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2025.02.19
迷子の不穏、にじむユウモア〜亀戸アートセンター&ウ成ル〜 / 小原晩の“午後のアート、ちいさなうたげ” Vol.4
Photo / Tomohiro Takeshita
Edit / Maki Takenaka(me and you)
『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』などの著作で知られている小原晩さんが、気になるギャラリーを訪れた後に、近所のお店へひとりで飲みに出かける連載、「小原晩の“午後のアート、ちいさなうたげ”」。「アートに詳しいわけではないけれど、これからもっと知っていきたい」という小原晩さん。肩肘はらず、自分自身のまま、生活の一部としてアートと付き合ってみる楽しみ方を、自身の言葉で綴っていただきます。
第4回目は、亀戸アートセンターで開催していた「『マイファイ絵画実験室』 presents begas 個展『マーカイガ』」を観たあと、亀戸駅前にある居酒屋「ウ成ル」へ。この連載で初めて、作家の方から直接お話を聞きながら鑑賞し、うなぎと一緒に生ビールをぐいと飲んだ、ある午後のこと。
亀戸アートセンターへ行くためにホームページをひらいてみる。行き方は、いろいろあるらしい。都営新宿線の東大島駅から歩いて12分、東武鉄道亀戸線の亀戸水神駅から歩いても12分。後者には「ブラブラ散歩して来られる方にはオススメです」と書かれている。
家からは東大島駅のほうが近そうだったので、散歩のよろしさはあきらめて東大島駅に降り立つ。はじめて降りる駅である。どうもこんにちは。
iPhoneのマップをひらいて歩きだすと、ひらけた道があらわれた。心地よいつよさの風が吹いてくる。日が暮れる前のもう束の間となった昼の光がさしてくる。ビルの壁に反射する光が、まぶしい。散歩のよろしさは諦めたはずが、こちらの道にも散歩のよろしさがあり、気持ちはどんどん澄んでくる。
亀戸アートセンターへ到着すると、さっそく作家のbegasさんを紹介してもらう。
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本人である。ほ、本人の登場は、初めてのことで、緊張する。
今回やってきたのは、『マイファイ絵画実験室』 presents begas 個展「マーカイガ」。
まず説明したいのは、マイファイ絵画実験室とはなんなのか。
マイファイ絵画実験室とは、アーティスト水野健一郎が1991年頃から約10年かけて培った上手い下手にとらわれない独自の絵画表現を芸人五明拓弥に伝授するために開設された講座。2019年よりYouTubeで配信された全12回の講座(第1期)の後、無審査の一般公募によって集まった受講生を対象にした9回のリモートワークショップ(第2期)、2023年には初となる対面ワークショップ(第3期)を行い、受講生たちの作品を発表する展覧会も開催。(亀戸アートセンターHPより)
begasさんはこの『マイファイ絵画実験室』の存在をX(旧Twitter)で知り、ワークショップに参加した。それからつながって、やがて『マイファイ絵画実験室』が企画し、begasさんにとってはじめての個展がひらかれるまでに至ったらしい。主宰であるアーティスト水野健一郎さんは、begasさんの絵について、こう語っている。
「begasさんの絵についてずっと考えている。交換の時期を何年も過ぎたフィルターの中に自動生成されたようなミクロでマクロなインナースペース。彼の穏やかな人柄とは裏腹な、仄暗いベールに包まれた不明瞭な世界。一番の謎は、彼はマイファイ絵画実験室で設定したルールに極めて忠実だったことだ。マイファイ絵画実験室が導きたいのは、情感を排除したただの線や形のバランスがもたらす視覚的な刺激である。しかし彼の作品からはそれを超えた強い念のようなものを感じる。もしかしたら、ルールによって濾過された無意識の情緒こそがマイクロフィクションなのかもしれない。」(2024年12月14日 水野健一郎、亀戸アートセンターHPより)
ぞっこんだ――と断言するのは、乱暴かもしれない。でも、水野さんがbegasさんの絵につよく惹かれているのはたしかである。だからこそ、水野さんはこの企画を立ち上げ、こうして個展という形に結びつけたのだろうし、しんしんとした熱量を感じる。
水野さんもいうように、begasさんはとても穏やかな感じのするひとだ。物腰のやわらかい、やさしい話し方のひとだ。
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わたしは普段、こうして本人が在廊している場面に出くわすと、どうしても作家に話しかけられない。好きな絵を描くひとを目の前にして、なんと言葉を発せばいいのかわからないのである。「これはどういう意味なのか」とか「どうしてこういう色にしたのか」とか、本人が好きなように喋ってくれるのならばぜひ聞きたいけれど、作家自身はそんなことは喋りたくないかもしれないし、なにより、つまらないことを聞くひとだなあ、という表情や声色をほんのすこしでも作家がしたら、ほんとうに悲しくてやりきれない。そんなひどいことになるのであれば、わたしはずっと透明でいたい。
そういう気持ちでいつも展示に行っていたから、今回もすごく緊張してしまって、なにをどう聞いたらいいのかわからないままパニックのまま「どうやって描いているんですか?」とぶしつけな質問をした。
begasさんはいやな顔もせず「紙や画面をずっと見ていると皺のような、影のような、繊維のようなものがだんだんと見えてきて、まずはその線をえんぴつでなぞり、するとそのうち、顔に見えてきたり、ひとに見えてきたり、なにか具体的なものに見えてくるので、描きすすめるんです」と教えてくれた。
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そんな方法があったのか、おもしろい。説明を受けてからbegasさんの絵をみると、たしかに、たくさんのえんぴつの線があり、それがなにかのモチーフへ繋がっているのがわかる。教えてもらってとてもありがたかった。聞いて、教えてもらえることは、こんなにうれしいことだったのか、と当たり前のことを再発見する。
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そうやって見ていくと、DMにも使われている絵は他の絵と印象がちがうように思って、「この絵もその方法で?」と聞いてみる。
「この絵は『マイファイ絵画実験室』の課題で描いたんです」とbegasさんは教えてくれる。
そうか。さっき、水野さんの言っていた「一番の謎は、彼はマイファイ絵画実験室で設定したルールに極めて忠実だったことだ」というのは、この絵をはじめとする、いくつかの絵のことを指しているのかもしれない。自分の描き方がすでにあるのに、ワークショップに参加したら、そのルールを守って描いてみる。彼はそんなふうにできるひとなのだ。
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「この階段に落ちているひとは僕です」
begasさんが教えてくれる。
「お酒が好きで、ときどき飲みすぎてしまうんです。沖縄出身なので」
と言うbegasさんにひそかに親近感をおぼえる。
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亀戸アートセンターにはロフトのような二階があって、階段を登るとそこにもたくさんの絵が飾られている。
いろいろと好きな絵はあるのだけれど、とくに好きだったのはこの絵である。
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色合いが好きだと思ったし、変にどっしりとした妖艶さのある女のひとに惹かれた。
「この絵、とっても好きです」と、またもぶしつけな感じでbegasさんに伝える。
「これは、爪なんです、ネイル、花が見えてきて」begasさんは言う。
「あ、ほんとうだ、爪だ」
「この女のひとは、前日に市役所へ行ったとき、事務的な女性のことが印象に残っていて……派手な化粧のこととか」
「たしかにこの女のひと、オフィスチェアに座ってますね」
「そうしたら、でくのぼうな僕の背中が見えてきて」
見つめれば見つめるほどにおもしろい。begasさんの絵はそういう絵である。
壁に貼られた絵だけではなく、ファイルの中にもたくさんの絵が入っている。その量におののきながら、begasさんの日々のことを考える。
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平日は建設関連の会社で見積作成の仕事をしているbegasさん。ご家族もいるなかで、どうやって制作時間を作っているのだろう。
「土日の早朝、家族が眠っているうちに起きて、顔も洗わず、トイレにも行かず、一日の中でいちばん頭がぼうっとしているときに描きます。気持ち悪い絵を描くことが多いから、娘にこわい思いをさせないようにいつも裏返して置いています」
begasさんの絵は無論、気持ち悪くないけれど、どこか不穏さのようなものはある。そこがまた、よいのである。わたしたちの無意識のなかにはいつも不穏さがあると思うから。そして自然発生的な、作為的でないユーモアを感じるのも、好きなところのひとつである。
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ところで、亀戸アートセンターではビールが飲めると聞いて、頼んでみると、出てきたのはアサヒスーパードライの小瓶だったので、すこしおどろいた。普段、日本のビールは中瓶から小さなグラスに注いで飲むことが多いので、スーパードライを瓶口から直接飲む日がやって来るなんて思ってもみなかった。寒空の下、うれしく飲む。とってもおいしい。
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それからbegasさんのZINEを買って、ほくほくとする。begasさんとスタッフの皆さんにお礼と別れを告げて、亀戸アートセンターをあとにする。
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タクシーに乗り込み、車窓から亀戸のまちをながめているとき、個展のタイトルの意味を聞き忘れたことに気づく。はっきりと後悔をする。iPhoneをひらいて、必死で調べると、「81connect」という、実験的で新しさを探究する日本のアーティストたちが、言語や国境を超えて活躍するためのプラットフォームのインタビュー動画の中で、begasさんはこう答えていた。
タイトルの「マーカイガ」は沖縄の方言で「どこへいくの」という意味です。自分が絵を描きながら感じている「どんな絵になるのだろう」「どこへ向かっているのだろう」という不安や期待の気持ちに繋がるかなと思ってつけました。
ぜったいに聞くべきだった、と反省する。すごくよいタイトルである。せめて、これを読んでくれているひとにはお届けしたいので引用します。
タクシーを降りて、うなぎのおいしい居酒屋「ウ成ル」さんへやってきた。
さっそく生ビールと春菊ナムル、パリパリピーマンを注文する。飲むとき、青いものがあるとほっとする。
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春菊ナムルをしゃくしゃく、パリパリピーマンをパリパリ、生ビールは喉を鳴らしてぐいぐいとのむ。とてもよい日である。ひと息つけるほどの労働がすきだ。深いため息になるほどの労働はできるだけ避けたい。
欲張って、おまかせ串盛り五種を頼む。もう正直おなかもぺこぺこなので、勝手丼まで注文してしまう。好きなものを、好きなときに、好きなように食べて飲めることこそ、ひとり宴の醍醐味である。
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さて勝手丼とは、うなぎのタレが染みたごはん、通称「勝手ごはん」に好きな具材をのせる、自分だけの一杯である。具材の主役はもちろんうなぎ。しかも蒲焼きか白焼きどちらかを選ぶこともできるし、両方のせることだってできるのだ。さらにトッピングには生卵、ねぎ、韓国のり、ホイップバターまで揃っている。悩みに悩んで、私は勝手ごはんに蒲焼きと白焼きの両方、トッピングにはねぎを選んだ。食べる前からもう満ちてくる。
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お皿に並んだ五本の串、すぐに運ばれてきた勝手丼を口いっぱいに頬張る。口の中でほろりとほどける、やわらかなうなぎ。蒲焼きと白焼き、その違いをたしかめながら食べるだなんて、人生は長い。うまいものはとことんある。わたしはいつのまに演歌のようなきもちになって、しみじみと、ひとりを過ごす夜だった。
本日のアート
亀戸アートセンター
begas 個展「マーカイガ」
◼会期 : 2025年1月10日(金)〜 1月22日(水) ※会期終了
◼住所 : 東京都江東区亀戸9-17-8 KKビル101
◼休館日 :展示会によって開廊日が異なる
◼入館料 : 無料
公式サイトはこちら
本日の宴
ウ成ル
◼住所 : 東京都江東区亀戸5-11-1
◼電話 :03-5875-3346
◼店休日 :月曜日(祝日の際は火曜日)・お盆・年末年始
◼営業時間 :火・水・木・金 15:30〜22:55、土12:00〜22:55、日・祝日12:00〜21:55
Instagramはこちら
Information
2022年に自費出版した『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』が、新たに実業之日本社から商業出版されます。
私家版の23篇にくわえ、新たに17篇のエッセイが書き足されています。
『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』
著:小原晩
実業之日本社
2024年11月14日発売
価格:1,760円(税込)
DOORS
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小原晩
作家
1996年、東京生まれ。作家。2022年3月、自費出版にて『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』を刊行。2023年9月、『これが生活なのかしらん』を大和書房より出版。
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