之さんは木を使うのがメインの作家です。木の作品も面白くて可愛らしさも感じさせるような作風です。パブリックアートだとステンレスの作品も試している。
大北:こんな金属らしい質感の大きなものをよく作ったなあ。


塚田:他の木の作品だとタイトルは「笑、笑、笑、笑」とか。
大北:うおっ、ニコニコ動画みたい。
塚田:この作品もそうですが最上作品のタイトルはカタカナが多いんですよ。「ドコマデイッテモボクガイル」とか。
大北:えっ、そうなんですか。「ニイタカヤマノボレ」みたいだ。
塚田:こうやって実際に見ると、作品の意味とかじゃなくて見た目のリズム感とかニュアンスを伝えられていますよね。


大北:「モクモク・ワクワク・ヨコハマ・ヨーヨー」そっか、これ全部タイトルなんですね。ちょっとした詩みたいな。
塚田:そうですね。「作品からのメッセージを言葉にしてみたものだ」と最上はその独特なタイトルのつけ方について語っています。形の感じとか佇まいからインスピレーションを受けてるみたいで。ちなみに浦島茂世さんの『パブリックアート入門』によると、この作品はモクモクワクワクしていく気持ちの高ぶりと、前途洋々のヨーヨーというテーマも込められているそうです。
大北:あ、前途洋々のヨーヨーなのか。何歳ぐらいの時の作品なんですか。
塚田:58歳のときの作品です。
大北:じゃあこんなタイトルもおじいさんが言ってるわけですか。
塚田:いやそれこそ昔からカタカナでつけてるわけで。おじいさんになっても言ってる面白さがありますね。
大北:安心しました。おじいさんが「じゃあこのタイトルはモクモクワクワクだな」とか言い始めたら危ないなと思っちゃいました。年季の入ったカタカナ表記なんですね。

形と形の組み合わせ

塚田:最上作品は全体的に着眼というか「あ、こういう感じ!?」みたいな印象を受ける形が多いです。
大北:ほどほどの意外性やユーモアってことかなあ。
塚田:最上さんは形と形が組み合わされている作品が多いんです。そういえばこの前埼玉で見た建畠さんのだるま落としのような作品も形と形が組み合わされていましたよね。
大北:円柱が積まれていって、棒がついたやつですね。
塚田:建畠さんの場合は自らが考える構成美を追求している。「ちょっとずらそう」とか作家の意図があると思うんです。でもこの最上さんは偶然っぽいニュアンスが残っている。どこか不格好で、不安定だけれども形そのものが起き上がってきている。
大北:うーん、不安定?
塚田:木がその日照に応じて自由な形で生長していくというか…ある程度委ねてる感じがありそうなんですよ。
大北:作家以外の力でそうなった的なことですか?
塚田:そこまで言っていいかは微妙だけど、最上はふだん木で作るから木の長さには限界があって組み合わせて作らざるを得ないんですよね。そこで独特の構築性が生まれるわけです。
大北:そういった制約が偶然性を引き出すのですね。
塚田:そうかもしれません。でもこれは金属だから永遠に延ばせるんですよね。延ばしていった結果こういう形にたどり着いたそうです。
大北:「偶然性に委ねる」というのは本人も言ってます?
塚田:「素材と対話する」みたいな表現はしてましたね。
大北:なるほど、これも針金とか持ってああでもないこうでもないみたいにぐにゃぐにゃしてるのかな。
塚田:そうですね。他の作品だと木を削ったりしながらですかね。

風をやわらげるための美しさ

大北:対話といってもこの大きさをね。今まで連載でとりあげた彫刻の中では最大じゃないですか。
塚田:高さ17m幅32m奥行き20m。ここまで大きいのは最上作品の中でも珍しいと思います。
大北:30mあったらウルトラ怪獣の領域ですね。
塚田:実はこれは大義名分があって作られたパブリックアートで、クイーンズスクエアとランドマークタワーの間に吹くビル風を緩和するためのものなんです。
大北:えーっ!

塚田:なので一定の大きさは当然求められてたんだと思います。
大北:機能を背負ってるんだ!!
塚田:そうですね。作品の奥にも木が植えられてますけど、街づくりをする時に木を植えるのではなくパブリックアートで防風の機能を果たそうという目的がある作品なんですね。
大北:あー、じゃあこの場合の偶然性っていうのはそこなんだ! 風やわらげプロジェクトだからそこを生かした形がこれってことですね!
塚田:これだけの大きさのものが倒れたら大惨事ですから構造設計の担当者と話し合いを重ねて、作者のビジョンを尊重しながら、安全面にも配慮して作られたものなんです。
大北:最上独特の構築性、発揮されたんですね、よかった……。

大北:そうやって見てみるとステンレスで見るからに丈夫そう。全パーツ1回転してますね。2回転のものはない。
塚田:施工を担当する人に止められたのかもしれないですね。
大北:柱も4本ではなく6本で丈夫そう。
塚田:防風林の木みたいなことじゃないですか。木を植えるんじゃなくてこういう感じで。
大北:縦にも横にも骨がある。むしろ骨しかない。だからこそ見た目にも安心感ありますね。

大北:面白い形だなと思ったけれど、要望とか機能に左右されてるものでもあったんだ……靴べらみたいなものかな。靴べらの変なカーブは機能から来てますよね。
塚田:「形は機能に従う」ですね。その立場は19世紀の建築家ヘンリー・ルイス・サリヴァンの言う機能主義というものですが、最上の作品には作家の造形感覚も入っているので完全に重なり合うものではありません。でも靴べらのことを考えながら、その微妙な違いを考えてみるのも面白そうです。

今後生まれないかもしれない大きさ

塚田:人が通る上にあるわけなので、雨が降った時の水の落ち方とかも計算されてるんですって。いろんなところからボタボタ落ちないように。
大北:そんな制約まであるのか。
塚田:すごくいろんな制約があったことを作家はインタビューで語っています。公共空間の制約は相当あったでしょうし、大きさとも比例していくんでしょうね。大きければ大きいほど行き交う人に対して負う責任が発生する。
大北:でかいものは大変さがどんどん膨らんでいく。……そうやって考えると、大仏の偉大さがどんどん膨らんできてしまった。

塚田:2014年のインタビューで最上さん本人が言ってたのは、東日本大震災があってからはこれだけ大きなものを作るのが難しくなったんですって。もしその基準が今も変わってないのであれば、これだけ大きなパブリックアートが新しく作られることは今後ないかもしれない。その意味でもこのスケール感はすごく貴重です。地震のある国におけるパブリックアートというものを考えさせられますね。表現がどうしても制限されてしまう。
大北:うわ~、今後もう出てこない可能性か。日本最大の彫刻パブリックアートになるかもしれないんだ。
塚田:ずっとここにいますけど、意外とみんな写真を撮ってますね。今日は三連休なので観光客も多そう。
大北:今まで見てきた中でも抜群の注目度。でかいのは強いですね。

大北:これが作られた時には最上さんはもう権威であったわけですかね。
塚田:そうですね。大学の先生もやってたので、一定の評価があったと言ってもいいでしょう。
大北:とはいえここを通る人は知らないわけで。こんなでかくて存在感あると「誰だこんなもの作って」って思われそうなものですが。みんな「ああ、いいんじゃない?」と納得してるとすると、それだけですごいことだなあ。
塚田:昔の作品なのに写真撮ってる人が多いのはすごいですね。
大北:かつて和菓子のバイヤーさんに話を聞いたときに「あそこの店はうまくおやりになさる」という言い方にモヤっとしたものを感じたんですが、今まさにうまくおやりになさったなという気持ちです。
塚田:そういうのもみなとみらいが30年経ったからこそ出てくる印象なんでしょうね。ある程度古いものであるということが分かっているから。
大北:そうそう。歴史ができつつある。
塚田:これは匠の技なんじゃないかと。30年経っても見上げてる人が多いし。
大北:パブリックアートの味わいが出てきたものとしていいですね。今90年代のものを見るの。
塚田:記事が出る頃は横浜トリエンナーレが始まったタイミングでもあるので。いろんな地域のアートファンにもまた見てもらえればって感じですね。

コントを書く大北(左)と美術評論の塚田(右)でお送りしました

machinaka-art

DOORS

大北栄人

ユーモアの舞台"明日のアー"主宰 / ライター

デイリーポータルZをはじめおもしろ系記事を書くライターとして活動し、2015年よりコントの舞台明日のアーを主宰する。団体名の「明日の」は現在はパブリックアートでもある『明日の神話』から。監督した映像作品でしたまちコメディ大賞2017グランプリを受賞。塚田とはパブリックアートをめぐる記事で知り合う。

DOORS

塚田優

評論家

評論家。1988年生まれ。アニメーション、イラストレーション、美術の領域を中心に執筆活動等を行う。共著に『グラフィックデザイン・ブックガイド 文字・イメージ・思考の探究のために』(グラフィック社、2022)など。 写真 / 若林亮二

新着記事 New articles

more

アートを楽しむ視点を増やす。
記事・イベント情報をお届け!

友だち追加