• ARTICLES
  • “公共”彫刻ってなに? / 連載「和田彩花のHow to become the DOORS Season2 もっと知りたいアート!」Vol.3

SERIES

2024.02.09

“公共”彫刻ってなに? / 連載「和田彩花のHow to become the DOORS Season2 もっと知りたいアート!」Vol.3

Interview&Text / Mami Hidaka
Photo / Meg Omori
Illust / Wasabi Hinata

19世紀の画家 エドゥアール・マネに魅せられたことをきっかけに美術史を学び、日々熱心にアートシーンを追いかけ続ける和田彩花さん。一年以上にわたるフランス留学を経て、絵画やインスタレーション、パフォーマンスといった作品そのものだけではなく、アートと社会の結びつきについてもさらに関心が深まったといいます。

今更聞けないアートにまつわる疑問やハウツーを、専門家の方をお呼びして和田彩花さんとともに繙いてきた「和田彩花のHow to become the DOORS」。Season2では、時代やジャンル関係なくアートを広く楽しむ和田さんが「もっと深く知りたい!」と思うアートについてそれぞれの専門家と一緒に鑑賞し、話しあう様子をお伝えしていきます。

Season2 第3回は、街中にある公共彫刻の意味や、裸体像が多くつくられてきた歴史的背景を深掘りしたいという和田さん。その関心を出発点に、今回は公共彫刻を中心に研究を行い、美術史におけるジェンダーアンバランスについて論じてきた、彫刻家であり評論家の小田原のどかさんをゲストにお迎えします。待ち合わせ場所になるような国民的な公共彫刻もありながら、あまり焦点が当たってこなかったその存在意義や歴史的背景について多角的に話し合いました。

SERIES

Vol.2はこちら!

Vol.2はこちら!

SERIES

なぜ日本のミュージアムグッズは充実しているの? / 連載「和田彩花のHow to become the DOORS Season2 もっと知りたいアート!」Vol.2

  • #和田彩花 #連載

公共絵画とも公共工芸とも言わない。
なぜ彫刻だけ「公共彫刻」と言うのか?

和田:小田原さん、初めまして。お着物姿とっても素敵です!今回はジェンダーなどの社会的視点から美術史を読み解きたく、これまで女性の裸体像などの公共彫刻、美術史におけるジェンダーアンバランスなどの構造の歪みに言及されてきた小田原さんにいろんなお話を伺っていきたいです。最初に小田原さんが「彫刻家」として幅広いご活動をされるようになった経緯について教えていただけますか?

小田原:和田さん、よろしくお願いします。私は彫刻家であり評論家として研究や制作をしながら、自身で「書肆九十九(しょしつくも)」という小さな出版のプロジェクトも行っています。幼い頃から地元である仙台の公共彫刻を見て育つ中で、数千年もの長いあいだ野外に彫刻が置かれていることに関心を持つようになり、美術科彫刻専攻がある高校に進学しました。
彫刻との出会いが公共彫刻だったこともあり、彫刻が社会の中で担う役割について考え始めたときに、自分が彫刻家として作品を制作するだけではなく、これまであまり光が当たってこなかった彫刻史について研究し、書いて発信するということを続けてきました。今では、その研究の成果を大学の彫刻史の授業で学生たちと一緒に共有し学んでいます。

和田:街中に設置された彫刻は、長い間常にそこにありながらも存在感が希薄で、人々にとってあってないようなものになっていますよね。改めて考えてみれば「なぜここにあるのか」や「この人物は誰なのか」、「どんなコンセプトの作品なのか」「なぜ裸体なのか」と気になるものの、小さい頃から特別疑問を持つ人は多くはないような気がします。公共空間における彫刻の役割は何なのでしょうか? 公共絵画とも公共工芸とも言わないのに、彫刻だけが「公共彫刻」と呼ばれるのも不思議です。

小田原:日本では、1961年に山口県宇部市で国内初となる野外彫刻の展覧会が行われ、70年代以降は全国の各地方自治体が主体となって「彫刻のあるまちづくり」という事業をやってきたので、彫刻の公共性を担う役割は特に大きいと思います。
私の出身地である仙台では、1970年代から2000年頃まで、一年に一度彫刻家に土地の景観を見てもらった上で景観に調和する公共彫刻を制作してもらうオーダーメイド方式を取っていました。そういう前提があって仙台の公共彫刻はどれも景観に調和する作品でしたが、一方で東京にはそもそも景観との調和が重要視されていない公共彫刻もあり、土地土地で随分と彫刻の様相が違うことに気づきました。

和田:たしかに東京の公共彫刻は、街中で唐突に出現するようなものもありますよね。これまで彫刻の研究をされてきて、小田原さんの中で公共彫刻はどのようなものと捉えていらっしゃいますか?

小田原:公共彫刻は、英訳して「パブリックアート」とも呼ばれることがありますが、パブリックアートは、彫刻のみならず公共空間に置かれる芸術作品全般を指す言葉です。日本がそれをあえて「公共彫刻」と呼び表してきたのは、公共空間に置かれる彫刻作品が公共彫刻であるというよりも、むしろ彫刻が公共空間を立ち上げるからだと思います。

和田:私自身、美術館が公共の場所ということもあってアートと公共性は常に隣同士にあると捉えています。公共空間の中で彫刻がどのような役割を果たしてきたのか、もう少し詳しく聞いてみたいです。

上野公園にある西郷隆盛像は、関東大震災の時には行方不明者を探したり、避難者の無事を知らせる紙が貼り付けられ、伝言板のような役割を果たしていた

小田原:明治期の戦中には、共通の「国家」という感覚を持つための国民的な記念碑としてブロンズ製の彫像の一大ブームが起こりました。木製ではいつかは朽ちてしまうけれども、ブロンズ製なら堅牢で半永久的に形を保つことができるので、彫刻は人為の長期保存を実現しやすい媒体だと言えます。
また明治期の日本は、近代化を急ぐ中で西洋列強に引けを取らない国力を示すために西洋式の建築物を早急につくる必要がありました。その建築物の装飾を任せられる国家に有用な彫刻家を育成する目的で、1876年には明治政府工部省の管轄のもと、日本最初の美術機関である工部美術学校がつくられました。

和田:なるほど。表現の追求というよりも、国力を示すための彫刻や国家にとって有用な彫刻家とはどういう存在かということが模索された時代だったのですね。

小田原:おっしゃる通りです。工部美術学校は、ミラノからイタリア人の彫刻家を招いて西洋式の彫刻教育を行っていましたが、短命に終わり、一代しか卒業生を輩出することができませんでした。10年後には、現在の東京藝術大学の前身となる東京美術学校ができ、彫刻家の育成を始めますが、その頃にはナショナリズムが台頭し、海外の美術家を招くことは行われませんでした。加えて、日本国家が求める作品のスタイルも海外からの眼差しを受けて江戸趣味的な傾向に回帰していきました。国家にとって彫刻家はどういう存在か、国家からどのような役割を期待されたか、明治期だけでも二転三転しているんです。

 

街中によくある女性の裸体像。
なぜこれほど多くつくられたのか?

和田:明治期につくられた公共彫刻には、特に女性の裸体像が多いですよね。なぜこれほど女性の裸体が彫刻されてきたのか、ずっと不思議に思っています。

小田原:明治期の西洋を強く意識する時代背景の中で、当時の彫刻家・芸術家たちは、留学したり海外から写真や資料を取り寄せたりして西洋美術を一生懸命学んでいました。ただ西洋美術史が礎にしている宗教体系や解釈学というよりも、表層や形式をなぞって裸体を彫刻することにばかり焦点が当たっていたのではないかと思います。そもそも裸体が何を表すのか、どのような意味を帯びているのか、芸術か猥褻かという問いは抜け落ちたまま、形式や表現の一つとして裸体を作ることが規範になっていきました。

和田:絵画であれば、一流の画家になるには裸体を正確にデッサンできるかどうかを必要とする風潮もありますよね。彫刻においても重要な技術だったのでしょうか?

小田原:そうですね。今でも美術系の大学では、美術解剖学や人体の仕組みを理解するための基礎として、裸体の彫刻がカリキュラムに組み込まれているところも多いです。一方で、最近ではジェンダーへの問題意識も高まり、それを少しずつ変えようとしている教育の現場もあります。

和田:西洋絵画で描かれる裸体は、立体的で肌がつやっとしていたり、若々しくて理想的とされるプロポーションだったりすることが多いですが、それはなぜなのでしょうか。

小田原:時代ごとにリアリズム(写実主義)の傾向も変化しますが、裸体は時代を超越するモチーフとして扱われてきたので、彫刻では生々しくリアルな裸体というよりも、老いや病を感じさせない完全な裸体を求められることがほとんどです。美術史が人間の身体を物として見ることを自明にしており、私自身はそれが様々な問題を孕んでしまっていると思います。

 

政治とカルチャーは地続きの関係。
制作背景や履歴を含めて作品を見る

和田:美術評論家の若桑みどりさんの著書『イメージの歴史』(筑摩書房、2012)でも、女性擬人像が持つ匿名性についてジェンダーの視点から考えられていました。小田原さんは、人間の身体を物として見ていくことの問題をどのように考えていらっしゃいますか?

小田原:当たり前のように人間の身体を物として見て、また完全な裸体ばかりを求めてきた美術史からは、人々の普遍性への信仰の厚さを読み解けます。けれども、その普遍性という概念は誰によってつくられたものなのでしょうか? 西洋中心だったり白人中心だったり男性中心につくられた普遍性ではないかと問いを持つ必要があります。
もちろん作品をあらゆる文脈や時代背景から切り離して見るという美術鑑賞のあり方もありますが、私自身は「誰が誰に依頼してつくられたものなのか」「どういうお金が使われてつくられたものなのか」「誰が見て、誰が書いて、誰が語ってきたのか」「誰がそれを買ってきたのか」という履歴も全部含めて作品を見ることが重要だと思っています。

和田:美術や音楽といった文化と政治は切り離して見るべきではないかという議論がよく起こりますが、文化と政治が地続きの関係にあることを改めて感じました。昨今ジェンダーへの関心が高まる中で、彫刻の評価基準はどのように変わってきましたか?

小田原:かつての日本では、近代化を急ぎ国力をつける中で、勝利をイメージさせるような力強い身体が良しとされ、軍人の男性像が多く制作された時代がありました。しかし現代では戦争を賛美してきたマッチョイズムはどんどん解体され、芸術の価値の判断基準も変わってきているので、かつてはいいとされていた作品を作ったところで評価は得づらいかもしれません。

2010年以降は、「彫刻」という言葉そのものがマッチョイズムを含むとして、美術教育の現場でも「彫刻」を冠する学科や専攻が解体され、「立体アート」「総合造形」と呼び変えて再編していく動きがあります。ある時代では醜いとされたものが別の時代では美しいとされるように、芸術の価値の判断基準は時代とともに移り変わり、彫刻が表すものも変わっていきます。昔は油絵を「洋画」と呼んでいましたが、その言葉も解体されて、今では「洋画」は外国映画を指しますよね。「彫刻」も「洋画」のように言葉の意味や内容が変わり、言葉の輪郭があやふやになりながら、ゆっくりと別のものに変わっていく過程にある気がします。

和田:小田原さんは、彫刻家としてどんな彫刻をつくり、評論家として彫刻をどのように語っていきたいですか。

小田原:今次の作品として取り入れようとしているのは五輪塔です。地震や台風のたびにガラガラと崩れ落ち、何度でも積み直すという形の塔のあり方は、高くそびえ立つ塔とはまた別の可能性を持っていると思うんですよね。そういう可変性を自分の彫刻作品の中に取り入れたいです。
私は、個々人の考えが変わっていくことの連なりに今の社会があると思っています。Black Lives Matterでも、過去の英雄が独裁者という評価に変わって彼らを象った彫刻記念碑が次々撤去されたように、彫刻というものは時代とともに変わっていくダイナミズムを経験してきました。人々の価値観や言説の変化も受け止める存在として彫刻があるということとその可能性を、率先して形におこし、語っていきたいという思いがあります。

小田原のどか「近代を彫刻/超克するー津奈木・水俣編」(個展、つなぎ美術館、2023)の展示風景。美術館の周辺の16体の公共彫刻を活用して、展示会場で「彫刻選挙」が実施された。

和田:素敵です。絶対にその作品を見に行きます!また以前、街中にある裸体像に対して、「像を溶かして別の作品に作り変えるのはどうか」「撤去してもいいかもしれない」という意見を聞いたことがあるのですが、小田原さんは、街中にある裸体像について今後どのようなあり方を想像しますか。

小田原:私は、全部撤去してしまえばいいと思ってはいないんですね。Black Lives Matterでは、過去の英雄の彫刻記念碑が引き倒されたり、抗議のメッセージがスプレーで書きつけられたりしましたが、そうして抗議が上書きされた状況自体も残しておいたほうがいいのではないかと思います。実際に日本では、戦中にたくさんつくられた国民の戦意高揚のための彫刻が、ほとんど金属回収とGHQの方針でなくなってしまいました。

それでは最初から何もなかったかのようになってしまうので、私は一度つくられたものを都度見直しては議論されていくべきだと思います。議論の機会をポジティブに捉えて、その彫刻の存在を不快に思う人がいるのはなぜなのか、抗議の声に積極的に耳を傾けていくべきです。自分の彫刻の扱いが知らないうちに変わり、批判や攻撃の対象になるのは作者にとってもつらいことなので、きちんと対話しなければ、誰にとっても不幸な結末になってしまいます。

和田:彫刻のあり方が変わっていく背景には、市民の力が強く働いていることを感じました。フランスでは、レピュブリック広場に自由と革命のシンボルとしてマリアンヌ像が立っており、デモのたびにそこに市民が集まり行進を始めるので、彫刻と市民が合わさるパワーを感じていました。一方で、まだ日本ではそこまでのパワーを感じたことがありません。これから私たち国民と彫刻は、どのようによい関係を築けていけるでしょうか?

小田原:公共空間にある彫刻は、基本的には展示期間がなく常にあるものなので、人々が変わっていけるかどうかの定点観測装置として活用できると思います。変わっていくのは彫刻ではなく彫刻を見る私たちであり、私たちが変わっていくからこそ彫刻をめぐって議論が起こります。時代や人々の価値観が変わるごとに、何度でも彫刻の意味を吟味できる力を鍛えていくことが大切です。

和田:なるほど。彫刻が変わらずそこにあることで、相対的に時代や人々の変化を見つめ直すことができるんですね。色々な角度からお話しいただき、ありがとうございました!

howtobecomethedoors2_3-10

 

Information

howtobecomethedoors2_3-9

「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか? ――国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ」

【開催概要】
◼会期 : 2024年3月12日(火)~5月12日(日)
◼会場 : 国立西洋美術館 企画展示室
◼休館日 : 月曜日、5月7日(火)(ただし、3月25日(月)、4月29日(月・祝) 、4月30日(火)、5月6日(月・休)は開館)
◼開館時間 : 9:30~17:30(金・土曜日は9:30~20:00)
※入館は閉館の30分前まで
◼入館料 : 一般2,000円、大学生1,300円、高校生1,000円
※中学生以下は無料。
※心身に障害のある方及び付添者1名は無料。
※大学生、高校生及び無料観覧対象の方は、入館の際に学生証または年齢の確認できるもの、障害者手帳をご提示ください。
※国立美術館キャンパスメンバーズ加盟校の学生・教職員は、本展を学生1,100円、教職員1,800円でご覧いただけます。(学生証または教職員証をご提示のうえ会期中、ご来場当日に国立西洋美術館の券売窓口にてお求めください)
※観覧当日に限り本展観覧券で常設展もご覧いただけます。
HPはこちら

how-to-2

 

DOORS

和田彩花

アイドル

アイドル。群馬県出身。2019年6月アンジュルム・Hello! Projectを卒業。アイドル活動と平行し大学院で美術を学ぶ。特技は美術について話すこと。好きな画家:エドゥアール・マネ/作品:菫の花束をつけたベルト・モリゾ/好きな(得意な)分野は西洋近代絵画、現代美術、仏像。趣味は美術に触れること。2023年に東京とパリでオルタナティヴ・バンド「LOLOET」を結成。音楽活動のほか、プロデュース衣料品やグッズのプリントなど、様々な活動を並行して行う。
「LOLOET」
HPはこちら
Twitterはこちら
Instagramはこちら YouTubeはこちら
「SOEAR」
YouTubeはこちら

GUEST

小田原のどか

彫刻家・彫刻研究・評論家・書肆九十九代表

1985年宮城県仙台市生、東京都在住。芸術学博士(筑波大学)。彫刻家・彫刻研究・評論家としての活動と並行して研究・執筆を行いながら、ひとり出版社・書肆九十九(しょしつくも)https://tsukumo.info/ の代表を務める。多摩美術大学、京都市立芸術大学、北海道教育大学に非常勤講師として勤務。主な単著に『モニュメント原論:思想的課題としての彫刻』(青土社、2023)、『近代を彫刻/超克する』(講談社、2021)。

新着記事 New articles

more

アートを楽しむ視点を増やす。
記事・イベント情報をお届け!

友だち追加