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- 日本画家・新埜康平と俳人・岩田奎が向き合う、「伝統」や「型」を用いた表現。守るためでなく、揺らし、遊び、拡張する
INTERVIEW
2025.12.03
日本画家・新埜康平と俳人・岩田奎が向き合う、「伝統」や「型」を用いた表現。守るためでなく、揺らし、遊び、拡張する
Taro Karibe / Photo
Yume Nomura(me and you) / Edit
日本画と俳句。伝統的な形式に軸足を置きながら、それぞれの表現を探求し続けている、日本画家の新埜康平さんと俳人の岩田奎さん。初対面の二人が、同様に長い歴史を持つ娯楽である落語を新宿末廣亭で鑑賞したあと、老舗の居酒屋・どん底で交流を深めながら対談を行いました。
ともすると敷居の高さを感じてしまうこともある「伝統」や「型」について、二人は「かえって自由を感じやすく、スピードが出る」「信じられる足場であり、そこからより高く飛んだり、揺らして遊んだりするためにある」と表現します。なぜそれぞれに現在の表現方法を選び取ったのか。現代を生きるうえで、伝統をどのように考え、未来に開こうとしているのか。日本画と俳句の共通点について。落語を観て感じたこと。共に時間を過ごし、大いに対話を深めた二人に、この日を通して感じたことをもとにした作品も制作していただきました。
日本画と俳句の分野で創作する二人が、伝統芸能・落語を一緒に観る
新宿末廣亭は、新宿区の地域文化財にも指定されている歴史ある寄席です。宮大工でもあった初代席亭・北村銀太郎の設計によって戦後に建て直された木造の建物が現在も使用されており、来年で80年を迎えるのだそう。

左から新埜康平さん、岩田奎さん

1946年に再建された新宿末廣亭。東京の定席では唯一となる木造建築。
平日早めの時間にも関わらずチケットを求める人がいて、娯楽として、現役で根付いている様子が伺えます。

初代席亭の孫であり広報を務める林美也子さんの計らいで、この日出演する落語家の林家木久蔵さんが、出番の前に顔を覗かせてくれました。木久蔵さんと新埜さんはなんと実は以前から知り合い。お父様の林家木久扇さんとは一緒にアートのグループ展を行ったこともあるそう。偶然の再会に、盛り上がりを見せていました。

林家木久蔵さん。この日演じたネタは、古典落語の「金明竹(きんめいちく)」。父の林家木久扇さんにも言及しながら、テンポと切れ味の良い温かな笑いで会場を沸かせていました。木久扇師匠譲りの華のある高座が魅力的です。
出入り自由な大らかさが魅力の一つでもある寄席。昼の部と夜の部の二部制で、プログラムは10日ごとに入れ替わります。この日の夜の部ではジャグリングや落語などの演目が行われ、新埜さんと岩田さんも、落語を中心にいくつかの演目を鑑賞し、時折笑い声を響かせていました。


寄席を見物したあとは、末廣亭からすぐの居酒屋、どん底へ。1951年に創業されたどん底は、文学界や演劇界、映画界などから数々の人々がサロンのように集い、新宿の文化をつくってきた場所の一つ。歴史あるこの場所でお酒を酌み交わしながら、二人にお話を伺いました。


どん底に到着。1951年の創業以来、黒澤明、越路吹雪など数多の文化人が訪れてきた。
曖昧さのある日本画の東洋的な魅力。短くて鋭い俳句の屹立性
──お二人とも、日本画と俳句という古くから続くジャンルで表現を行われていますが、現在の手法に興味を持ったきっかけを教えてください。
新埜:僕は足立区の出身で、下町のストリートカルチャーの中で育って、ヒップホップやグラフィティが好きだったんです。父がスプレーの倉庫で働いていたこともあって、グラフィティは身近な感じもしました。高校卒業後に本場の文化に触れたくてロサンゼルスに行ったことが、「自分が美しいと思うものは何なのか」をあらためて考える機会になったのですが、日本と距離をとったことで、かえって東洋的なものの魅力を感じたんです。その時期に日本画という絵画表現を知って、興味を持ち始めました。
新埜康平さんが松坂屋静岡店にて開催した個展『A MOVIE SCRIPT』
──東洋的なもののどんなところに惹かれますか?
新埜:さっき観た林家木久蔵師匠のまくら(本題に入る前の世間話や関連する小噺のこと)の中に、うまく言葉が聞き取れなくて、英語と聞き違えてしまうという言葉遊びの要素があったじゃないですか。あのまくらのような言葉の余白や曖昧さを使った間って、東洋的なものだと思うのですが、僕はそういう曖昧さのある美の感覚や感受性を美しいと感じるんです。
日本画の画材ってすごく面倒で、毎朝、膠を煮込まなければいけないし、絵の具のようにチューブから出してすぐに描くことができない。そういう手間もあるけれど、続けていこうと思う魅力があります。

──岩田さんが俳句を始めたきっかけも伺えますか?
岩田:もともと、ヒップホップが好きだったんです。高校に入るタイミングで、自分の学校が「俳句甲子園」という俳句を戦わせる催しに出ていることを知って、当時メジャーになり始めていたMCバトルとの共通性を感じました。
リズムの大切さや、短いフレーズに込めること、句会で仲間と句を共有し合ったり、自分がつくった句を誰かが「これいいね」ってフックアップしたりするフッド的な感じもヒップホップカルチャーに似ているなと思ったんです。
そもそも言葉というもの自体も結構好きだったんですけど、言葉って「おとなしい」とか「美しい」とか「素敵なもの」みたいなイメージがあるなかで、「戦う」ということの屹立した感じにも惹かれました。
──実際に始めてみて、どんなところに面白さを感じましたか。
岩田:短いということに尽きます。短いと理屈の世界ではなくなるし、共感の世界ともちょっと違う。自分が思っていることが全然句に反映されていなくて、伝わらなかったりするのも逆に面白いんです。その鋭さが今も好きですし、他の文芸と違うポイントだとも思います。

──その短さゆえの鋭さというのは短歌や川柳とも違うと感じますか?
岩田:川柳と俳句は大体同じサイズ感ですが、川柳は平たさへ向かって書かれていて、俳句は屹立性に向かって書かれているという、ざっくりした違いがあります。同じものとして扱っても別にいいと思うんですけど、一応「切れ」というものがあるかないかが違いとはされています。わかりやすいところで言うと、俳句には「や」「けり」「かな」などの「切れ」があることによって、普通の言葉の流れとは明らかに違う性格を帯びるんです。
もともと連歌の出発点となる発句だけを切り取ったものが俳句なので、俳句の成り立ち自体に切断性が含まれているとも言えます。

岩田奎さんの第一句集『膚』(はだえ)。第14回田中裕明賞、第47回俳人協会新人賞受賞作
作品に感情を乗せすぎない。感情は鑑賞する人の側にある
新埜:俳句を読んでいるときに、句が始まる前や終わった後のシチュエーションや景色、イメージの広がりを感じていたので、今のお話を聞いてなるほどなと思いました。
日本画って描き直しもできないし、消すこともできないから、基本的に後戻りせずに制作していくしかなくて。描かれたものをどんどん肯定しながら進んでいく。その潔さは俳句でいうところの「切れ」と共通している感覚かもしれない。

岩田:後戻りできなさについて言うと、もともと俳句って、即興性や場がつくることを大事にしていて、刹那に意味があるんです。だから本当にいい句は、着想の瞬間に完成形ができていることの方が多い。もちろん物理的には推敲が可能ですけど、推敲しない方が、形への衝動みたいなものが十全に発揮されている感じがあるんだと思います。
頭の中にある何かもやもやとしたものを形にしたいし、しかるべき形があるはずだと思ってとりあえず壁に投げつけてみたら、固まって何かしらの形ができるような感覚です。壁にひっついたものを剥がしたり付け替えたりしていると、衝動感が少し薄れてきてしまうんです。
新埜:日本画も、白いキャンバスに一つの点を置くという衝動的なところから始まって、イメージをどんどん膨らませて、何かを生み出していきます。その制作プロセスは、俳句と日本画の似ているところなんだと思います。僕の場合は、そこからまた距離を置く作業をするんです。
岩田:一旦寝かせるんですか?
新埜:そうですね。作品に対して、きちんと距離を持って見たいんです。それも「切れ」を保つためなのかもしれない。感情が乗りすぎると、わかってもらいたくなって説明的になってしまうから、「切れ」が弱くなってくるんだと思います。それに、作品は見てくれる人がいて完成するものだから、鑑賞する人に想像する場所を残すためにも余白を大事にしていますね。

──岩田さんは俳句をつくる際に感情をどのように取り扱いたいと思っていますか?
岩田:感情って、書いてみると意外とオリジナルにならなくて、どれも似てきちゃうんですよね。それに、わかりやすく味のする部分をつくると、同じ味しかしなくなってしまう。そういう料理がコースの中にあってもいいと思いますけど、全部それだと飽きるし、発展性がない。感情は鑑賞する人の側にあるものであって、作品が担うべき場所ではない気がします。
新埜:たとえば泣くことって、感動したときの落としどころの一つではあるけど、本来感動したときの表現は泣く以外にもあると思うんです。何か一つの落としどころに向かうと似た表現になってしまうのかもしれない。
岩田:言葉ってちょっと恥ずかしいものだと思うんです。たとえば全然笑ってないのに「ワロタ」ってSNSとかに書くじゃないですか。「感動した」とか「泣く」とか「切ない」とか「楽しい」とか言っているときに、「本当か?」って疑う感覚は必要だと思います。料理人が「これで人を殺すこともできるんだよな」と思いながら包丁を握るように、その危なさを危ないなと思いながら引き受けたいですね。言葉は嘘もつけるし、人を扇動して戦争を起こすことができる可能性もあります。感情は大事だけど、感情に触れうるものは危ないなと思っていたいですね。

伝統の「型」は守るためにあるわけではない。より高く飛び、遊ぶためにある
──伝統や型というものと、お二人はどのように付き合いたいと考えていますか?
新埜:落語と一緒で、日本画にもある程度の型が存在しているから、自分は作品から一歩引いて、少し距離をとることができるんだと思います。白い紙に点を一つ打つだけでも作品として成立し得ると思えるのは、伝統的な型が存在しているからこそかもしれない。だから僕は作品をゼロイチでつくっているとはあまり思っていないんです。
ある程度の枠組みという不自由さがある方が、自由を感じやすいと思うんです。何をしてもいい、どういうスタイルでもいいという状態よりも、枠組みの中でいかに自由に動けるかを探した方が、スピードが出ます。それは多分表現すること以外においても同じであるような気がしますね。
岩田:この前読んだ本に「古典性とは、私がそれを攻撃する必要のないものです」(『ゲルハルト・リヒター 写真論/絵画論』淡交社)という一文があって、確かにそうだなと思ったんです。
型というのは守るためにあるわけではなくて、信じられる足場であり、そこからより高く飛んだり、揺らして遊んだりするためにあると思うんです。俳句の約17音のリズムも、季語も、蓄積されてきたものだから、ちょっと揺さぶったぐらいでは崩れないだろうと思えるし、揺さぶりをかけることによって、逆にその強さを感じます。季語だって使わなくてもいいものだけど、絵の具を使うと色がつくように、便利だから僕は使うんです。自分1人でやっていても型と対話できるから、行きつ戻りつする余地が自分の中に生まれるところもありますね。
新埜:伝統的な型をとにかく守ろうとする立場の人もいますが、僕がやりたいのは日本画のあり方を拡大していくことです。型というものを窮屈に感じる人もいるかもしれないけれど、先人たちが培ってきた技法や技術を意識しながら、「こういうものもオッケー」というやり方を提示して、日本画を新しく変化させたい。
僕はやっぱり日本画というものに感動した人間で、昔の作品もすごく好きだし、描いている人たちのこともリスペクトしているから、その人たちがやってきたことをまた次に繋げていきたい。そのためにも、今しか生まれない日本画の技法や、今だからできる表現を取り入れながら制作していきたいんです。そうすることによって、また日本画が次の世代に繋がると思っています。僕がもしすごく歳をとって筆が握れなくなっても、次の世代の人たちが見たことのない日本画を描いてくれたらいいなと思います。

変化し続ける伝統に、「今」を取り入れていく
岩田:今おっしゃっていたことに近いかもしれないと思うのは、俳句にできることを試したいんです。便利そうな道具だけど、何に使えるかが、まだ十分に開発されていない感じがするので、「こういうことができるんだ」ってわかりたいですね。俳句の言語の機能は、多分もっと多くの人に有用だと思うんです。でも今はそんなにアクチュアルなものとして見なされていない。だからその可能性を開拓することによって、よりアクチュアルなものであることが証明できた結果として、俳句が広まっていったらとは思いますね。
とはいえもちろん、土木工事みたいに役に立つわけではないです。ただ、俳句には誰でも参加することができるようなアマチュアリズムがあって、少なくとも、俳句に適している一部の人とそうじゃない人がいるとは思わない。自分ではつまらないと思っていた日常の出来事が、実は句にする価値があるかもしれないし、読み応えがあるかもしれない。高橋由一が『鮭』を、東山魁夷が『道』を描いたように、一見何気ないものに実は価値があると示せる、エンパワーできるという意味で、アクチュアルと言えるかもしれないと思います。
──まだ価値を見出されていないものにフォーカスすることによって、既存の価値観を転換させることができるかもしれない。それは現実に大きな変化をもたらすことですね。
新埜:日常から面白さや美しさを見つけてくるというのはすごく東洋的な思想で、非日常的なものに美しさを感じる西洋文化との違いも感じます。落語も、まくらで現代の日常的な話題をやってから本題に入るじゃないですか。それは東洋的な遊び心だと思うんです。だから僕もモチーフは日常的なものから取っているんだと思います。「伝統」というとすごくハイソなものに感じるかもしれないけれど、絵を描かない人たちも含めた、みんなの生活の普遍的なところに続いてるものだと思うんです。

──伝統というものを考えるときに、「国」や「民族」などの大きなものを守ろうとする名目でトラディショナルな文化が利用されることもあると思うのですが、そうしたことに対して普段考えていることがあれば伺いたいです。
岩田:伝統とナショナリズムが時に結びつくことは、確かに難しい問題だなと思います。俳句も戦時中、体制側ではなかった人たちが投獄されましたし、俳壇によって戦争協力に近いようなことが行われていた経緯もあるので、何かに利用されるんじゃないかという敏感さは持っておきたいなと思います。伝統それ自体ではなく、その再解釈と賦活に価値があるのだと示していくほかないです。
新埜:ナショナリズム的なものとの関係性をどう考えるかはすごく難しいですが、僕があえて「東洋」という言葉を使っているのは、東洋思想の枠組みの中で日本画を捉えたいからです。
岩田:実は近代俳句の成立には、西洋画が関係しているんですよ。絵画でいう写生のように、俳句において見たままを写す「写実的」な美的価値を正岡子規が理論化していくときに、参考にされたのが西洋画の理論で。俳句はすごくドメスティックなものだと思われているけれども、実はそこには西洋風の美学や芸術学が流れ込んでいるところがあるんです。

新埜:日本画も本当に「メイド・イン・ジャパン」なのかというとそうではなく、中国から大きな影響を受けているし、常に変化し続けてきたものであると捉えています。だからそういう意味で、常に変化してきた日本画というものに対して、僕も新しい「今」を取り入れている感覚があります。
岩田:まくらで現代の話題に触れることもですけど、そうやって今を取り入れることにこそ、現代に生きている身体が伝統をやることの意味を感じるし、そうした繋がりの回路が開けることは、伝統の側にとっても、現代人の側にとっても、救いになると思います。
対談を経て、新埜康平さん、岩田奎さんが創作した作品
新埜康平

「be kind rewind #28」サイズ:455×455×50mm(S8号) 技法:顔料、銅箔、膠、和紙
今回の企画のご縁をいただき、自分が過去に訪れた事のある寄席会場を再訪させていただけたり、新宿の街は自分がスケートをしたこともあるので、今回のロケ自体が、丁寧に自分の記憶を巻き戻す作業のようにも思え、本作「be kind rewind」を制作いたしました。
ストップモーションで5人に分身した人物像は、それぞれに独特の調子を持った 上五・下五の5音と呼応するようにも思えます。
岩田奎
ありもせぬ秋の噺をしにゆかむ 岩田奎

ARTIST

新埜康平
アーティスト
東京生まれ。 東京を拠点に活動し、展覧会などを中心に参加している。 ストリートカルチャーや映画の影響を受け、仮名の人物や情景、日々の生活に根差した等身大のイメージをモチーフに制作。余白やタギング(文字)の画面構成等、様々な絵画的要素を取り入れている。
DOORS

岩田奎
俳人
1999年京都生。「群青」「オルガン」同人。『膚』(2022,ふらんす堂)にて田中裕明賞、俳人協会新人賞。ほか著書に『田中裕明の百句』(2024,同)、受賞に角川俳句賞、石田波郷新人賞など。
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