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2023.05.12

【後編】ネットじゃわからない、その場で体験するアートの価値って? / 連載「作家のB面」Vol.13 SHINSAKU DW

Text / Yutaka Tsukada
Photo / Ryosuke Uehara(KIGI)
Edit / Eisuke Onda
Illustration / sigo_kun

アーティストたちが作品制作において、影響を受けてきたものは? 作家たちのB面を掘り下げることで、さらに深く作品を理解し、愛することができるかもしれない。 連載「作家のB面」ではアーティストたちが指定したお気に入りの場所で、彼/彼女らが愛する人物や学問、エンターテイメントなどから、一つのテーマについて話してもらいます。

第13回目に登場するのはSHINSAKU DWさん。前編では長年続けている「カーレース」の話を中心にお聞きしました。後編では勝ち負けの哲学が、どのようにして美術につながっていくのかという話からスタート。さらには様々な情報であふれる世の中におけるアートの価値についてや、現在東京で開催中の個展「404 NOT FOUND」の話に展開していきます。

 

美術におけるルールって?

北海道・帯広に構えるSHINSAKUさんのアトリエで取材を決行。作品の前で話しはじめるSHINSAKUさん

ーー前編では「ルールが明快なことがレースの魅力」と伺いましたが、美術についてもそのように考えていらっしゃるのでしょうか?

SHINSAKU :美術も、ルールがあってこそ理解が深まると思っています。もちろんこれって人が描いたの?と驚かれるような作品を、長い時間をかけて描くのもアリだと思います。けれど、例えば写真の登場以降、絵画は現実世界の再現という役割を担う必要がなくなって、絵画は絵画そのものの意味を追求するようになりました。そこで画家たちは絵画の「ルール」を様々に考えてきたんですね。というか、そうしないと趣味になってしまって、商売にならなくなってしまったといってもいい。プロフェッショナルとして、ルールを売るのが美術家なんです。例えばクルマの整備だと、アマチュアが必ずしもプロに劣るわけじゃない。気が済むまで時間をかけられるから。プロには時間とコストの制約がある。でも、画家の場合、一生に一点だけ傑作を描くなんてことはあり得ないんです。

美術って自由なもので、誰にでもできると思われている部分があるじゃないですか。でもそうじゃないんです。スポーツとかの場合はプロになれるかどうかって自分でもある程度判断がつきますよね。でもなぜか美術は、自分でもやれると無根拠に思い込んでしまう。それは巡り巡って自分たちの価値を下げると思っていたので、以前自分が指導をしていた子供向けの美術スクールでは、あえて自由に制作することを禁止したんです。そのスクールでは4歳、9歳、14歳の区切りを設けて、その時々の発達段階に合わせたものづくりの価値基準を作っていくことを目標に教えていました。

だからそういう価値基準やルール、歴史を定石として学んではじめて、作品を作ることができるようになるし、鑑賞においても「その手があったのか!」という発見をすることが可能になる。新聞紙とかブルーシートの上で絵具をぐちゃぐちゃやっているだけじゃ美しくない。だから「美しいものとはなんなのか」というところからスタートしなければならない。そうしないと、綺麗なものとそうでないものの違いがなくなってしまう。そういうふうに考えて自分は制作をしてきました。それが皆さんに伝わるかどうかについてはわからないのですが、そういう勝負をしてるんです。

あと、昔読んだ『矢沢永吉激論集 成りあがり How to be BIG』(角川文庫)という本に、自分の好きなアーティストを応援することについて、「ハガキ出して、一位にしたかったけど、金もったいなかったしな。リクエスト・カードで決まるからね。心で思ってるのは票にはならない」というくだりがあったんですよね。それと同じで、美術家も誰かが身銭を切ってでも欲しいと思われないとダメだと思っています。

 

アルミニウムとの出会い

SHINSAKUさんの作品の一部。光の入り方や、見る角度によって表情を変える

ーー SHINSAKUさんはアルミニウムの上にペイントしたり、研磨したりした絵画を制作されています。どのようなきっかけでこのようなスタイルにたどり着いたのでしょうか?

SHINSAKU :芸大に落ちて浪人してる時、アメリカの美術館で抽象表現主義の作品を見て、そのどかーんと大きい作品に衝撃を受けたんです。ミニマリズムとかのアメリカ美術って大きいでしょう。だからまず、大きいものをきちんと作れるっていう風になってないと、作家としてやっていけないんじゃないか、ああいう場をねじ曲げるような作品じゃないと価値がないんじゃないか、と思ってやってきた。それがまず僕の前提としてあります。

素材については、当時フランク・ステラ(*1)が航空機材料のパネルとかを使っていたのを見て、いいなと思って。 ところが、調べたら畳1枚くらいのパネルでも1枚7万円くらいする。なんじゃそりゃ!と。そこで、最初はプラスチックのパネルを使っていたんですが、堅牢性がなくてやめました。やがて多孔質なので絵具の乗りもいいということもあり、アルミ二ウムを使うようになったんです。

*1……1936年生まれ。アメリカの抽象表現絵画を牽引する美術家。

アルミニウムを使うようになったのは、素材としての歴史が浅く、ニュートラルであることも理由としてあげられます。木とか竹とか、紙とか銅とか鉄とかってのは、これまでたくさんの美術作品に使用されてきました。そういうマテリアルは使いたくなかった。僕の生まれ育った、そして今も生活しているこの北海道はある意味、移民の集まりみたいなところがあります。家系的にも父方が香川、母方が長野からの移住者で、僕は4代目です。そういうルーツを踏まえると、村上隆さんみたいに、日本文化をテーマにするという方向性も考えづらいんですね。根無草みたいな無力感すらあるんです。

そもそも抽象絵画に初めて衝撃を受けたのは、高校1年生のときに画材屋のギャラリーコーナーに展示してあった1枚の抽象画を見た時のことでした。「何も描いてないじゃん! ただの六角形じゃん!」と思った一方で、具象ではなく、抽象でも「絵画」なんだとびっくりしたんですよね。自由でいいんだ!って。あれ? さっきの話と矛盾してます?

アルミニウムをカットする時に使用するカッター

裁断されたアルミニウム

アトリエにあった裁断する際の数式が書かれたメモ

ーー具体的な制作プロセスについて教えてください。

SHINSAKU:アルミニウムの上に銀色でペイントしたり、研磨したりしながら描いた2つの絵画を裁断し、奇数とか偶数とかのルールを決めて、それにのっとって組み替えた作品を制作しています。1枚の絵が2枚に分かれているので、見た時に似ている部分を鑑賞者が探すような感じになっています。それと反射する素材なので、ホログラムみたいに立つ位置によって見え方が変わることも意識しています。反射の仕方についても、見る人がトーンを表面に感じるか、奥にあるように感じるかまでを考慮し、画材や磨きの反射率を工夫して、調整しながら作っています。だから綺麗かどうかはあくまで鑑賞の入口で、見る人には自分なりの見方や意味を探してもらいたい、成り立ち自体を面白がってほしいなと思います。

今はウェブ上に写真も含めて情報があふれていますが、なるべくその場で体験をして、かつ実物を見ないときちんとジャッジできないものに価値があるのかなと思っているので、そういう要素をできるだけつくるようにしているつもりです。

 

「404 NOT FOUND」に込めた思い

SHINSAKUさんがカーレースで使用する愛車。カーレースに出場する際の車体番号も「404」

ーー SHINSAKUさんはドイツでも発表をされています。それにはどういった経緯があったのでしょうか。

SHINSAKU:札幌で発表をしていたのですが、自分の一番尖った部分、いわゆる渾身の作品をぶつけても、何回やってもこれといったリアクションがない。一人だけ良いと言ってくれた学芸員がいたけれど、異動で本州の美術館に行ってしまい、それきりでした。そこで海外に出るしかないと思い、知人のつてでドイツでギャラリーをやっている日本人を紹介してもらい、2006年に初めてドイツでグループ展に参加しました。海外に目が向いたのは、高校生のころに日本人の二輪レーサーが世界グランプリでガンガン勝ち始めていたのを見て、自分もいつかは美術で海外に出ていきたいと思ったことが原点。僕の作る作品は美術史や理論をある程度知っている必要があって、理解できる人が絞られてしまうので、「ドイツで誰にも届かなかったら、地球上で評価される場所はもうどこにもないよな」とは思いましたけどね。そう考えて、怖くなったことは覚えています。

でも、その後個展をしたら、日立ヨーロッパのビルを設計したドイツ人建築家が、ビルのファサードに僕の作品を入れたいと言ってくれたんです。このことがきっかけで認めてもらったような感じはありますね。以降もドイツで発表をしていて、作品を購入してもらっています。ハンブルクのアートフェアに出した時に、「お前の作品か? お前は幸せになるよ」といきなり話しかけてきた老人がいたのですが、その人は作品を購入してくれた、北ドイツの金属会社の社長でした。自宅に飾るために買ってくれたそうです。海外のコレクターの人って、ホームパーティーを開いた時に、自分の教養をアピールするために作品を見せたりするんですよね。

ーー最後に個展「404 NOT FOUND」についてうかがわせてください。

SHINSAKU:東京には全然ご縁がなかったんですが、会場である〈OFS GALLERY〉の植原亮輔くんや森谷健久くんとは長い付き合いがあるんです。彼らが「是非一緒にやりましょう」と背中を押してくれたので、それならば神輿として担がれてみようと(笑)。彼らは札幌時代に画家・花田和治(*2)に師事した、共通の弟子でもある。アルミニウムの2枚組の作品だけではなく、小品やアパレル、花田をはじめ僕が影響を受けた作家の画集の販売も行っています。

*2……1946年北海道札幌市生まれ。東京藝術大学で小磯良平に師事し油彩画を学ぶ。74年に帰郷、その後の生涯を通じて北海道を拠点に制作を続け、独自の抽象表現を確立した。享年72歳。

タイトルの「404 NOT FOUND」は、インターネットの検索で存在しないURLであることを表示するときに出てくるコードですが、もともと僕はこれをカーレースに出場する車両の登録番号として使用してるんですよ。実はこの「404」は、僕が指導をしていたスクールでごたごたがあって、他人と距離をおきたい気分になっていたときに、あえて選んだ番号なんです。だから個展のタイトルを決めるにあたって、植原くんと相談して、やはりストレートに「404 NOT FOUND」がいいね、となったんです。自分は東京で発表してきてないですし、知られている存在でもないですからね。でも今回は本当に様々な人に協力してもらっていますし、いろんな人に作品を見てほしいなと思っています。

帯広のアトリエ前、愛車のフィアットの横に立つSHINSAKUさん

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前編はこちら!

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【前編】ルールがあるから、レースはいい。北海道のアーティストが「カーレース」に挑む理由 / 連載「作家のB面」Vol.13 SHINSAKU DW

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infomation
「404 NOT FOUND」SHINSAKU DW作品展

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北海道に在住するSHINSAKU DWにとって東京では初めてとなる今回の個展。本展のために制作された最新作と近作を合わせて展示します。また、彼の作品をモチーフとしたグッズも販売。通常のホワイトキューブとは一味違うOFS GALLERYの空間で、SHINSAKU DWの世界との出会いを楽しめる展示となっている。

会期:2023年4月28日(金)〜5月28日(日)※作家在廊日:5月28日(日)
会場:OFS GALLERY(東京都世田谷区池尻3-7-3 OFS.TOKYO)
時間:12:00〜20:00(展示最終日は18:00まで)
休廊日:火・水
主催:OFS GALLERY
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ARTIST

SHINSAKU DW

アーティスト

北海道帯広市生まれ。愛知県立芸術大学 美術学部美術科油画専攻卒業。クリフォード・スティルやフランク・ステラをはじめとしたアメリカの抽象表現主義やミニマリズムの作家に影響を受け作品を制作。一時期はドイツのみで新作を発表していた。現在は地元である北海道を拠点に制作活動を行っている。主な個展に「Das unsichtbare Sehen」(2012、MIKIKO SATO GALLERY、ドイツ・ハンブルグ)、「The Secret Life of Inanimate Object」(2006、豊田市美術館ギャラリー、愛知県豊田市)など。

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