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2023.08.11
抽象画、どう世界に広まった? / 連載「和田彩花のHow to become the DOORS Season2 もっと知りたいアート!」Vol.1
Edit / Mami Hidaka
Photo / Daisuke Murakami
Illust / Wasabi Hinata
19世紀の画家 エドゥアール・マネに魅せられたことをきっかけに美術史を学び、日々熱心にアートシーンを追いかけ続ける和田彩花さん。一年以上にわたるフランス留学を経て、絵画やインスタレーション、パフォーマンスといった作品そのものだけではなく、アートと社会の結びつきについてもさらに関心が深まったといいます。
今更聞けないアートにまつわる疑問やハウツーを、専門家の方をお呼びして和田彩花さんとともに繙いてきた「和田彩花のHow to become the DOORS」。Season1では、一年間全14回にわたり、今更聞けないアートにまつわる疑問やハウツーについて様々な専門家の方に伺ってきました。
今回からは新たにSeason2として、時代やジャンル関係なくアートを広く楽しむ和田さんが「もっと深く知りたい!」と思うアートについて話しあったり、それぞれの専門家と一緒に展覧会をまわったりする様子をお伝えしていきます。
Season2の初回では、「アートの価値の歴史的変遷」について学びたいという和田さん。また、歴史的に常に欧米がアートシーンの中心とされる中で、日本をはじめとするアジアの作家はどのように評価を得てきたのかが気になるようです。
そういった和田さんの関心をもとに、今回は「抽象画は誰が評価して、どのように世界に広がっていったのか」、そして日本作家の存在感についても掘り下げていきます。東京・京橋のアーティゾン美術館で現在開催中の「ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開 セザンヌ、フォーヴィスム、キュビスムから現代へ」(~8月20日(日))を、同館学芸員の新畑泰秀さんにご案内いただきながらの「アートの価値」をめぐる対談をお届けします。
抽象絵画の源泉を知ろう
京橋のアーティゾン美術館で開催されている「ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開 セザンヌ、フォーヴィスム、キュビスムから現代へ」。本展は、抽象表現の源泉である「印象派」「フォーヴィスム」「キュビスム」といったアートシーンの動向の紹介からスタートします。
印象派・・・19世紀後半にフランスで始まった芸術運動。描く対象の輪郭や色ではなく、それを包み込む周りの光や空気感をとらえようとした手法。「印象派」という運動の名前はクロード・モネの作品『印象・日の出』に由来する。代表的な画家は、先述のモネのほか、ゴッホ、ゴーギャン、セザンヌなど
フォーヴィスム・・・20世紀初頭の絵画運動。ルネサンス以降、伝統とされてきた写実的役割から絵画を解放し、目に映る色彩の再現ではなく、直接心に訴える色彩を表現しようとした。代表的な画家は、アンリ・マティスやアンドレ・ドラン、モーリス・ド・ヴラマンクなど
キュビスム・・・20世紀初頭にパブロ・ピカソとジョルジュ・ブラックによって創出された芸術運動。一つの視点からものを描くそれまでの具象絵画とは異なり、色々な角度から見た物の形態を幾何学的形体に還元して一つの画面に収めた
タイトルの通り、セザンヌを起点として、革新的な絵画運動を担ったマティスやピカソ、そして現代まで続く抽象絵画の覚醒と展開をたどる本展。担当学芸員の新畑さんは、中でも印象派の代名詞的存在であるセザンヌの重要性を強調します。
ポール・セザンヌ 《サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール》 1904-06年頃 石橋財団アーティゾン美術館
新畑:セザンヌは印象派から出発して、抽象表現につながる重要な仕事をした画家です。初期は良い評価を得ることができませんでしたが、南フランスを拠点に制作に打ち込み、晩年には偉大な画家として認められました。
和田:南フランスは、次々新しいものが生まれる都会的なパリとは距離がありますよね。どうしてセザンヌは、田舎で制作しながら新しい表現を追い求めることができたのでしょうか?
新畑:セザンヌは家族が暮らすパリにも通っていたので、当時の新しい情報も知ることができたのだと思います。彼の絵は歪んでいたり、立体感もなかったりして、理解するには少し難しい作品ですよね。けれどもセザンヌの作品には、カメラではなかなか表現できないような、人間が描くからこその凄みがあります。それが抽象絵画へのステップになりました。
その後に続くアンリ・マティスをはじめとするフォーヴィスムの画家たちは、人間の感情を表現するために、現実をありのまま描く写実主義の固有色をベースにした色彩の使い方を無視して、構図もラフな絵を描き始めました。
アンリ・マティス《画室の裸婦》1899年 石橋財団アーティゾン美術館
和田:なぜ、フォーヴィスムより前の世代ではあまり前面に出てきていなかった「感情」を含めて絵が描かれるようになったのでしょうか。
新畑:王族や教会などのためではなくて、市民のための美術を求めた結果だと思います。20世紀初頭は、フォーヴィスムだけではなく、対象物を複数の視点で捉えながら幾何学的なイメージに再構成するキュビスムも重要な動向でした。この理知的な傾向が、幾何学的抽象につながっていきます。
各国で花開く抽象絵画
フォーヴィスムやキュビスムといった動向の影響を受けて、フランス以外のヨーロッパ各国、日本などでも抽象絵画が芽吹きます。次第に抽象絵画は世界中で展開されるようになり、第二次世界大戦後にアメリカで大きく花開いたといいます。
和田:抽象絵画はどのように各国で展開されたのでしょうか?
新畑:フォーヴィスムやキュビスムの絵画運動を見て「さらに次の世界があるかもしれない」と感じたフランティセック・クプカをはじめとする画家たちが、抽象絵画を描き始めました。他には、近代社会において実現された機械化やスピードを主題にイタリアで展開された「未来派」という絵画運動もそのうちの一つです。個人の芸術性と大量生産・機能性を融合させたドイツのバウハウスでは、美術理論家であり画家でもあるヴァシリー・カンディンスキーが初めて抽象絵画を理論化しました。
フランティセック・クプカ《赤い背景のエチュード》1919年頃 石橋財団アーティゾン美術館
ヴァシリー・カンディンスキー《自らが輝く》1924年 石橋財団アーティゾン美術館
和田:カンディンスキーは、抽象絵画の創始者の一人とされる重要人物ですね。実は私はカンディンスキーの絵画や理論を難しいと感じていて…… 少し苦手意識があるんです。
新畑:和田さんのおっしゃる通り、カンディンスキーの絵画は一見難しいですよね。彼もまた、絵画を現実の再現という役割から解放して、人間の心を動かす色彩や形態を模索した画家です。
和田:でもよく見ると、カンディンスキーは一枚の絵の中でも場所によって色々と描き方を変えていますね。細かく筆を置いているところもあれば、色面としてベタで塗られているところもあり、色彩の表現も構図も見応えがあります。
新畑:本展は日本の抽象を取り上げたセクションも見どころです。西洋の美術の動向を感じながら、1910年代に日本でいち早く抽象表現を試みていた恩地孝四郎をはじめ、萬鉄五郎や岡本太郎の作品も観ることができます。
なぜアメリカがアートの中心に?
新畑:第二次世界大戦後は、フランスからアメリカに美術の中心が移ります。フランスは第二次大戦で戦場となったため、国力としてはアメリカのほうが上になりつつあったからです。
戦後のフランスにも「熱い抽象(表現的な抽象)」や「冷たい抽象(幾何学的な抽象)」といった新しい抽象を発展させますが、アメリカはニューヨーク近代美術館(以下MoMA)が中心となり1958年から翌年にかけて「新しいアメリカ絵画(原題:The New American Painting)」という展覧会をヨーロッパ8ヶ国に巡回させ、ジャクソン・ポロックやウィレム・デ・クーニングを含むアメリカで生まれた新しい美術を示し、アメリカ美術の存在感を見せつけるような形となりました。
和田:なるほど、そこからフランスの美術があまり語られなくなってしまったんですね。ヨーロッパでは、歴史上それまでにないような新しい絵画が登場するたびに少なからず反発のような動きが起きてきましたが、アメリカではそういったことをあまり聞かない気がします。アメリカが新しい美術に対して寛容なのはなぜでしょうか?
新畑:本展でも作品を紹介しているハンス・ホフマンやアーシル・ゴーキーをはじめ、ヨーロッパからアメリカに渡ったときに学校で教鞭もとった複数人の画家によって、アメリカの若い芸術家たちがヨーロッパのモダニズムとのつながりを果たせたからだと思います。また、アンリ・マティスの息子であるピエール・マティスはニューヨークで画廊を開き、ヨーロッパの作品をアメリカに紹介していました。もちろん当時は反発もあったと思いますが、2度の大戦で本土が戦場にならなかったアメリカは経済力が高く、美術も盛り上がりました。
アーシル・ゴーキー《無題》1946年頃 石橋財団アーティゾン美術館
和田:アメリカが、なぜ国策として美術を重要視したのかも気になります。
新畑:美術は、国力を分かりやすく示すものだからです。例えばフランスのナポレオンも、自らの権力を印象付けるためにアートを活用していました。
和田:美術の中心がアメリカに移った背景には、そういう理由があったのですね。その後抽象絵画の動きは、アメリカでどのように展開していったのでしょうか。
新畑:端的に言えば、アメリカは抽象画を純粋な絵画の形としてさらに推し進めました。それらのアメリカの抽象絵画はやや男性至上主義的な部分があるのですが、ジョアン・ミッチェルやヘレン・フランケンサーラーをはじめとする素晴らしい女性作家も輩出しています。本展では、そんな女性作家の作品を数多く展示しました。もちろん女性だからというわけではなく、純粋に「良い」と思える作品を選んでいます。
和田:昨今は女性作家の評価を見直そうという機運も高まっていますが、純粋に作品自体が評価されているのが一番素晴らしいことですね。
セクション7「抽象表現主義」展示風景 撮影:木奥惠三
抽象絵画のこれから
展示会場を一巡した後も、和田さんと新畑さんの「抽象」をめぐる対話は続きます。
和田:抽象絵画の歴史を一通り見たところで気になったのは、技法の問題です。本展に並んでいたジャクソン・ポロックや白髪一雄のように、筆ではなく、体を使って描くようなアクション・ペインティングといった絵画運動も登場しました。抽象絵画は、このようにどんどんと新しい技法を求めながら展開していったのでしょうか。
新畑:たしかに抽象絵画において技法は重要です。スタンダードに絵具と筆を使う描き手もいる一方で、現在は糸や写真といった他の素材を活用する描き手も登場し、抽象画は多様化し続けています。最近ではAIが話題ですが、私自身は、抽象画は人間にしか描けないものだと考えています。
和田:この展覧会を通じて抽象画の良さを理解できた一方で、どうしても抽象画が絵画の到達点のように感じてしまう部分もありました。抽象の先に行くことは、すごく難しいことのように感じられたんです。
新畑:抽象が生まれておよそ一世紀経ちますが、私自身は、抽象が行き詰まることはないと思います。時代が変わる中で、現代の作家たちは常に従来の抽象絵画とは違った表現を模索してきました。これからの作家たちはどんな選択をしていくのか。平面を越えて3次元の作品に挑戦するのか、 あるいはテクノロジーを駆使してインターネットの世界に入り込んでいくのかというような、縦横無尽の広がりを歓迎したいと思っています。
堂本尚郎《集中する力》1958年 石橋財団アーティゾン美術館
新畑:それよりもむしろ僕が危惧しているのは、今の絵画は社会的意味を帯びたものに重きを置きすぎていることです。もっと純粋に抽象表現を模索する作家に活躍してほしいですね。
和田 :日本をはじめアジアで抽象に取り組む作家は、西洋の美術の動向を取り入れないとやはり評価されにくいのでしょうか。
新畑:そうですね。本展で紹介しているアジアの作家だと、ザオ・ウーキーと堂本尚郎は戦後パリに行き、熱い抽象を学ぶ中で、自らのアイデンティティの確立のために水墨画や日本の絵画を油彩制作に役立てました。
和田:私は、日本人の作家の評価がもっと高まっていってほしいと思っています。逆に、日本の作家が西洋の作家に影響を与えた事例はありますか?
新畑 :「黒と光の画家」と言われるピエール・スーラージュは、日本の美術の存在を知っていました。日本は海外に自国の文化を上手に紹介できていないという側面はいまだあるでしょう。やれることはまだまだたくさんあると思います。
セクション11「巨匠のその後 —アンス・アルトゥング、ピエール・スーラージュ、ザオ・ウーキー」展示風景 撮影:木奥惠三
抽象絵画を観る楽しさ
和田:今回は、取材のテーマとして「芸術は誰が評価して、どのように世界に伝播していったのか」を知りたいと思っていました。展示には、抽象絵画の展開を要約したMoMAの初代館長アルフレッド・バー・Jrによる系統図や、日本の抽象絵画の先駆的存在である長谷川三郎が書いた文章もあり、言葉が果たす役割の重要性も知ることができて良かったです。
アルフレット・H・バーJr. 監修 展覧会図録『キュビスムと抽象芸術』1936年 ニューヨーク近代美術館 石橋財団アーティゾン美術館
新畑:美術作品には、美的価値が伴っていなければなりません。美的価値の中には、色や形といった造形的な部分はもちろんですが、発想や技法の新しさなどが含まれており、抽象絵画に関してはそれらがとりわけ重要です。
和田:なるほど。どんなに新しい発想・新しい技法であっても、美しいものとして人の心を動かせるかどうかが重要ですよね。美的価値と言うと難しく聞こえてしまいますが、抽象絵画の良さは、画面に寄って細部に気づいたり、または引いて物質としての迫力を感じたり、素直に観ることの楽しさを知れるところなのだと思います。
具体的に描いてある絵画は、ある程度解釈に正解が出てきてしまう。でも正解がない抽象は、美術としての楽しみがいがありますね。
新畑:おっしゃる通りです。抽象の「抽」は「何かを取り出す」という意味があり、「象」には「何かを形として示す」という意味があります。抽象的に見える絵画でも作家本人は具象を主張するなど、抽象の定義は人それぞれですが、単純に言葉の意味で考えると、すべての絵画が抽象の条件に当てはまります。
和田:つまり、絵画はどんなものであれ「抽象」なのかもしれませんね!この展覧会と新畑さんとのお話を通じて、作品の見方やそれがどのように評価されてきたのかなど、抽象にまつわる疑問がクリアになりました。ありがとうございました。
information
ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開 セザンヌ、フォーヴィスム、キュビスムから現代へ
■会期
2023年6月3日(土)〜8月20日(日)
10:00-18:00(8月11日を除く金曜日は20:00まで)*入館は閉館の30分前まで
■休館日
月曜日(7月17日は開館)、7月18日
■主催
公益財団法人石橋財団アーティゾン美術館
■会場
〒104-0031 東京都中央区京橋1-7-2
アーティゾン美術館 6・5・4階 展示室
DOORS
和田彩花
アイドル
アイドル。群馬県出身。2019年6月アンジュルム・Hello! Projectを卒業。アイドル活動と平行し大学院で美術を学ぶ。特技は美術について話すこと。好きな画家:エドゥアール・マネ/作品:菫の花束をつけたベルト・モリゾ/好きな(得意な)分野は西洋近代絵画、現代美術、仏像。趣味は美術に触れること。2023年に東京とパリでオルタナティヴ・バンド「LOLOET」を結成。音楽活動のほか、プロデュース衣料品やグッズのプリントなど、様々な活動を並行して行う。 「LOLOET」HPはこちらTwitterはこちらInstagramはこちら YouTubeはこちら 「SOEAR」YouTubeはこちら
GUEST
新畑泰秀
石橋財団アーティゾン美術館教育普及部長/学芸員
石橋財団アーティゾン美術館教育普及部長/学芸員。横浜美術館主任学芸員、石橋財団ブリヂストン美術館学芸課長、石橋財団アーティゾン美術館学芸課長を経て現職。これまでに企画・担当した展覧会として、2004年『失楽園:風景表現の近代 1870-1945』、2008-09 年『セザンヌ主義』(以上横浜美術館)、2011年『アンフォルメルとは何か?』、2013年『都市の印象派-カイユボット展』、2014年『ウィレム・デ・クーニング展』(以上ブリヂストン美術館)、2021年『Steps Ahead』、2021年『ジャム・セッション 写真と絵画−セザンヌより 柴田敏雄と鈴木理策』(以上アーティゾン美術館)など。現在アーティゾン美術館にて開催中の『ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開』を担当。
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