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2022.05.13

パブリックアートはその街に痕跡を残す / 連載「街中アート探訪記」Vol.6

Text / Shigeto Ohkita
Critic / Yutaka Tsukada

私たちの街にはアートがあふれている。駅の待ち合わせスポットとして、市役所の入り口に、パブリックアートと呼ばれる無料で誰もが見られる芸術作品が置かれている。
こうした作品を待ち合わせスポットにすることはあっても鑑賞したおぼえがない。美術館にある作品となんら違いはないはずなのに。一度正面から鑑賞して言葉にして味わってみたい。
なかでもパブリックアートで街おこしをした成功例が前回訪れたファーレ立川だそうだ。多くの作品の中で、じっくり時間をとって見ようとした作品が2つある。後ほど、この作品を通じて街とアートの関係性について急にはっきりとわかることとなった。

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立川はパブリックアートを大々的に置いて成功した街の代名詞とのこと。ぜひ前編もあわせてご覧ください。

立川はパブリックアートを大々的に置いて成功した街の代名詞とのこと。ぜひ前編もあわせてご覧ください。

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パブリックアートの聖地ファーレ立川でアートを街ごと鑑賞する / 連載「街中アート探訪記」Vol.5

  • #大北栄人・塚田優 #連載

気づかないアート

塚田:ファーレを見るにあたって事前に大北さんがピックアップした作品がありましたよね。いま何食わぬ顔で通り過ぎたのがそのうちのひとつですよ。

大北:あ、これか! 全く気づかなかった(笑)。

塚田:これについて話を聞きたいということだったのに……なんでスルーなんですか!

坂口寛敏 / 『バーコード・ブリッジ』

大北:これ、ほんとのタイルだ! これは気づかないですよね(笑)。

塚田:そうですね。本当に建築用のタイルだから作品としての材料費は0円なんですよ。ファーレ立川の建築計画の予算内で作品が完成したそうです。だけど、バーコードになっている。

大北:言ってみれば、タイル貼る職人の遊び心の範囲内のことでもありますよね。

塚田:そうですね。でもこれはバーコードになっていて、ファーレ立川の予算が読み取れるそうです。

大北:あ~、おもしろい、予算が(笑)。

塚田:実際に読み取れるのかどうかはわからないんですが、配列自体はそうなっているそうです。

大北:これを写真にして小さくしてレジに持っていくか、めちゃくちゃでかいバーコード読み取る機械を通したらってことですよね。

塚田:バーコードに着目して最高に節約できた作品です。

大北:あーなるほど、バーコードという資本主義の申し子みたいなところを使ってゼロ資本、とも考えられるのか。うわ~、おもしろいな~。

使われているものはここに使われているのと色違いのタイル

 

都市における自然とはなにか

塚田:作家は坂口寛敏さんって方なんですが、いつもの作風の感じと全然違って驚きました。

大北:アーティストの傾向がある?

塚田:この方、東京藝術大学の先生だったんですよね。ぼくの同級生がこの人の研究室に行ってたんですけど、登山とか好きな方で割と自然派の人なんだそうです。他の作品ですと池に植木鉢を並べたりとか、自分が作った立体とかを森の中で展示したりとか。自然の中で作品をどう共存させるかってことをやってらっしゃる作家さんというイメージがあったんですけど、まさかこんなね。めっちゃバリバリ都市みたいな感じで意外でした。

大北:おお、ジブリ的な世界かと思いきや。

塚田:でも今日来るにあたってインタビューを読んでみたんですが、そしたら「私は自分が作品を置く場所に異質なものを置きたくない」というようなことを言っていました。じゃあ都市空間に作品を置くにあたっては工業的なものを使ってやってみようということかなと。しかも作品のテーマにも経済活動と関連させるようなテーマも込めていると考えると、そこも一貫してます。

大北:あー、ほんとの意味での自然というか。

塚田:つまり都市にとって自然とは何かって考えてこういうアプローチをやってみたのかなと。

ファーレ立川の建築の予算の上を行き交う人達

 

予算に沿って自然に、それ自体が予算を表す

大北:ファーレの建築計画がこうなら、じゃあ俺ここの区画で作品作ります、みたいな感じでやってたんですかね。

塚田:それの調整は恐らくアートディレクターである北川フラムさん中心にやっていたと思います。海外のアーティストだと、置けるものと置けないもの、国ごとに建築の法律による基準がずれたりするんですよ。日本じゃダメみたいなこと言われたとか、その辺は必ずしも希望通りになったわけではないそうです。

大北:あ~なるほど。最近土木の人の話を聞いたんですよ。こうした歩道橋を含め、土木ってほんと一切のコストをかけられないものなんですって。だからこれちょうどいいですね。

塚田:本当にそうですね。普通にみんなめっちゃ歩いてますし。

大北:言われないとわからない、ああそうか、それも自然であるってことですかね。すごいな~、よく考えられてるんですね!

塚田:もう一件、大北さんがじっくり見ようと言ってた作品がこの駐車場の左の壁と右に立ってるやつですね。

白川昌生 / 『無題』

大北:左に掲示されてある作品の切り抜かれた中身が立ててあるんですよね。何の形ですか?

塚田:形はあれですよ。上から見るとわかると思うんですけど……この駐車場に入る道の形です。

大北:(爆笑)。

塚田:ツボに入ったんですね……めっちゃ爆笑してるじゃないですか。

この駐車場に至る道の形が掲示されている

 

なぜこの道を切り抜いたのか

大北:すみません、そうだそうだ(笑)。 なんでそんなことするんだ!? って改めて可笑しくなっちゃって(笑)。

塚田:この場所だからですよ!この形はだって、この駐車場に至る道じゃないと生まれてこないじゃないですか。だからここでしかできない作品ということになるわけです。

大北:いやー、最高だな。すみません。「ここにある」「ここの形である」ということが切り取られて前に出てるわけですね。

塚田:さっき大北さん爆笑してましたけど、よくよく考えてみると「うまいなあ」って思う作品です。ふつうはこの駐車場に至る道を切り取ってから作品にしようって思ったら、どちらかがあればいいじゃないですか。

大北:壁の「切り抜かれた板」か、立てられている「切り抜いた板」か、どちらかですね。

塚田:そうです。道の形とそのどちらかの作品が置かれていればコンセプト自体は分かりやすく伝わるはずなんです。でもどちらを先に思いついたのかは分からないですけど、作品を作るにあたって端材が生まれますよね。その端材もまたこの道と関係を持った、何か物質としてあるわけじゃないですか。

大北:Aという道から作品Bを作って、Bの端材CもまたBと同じく道Aから生まれたもの。

塚田:だったら、両方置いてこの3つで1つの作品にすることで、単なるモニュメンタルな彫刻じゃなくて、空間的な1つの演出として、作品が提示されることになるんです。

大北:なるほど。

塚田:経済的でもあるし、最小限の手数でこの駐車場に入る道を美的だったり、感性的な経験の場として絶妙な味わいの作品にしてるっていうか……。

切り抜かれたのか切り抜いたのか、どちらが先か?

 

彫刻から空間になる

大北:2じゃなくて3になることによって空間的な演出になる?

塚田:2つの関係性ではなく3つの関係性になると、考え方のバリエーションが一気に増えることになりますよね。

大北:なるほど、2つだけだと線の関係性だけど3つあることで面ができることも、空間的とも言えるかなあ。

塚田:3つあることによって、この場所が持っている経験について、それぞれ抽出されてるわけですよね。この道は壁にかけるとしたらこうなるんだ、立ち上がったらこうなる。それがこの地面を含めると3つあるんですよ。あれ? あんまピンときてないですか?

大北:すんません、抽象的な話を理解できなくて(笑)。えーと、経験っていうのはこの土地がもつ経験? 我々が見にきた経験?

塚田:それはどっちもあっていいんじゃないですか。道がこういう形だっていうのは、この土地が持つ経験ですよね。端的にいうと、事実のことです。でも一方で、我々がここで見たり感じたりするのは必ずしも「道の形」に着目したものではないかもしれないけれども、それもまた経験です。

大北:ああ、なるほど、そういうのも経験。「ここにあってきた」道!ってことが3つに増える。彫刻が空間、インスタレーション作品のように変わると。

屹立する道の形

 

美術は何らかの痕跡である

大北:でもそもそもこの道を展示する必要なくないですか? 「駐車場にいたる道です」って。「おお、そうか」としか言えないのでは……。

塚田:でもここに作品を置くにあたって、どういう形を置こうかと考えた時に彫刻として意外とこの道の形はかっこいいんじゃないかと思ったんじゃないですかね?

大北:なるほど。じゃあやっぱりこっちの立ってる方が先なんですかね?

塚田:僕が調べたかぎりはどっちが先かわからなかったんですけど。

大北:どちらかが二次創作物になるかもしれない。それがどっちだか限定されないのも面白いなあ。

塚田:話をまた抽象的にしてしまって恐縮なんですけれども、「作品はなんらかの痕跡である」というアプローチで作られたものってけっこうあるんですよね。

大北:痕跡……また頭が痛い!

左の塚田が難しいことを言い、右の大北の頭が痛くなっている

塚田:写真とかも痕跡じゃないですか。人間の文化って、ずっと痕跡性を追求してきたとも考えられるんですよね。絵画だったらその一瞬を描くことによってかつてあった出来事をずっと残せるし、彫刻もそうですね。偉大な人を彫刻に残せばその人は生きてるかのような立体物としてずっとある。だからトリノの聖骸布とかがありがたがられているのもそういうことなんです。

大北:セイガイフ!ありそう!

塚田:聖骸布とはキリストが死んだ時に包まれたとされる布です。なので宗教的に超重要なものとされているわけですが、私たちの文化的な営みの中での痕跡をどういうふうに表現するかっていうのは、いろんなやり方が実践されてるんです。多分そういうことも頭の片隅にあったから、こういうアプローチをした可能性も考えられます。わざわざ2つも痕跡を残していますしね。普遍的なテーマ設定としてこういう方法をとったのかもしれません。

大北:なるほど、痕跡を残すために作るし、作ったことでまた痕跡として端材の作品が生まれるし。うわ、よくできてるなあ~。

塚田:この人、著述活動もされる方で、もともと非常にクレバーな作家さんなんですよ。ご本人は喋るとめちゃフランクなんですけど、文章書くと理論的。僕も学生のとき白川昌生さんの本を読んでいました。他ですと2019年のあいちトリエンナーレで議論の的になった「表現の不自由展」にも出したり、政治的な意味を含んだ作品も得意としています。

ファーレ立川をめぐる中で出会ったまた別の作品

 

人々の痕跡である“街”から生み出された芸術

大北:これとか、作品の裏側もちゃんとあるんですね。

塚田:建物の構造にうまく合わせながら作品があるのがファーレ立川の全体的な特徴ですよね。

大北:ここにあるものに合わせる。たとえば他の芸術祭でも「ここの土地に作るならどう作ろうかな」ってそこにまつわるようなものを作るんですかね?

塚田:そうですね。けっこうそれは王道的なアプローチです。

大北:それってどういう意味があるんだろうなと思ってましたけど今日疑問がとけました。こうやってファーレ立川でめちゃめちゃな数のアートを見たじゃないですか。それって立川という街をきっかけに生まれたものなんですね。街の痕跡を作品にするとか、そこの土地に合わせるということをすれば、この立川って街から、人が街に対して感じてることとか、人が立川の街から生み出したものが色んな多様な形で現れる。そもそも街は人の営みの塊であるし、様々な手の入った痕跡でもある。芸術祭とかファーレは、そんな人の営みを抽出しているってことですかね?

塚田:すごくいいまとめだと思います。

大北:やった、これだ。

塚田:これですね。

立川という場所に積み重なった人の営みが芸術作品になったとも言えるのでは

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動いても、無くなっても彫刻。霧の彫刻を見に行く / 連載「街中アート探訪記」Vol.7

  • #大北栄人・塚田優 #連載

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DOORS

大北栄人

ユーモアの舞台"明日のアー"主宰 / ライター

デイリーポータルZをはじめおもしろ系記事を書くライターとして活動し、2015年よりコントの舞台明日のアーを主宰する。団体名の「明日の」は現在はパブリックアートでもある『明日の神話』から。監督した映像作品でしたまちコメディ大賞2017グランプリを受賞。塚田とはパブリックアートをめぐる記事で知り合う。

DOORS

塚田優

評論家

評論家。1988年生まれ。アニメーション、イラストレーション、美術の領域を中心に執筆活動等を行う。共著に『グラフィックデザイン・ブックガイド 文字・イメージ・思考の探究のために』(グラフィック社、2022)など。 写真 / 若林亮二

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