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SERIES
2023.11.10
マルセル・デュシャン / 「現代アートきほんのき」Vol.5
Illust / Shigeo Okada
Edit / Mami Hidaka
世界で高騰が続き、億単位で取引されることもある現代アート。驚きの数字に興味を惹かれながらも、ときには「なぜ億もの高値がつくのか?」「作品の魅力がわからない・・・」と首を傾げてしまうこともあるのではないでしょうか。
連載「現代アートきほんのき」は、現代アートの代名詞的存在にもなっているアーティストや作品について、今一度評価の背景を繙いていくシリーズ。現代アートの巨匠とも呼ばれるアーティストを各回一人ずつフィーチャーし、なぜその作品が高く評価されているのか、美術史的観点と人々の心を惹きつける同時代性の観点の2軸からわかりやすくご説明します。
第5回は、「現代アートの創始者」と称されるマルセル・デュシャンの作品の価値と魅力について。文化研究者の山本浩貴さんとともにお届けします。
デイヴィッド・ホックニー / 「現代アートきほんのき」Vol.4 はこちら!
便器に価値を与えた「現代アートの創始者」。
マルセル・デュシャン、何がすごい?
マルセル・デュシャンといえば、「現代アート」を生み出したと言われる最も重要なアーティストの一人です。デュシャンの代表作《泉》(1917)は、現代アートの歴史に燦然と輝くひとつの星となっている名作です。
この作品は、既製の男性用小便器を逆さまに置いたとてもシンプルな「彫刻」です。デュシャンは、そこに「R. MUTT」と制作年の「1917」という署名を入れ、「泉」というタイトルをつけました。それだけといえばそれだけなのですが、当時の美術界に衝撃を与え、そして今日まで多くのアーティストやキュレーター、批評家、研究者が、この作品を、現代アートの歴史に大きな影響を与えた作品として認めています。
Marcel DUCHAMP Fountain, 1917 © Association Marcel Duchamp / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2023 E5401
《泉》は、最初、デュシャンによって「アンデパンダン」(※)と呼ばれる形式の展覧会に出展された作品でした。
アンデパンダン
保守的な審査が行われる美術展に対抗し、自由な創作発表の場として、無審査・無賞・自由出品が原則とされた美術展のこと。基本的に、作品の評価は展覧会の来場者に直接問うことができる。1884年にフランス・パリで初めて開催された「パリ・アンデパンダン展」を皮切りに、その後ベルギーやドイツ、アメリカ、日本へと広がっていった
アンデパンダン形式の展覧会では、決められた出展料を支払えば、基本的にはどの作家でも、どの作品でも参加が認められます。しかしデュシャンの《泉》は、審査の結果「出展不可」と判定されてしまいます。その理屈として挙げられたのが、「これは『アート』ではない」というものでした。しかし同作品は、出展拒否という災難を被ったにもかかわらず、いや、むしろそれゆえにこそ、現在まで多数のレプリカもつくられるほど重要な作品として語り継がれ、現代アートの歴史にその名を刻んでいるのです。
観念だけでも芸術になりうる。「レディ・メイド」を切り拓き、議論を醸す
Marcel DUCHAMP Bicycle Wheel, 1913 © Association Marcel Duchamp / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2023 E5401
マルセル・デュシャン
1887年にフランスで生まれ、後年にアメリカに帰化し、1968年に他界。1910年代前半には早々と絵画の制作をやめ、同時期に《泉》のように大量生産された既製品をオブジェとする「レディ・メイド」作品の制作に着手。絵画や彫刻という作品の形態をとらなくても、自身の哲学やコンセプト、制作過程だけでも芸術と見なす「観念としての芸術」を唱えた。
《泉》のほか、丸いスツールに自転車の車輪をとりつけた《自転車の車輪》(1913)や、雪かき用のシャベルを天井から吊り下げた《折れた腕の前に》(1915)といった数々のレディ・メイド作品は、色やかたちといった形式よりも、アイデアやコンセプトといった内容に重点を置く「コンセプチュアル・アート」の先駆けとして、戦後、1960年代のアメリカを中心として世界中で見られるようになっていった
デュシャンは、一般的にアーティストにとって大切な時期とされる30歳代半ば以降の後半生、ほとんど作品を発表していません(ただし、生涯を通じて、作品の制作をやめることはありませんでした)。彼は多くの時間をチェスに没頭して過ごし、チェスの腕前はセミプロとも言えるものだったそうです。
デュシャンのそういった姿勢は、近代以降の「美術」に対する懐疑に由来するものとも言えますが、ある意味で「思わせぶり」とも捉えられる態度は、後年のアーティストからの批判にもさらされました(ドイツを代表する現代美術家の一人、ヨーゼフ・ボイスの「デュシャンの沈黙は過大評価されている」という言葉は有名です)。しかし、デュシャンの死後、ひっそりと制作されていたいくつかの作品が公開され、そのことも大きな話題を呼びました。
人々を惹きつける謎や挿話と、専門家を刺激する作品の真新しさ
人々の関心を惹きつけるようなある意味では「わかりやすい」エピソードも多いため、デュシャンに関する本はたくさん書かれてきました。日本語で読める本に限っても、「現代アート」に関するほとんどの入門書のなかで、現代アートの始まりを画する重要な人物として、デュシャンは代表作の《泉》とともに丁寧に解説されています。
Private collection courtesy of Francis M. Naumann Fine Art Portrait multiple de Marcel Duchamp Five Way Portrait of Marcel Duchamp) © Association Marcel Duchamp / ADAGP, Paris
同時にデュシャンの作品や活動は、専門的な学術書のなかでも重要な対象として取り上げられ、美術史や芸術学はもちろん、哲学や美学の領域でも、数多くの考察や分析の対象となってきました。
デュシャンの作品とその生涯は、誰でもすぐに楽しめるような謎や挿話に彩られているとともに、それを深く掘り下げるとどこまでも続く洞察へとつながるような「深淵」にも開かれていると言えます。こうした両面性は、アートに関心を持つ多くの人々と、それに加えて、晦渋さを好む専門家のいずれをも魅了してやまない要素と言えるでしょう。
アートの評価軸を一新!「美しい」絵画や彫刻だけがアートではない
デュシャンの作品は、美術史や芸術学はもちろん、哲学や美学の領域でも、数多くの考察や分析の対象となり、冒頭で述べたように、美術史において、デュシャンは現代アートの始まりを画する重要なアーティストとして論じられてきました。
Marcel DUCHAMP In advance of the broken arm. 1915 © Association Marcel Duchamp / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2023 E5401
その理由は、美学者のアーサー・C・ダントーや、美術史家のティエリー・ド・デューヴが述べるように、「アート」という概念そのものに根本的な革新をもたらしたからにほかなりません。たとえばダントーは、デュシャンが投げかけた問いは、アートとそうでない(とされている)ものの境界線を揺さぶるものであったと主張しました。
同様にド・デューヴは、デュシャンは、アートに対する評価軸を「これは美しい」から「これは芸術である」にラディカルに置換したと言っています。いずれにしても、デュシャンは、「アート」というもののあり方を、根本から大きく変えてしまったのです。そこに美術史上の位置づけとして、しばしば彼が現代アートの創始者の一人とされる理由があるのです。
マルセル・デュシャンが評価されたワケ ー3つのポイントー
- 「観念としての芸術」を唱え、その象徴としてレディ・メイドの作品を手がけ、アートのあり方や評価軸を一新した
- 世界的潮流となるコンセプチュアル・アートの先駆的存在として、美術史や芸術学はもちろん、哲学や美学の領域でも数多くの考察や分析の対象となった
- 謎や挿話に彩られた人物像も人々の関心を惹き、賛否両論を呼んだ
デュシャンの影響を受けたアーティストは世界各地に数知れず。オリジナルとコピーの関係を問い直す作品も
デュシャンが先鞭をつけ、戦後、アートの世界を席巻したコンセプチュアル・アートの流れは、ひとつのジャンルとして定着するほど大きな動きとなりました。そしてコンセプチュアル・アートは、つねに自らの定義を拡張していく現代アートの領域において、非常に重要な位置を占めています。
作品を通して、おそらく初めて明示的に「芸術とは何か?」と問うたデュシャンは、その意味で、現代アートの始祖のひとりでもあると言え、そのため、あらゆる現代アーティストが彼の影響下にあると言っても過言ではありません。
ここで、最後に、冒頭で紹介したデュシャンの《泉》を「本歌取り」した作品を2点、紹介します。本歌取りとは、和歌の作成技法のひとつで、有名な古歌(本歌)の一部を自作に取り入れ、それに自身のオリジナリティを加えて歌を作る手法です。ゆえに、これから紹介する2つの作品は、すでにデュシャンの《泉》が、そうした誰もが常識的に知っている「古典」の領域になっていることを示す例です。
https://www.christies.com/en/lot/lot-5559178
ひとつ目は、シェリー・レヴィーンの《泉(アフター・マルセル・デュシャン)》(1991)です。この作品は、作者であるレヴィーンが、デュシャンの泉を光輝くブロンズで再制作したものです。1980年代から90年代にかけて勃興した「シミュレーショニズム」と呼ばれる芸術潮流を代表する作家であるレヴィーンは、複製技術を含むテクノロジーの加速度的な発達という背景のなかで、オリジナルとコピーという二項対立自体やその境界線を問い直すようなラディカルな作品を発表しました。
もうひとつは、マウリツィオ・カテランの《アメリカ》(2016)です。この作品は、18金でできた便器です。この便器はデュシャンの《泉》のように男性用の小便器ではありませんが、明らかにそれを下敷きとなるコンテクストとして意識しています。カテランの《アメリカ》は、数億円に相当する金を施された一般的な洋式の便器で、実際に使用することもできます。
https://www.guggenheim.org/exhibition/maurizio-cattelan-america
所蔵先のグッゲンハイム美術館では、警備員を配置したうえで実際に便器として設置され、たくさんの鑑賞者が実際に使用しました。美術史家のバーバラ・ローズは映画『アートのお値段』(2018、ナサニエル・カーン監督)で、この作品を「芸術に対する侮辱」として厳しく非難しています。
なお、2017年にドナルド・トランプ大統領がホワイトハウスの居住スペースに飾るために貸し出しを依頼し、それを断る代わりに美術館が貸し出しの提案をして物議を醸したのが、カテランの《アメリカ》です。デュシャンの《泉》がその最初からもっていた「論争的な」性質は、そこから影響を受けたアーティストやその作品にもしっかりと継承されているようです。
GUEST
山本浩貴
文化研究者、アーティスト
1986年千葉県生まれ。一橋大学社会学部卒業後、ロンドン芸術大学チェルシー・カレッジ・オブ・アーツにて修士号・博士号取得。2013~18年、ロンドン芸術大学トランスナショナル・アート研究センター博士研究員。韓国のアジア・カルチャーセンター研究員、香港理工大学ポストドクトラル・フェロー、東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科助教を経て、21年より金沢美術工芸大学美術工芸学部美術科芸術学専攻・講師。著書に『現代美術史 欧米、日本、トランスナショナル』(中央公論新社 、2019年)、『ポスト人新世の芸術』(美術出版社、2022年)。
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