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2026.01.28
【前編】ファッションで模索した自己という存在の輪郭 / 連載「作家のB面」 Vol.39 川井雄仁
Photo/Sakie Miura
Edit/Eisuke Onda
Illustration/sigo_kun
アーティストたちが作品制作において、影響を受けてきたものは? 作家たちのB面を掘り下げることで、さらに深く作品を理解し、愛することができるかもしれない。 連載「作家のB面」ではアーティストたちが指定したお気に入りの場所で、彼/彼女らが愛する人物や学問、エンターテイメントなどから、一つのテーマについて話を深掘りする。
今回は天王洲のギャラリー「KOTARO NUKAGA」で作家の川井雄仁さんと待ち合わせ。話のテーマは、学生時代に夢中になったファッションについて。装うことへの目覚めや、ファッション遍歴やアートの道を志した理由など、川井さんにうかがった。
三十九人目の作家
川井雄仁

ロンドンで現代アートを学んだ後、茨城県笠間市を拠点に陶芸を制作するアーティスト。鮮やかでダイナミックな造形を特徴とする作品は、グロテスクさや脆さなど多面的な表情を見せる。

《私がガリガリ君を好きな理由》(2025)

《Polo Ralph Lauren》(2025)
ファッションの目覚め


KOTARO NUKAGAの近くの川沿いで川井さんと歩く
――ファッションに興味を持たれたきっかけは何でしたか?
もともと美的なものには興味があったと思いますが、一番初めの明確な記憶は、小学校6年生の頃です。私服の小学校に通っていて、普段は親が買ってきてくれた服を着て通学していたのですが、たまたま姉のお下がりのオーバーオールを着て登校したことがあるんです。
その時、周囲のリアクションが急に変わったのがわかりました。「これどこで買ったの?」といった声が多く上がって。当時、ごく一般的なジャージや運動靴を履いている子が多かった状況で、服によって周囲の反応が一変するという、一種の「成功体験」をそこで得てしまいました。
それからは自分で服を買うようになりました。それまでは周囲の人との接点が正直なかったのですが、服が共通の話題となり、同級生とのコミュニケーションを可能にする大きな要素となりました。
――当時の買い物は主に地元で?
水戸市に出ていました。それ自体も当時の自分としては、相当テンションが上がることでした。僕にとって水戸は「プチ都会」のような憧れの場所で、お小遣いを貯めては古着屋さんを巡っていました。

――学生時代から上京されるまでの、ファッション遍歴についてお聞かせください。
中学生になると、興味は「自分が着る服」と「ファッション全体への興味」の二つの局面に分化しました。地方の公立中学校はヤンキー文化が強く、ヒエラルキーが存在しましたが、服に興味がある者は「チート的なポジション」には立てました。高校時代は私服だったこともあり、常にファッションで自己を確立しようとしていました。しかし、進学校だったため、頭も良く、育ちも良い「リア充の塊」のような同級生に囲まれ、優位性を保つ要素がなくなってしまった。「リア充」って、すべてが完璧に見えてしまうんです。自分はおしゃれだと思っていた当時の僕にとって、その状況は大きな衝撃でした。ファッションで優位性を取る余地がなくなり、自己のアイデンティティが揺らぎ始めました。
――その当時、参考にしていたファッションの情報源は何でしたか?
自分が着る服の参考にしていたのは、『Smart』や『MEN'S NON-NO』です。しかし、高校生の頃にはストリート系に寄っていったこれらの雑誌への興味が薄れ、代わりにテレビで放送されていた『ファッション通信』を観ながらモードな世界観に強く惹かれていきました。
ファッションショーをリアルタイムで見る手段がない時代だったので、『ファッション通信』は貴重な情報源でした。特に、ラフ・シモンズが高校の制服のような服を着せ、オールスターを履かせたショーや、マルジェラの不気味で美しいかどうかも判別できないようなショーを観て、「なんだこれは」と背景や世界観に惹きつけられました。当時は今よりもアバンギャルドというか、世界観強めのショーが多かったので余計に面白かったです。また、『VOGUE』などのモード誌をこっそり読んでいた時期もありました。
ハイブランドの世界観への憧れ

――ハイファッションとの出合いはいつからですか?
最初にモード誌を読み出したのは、中学生の頃です。当時、ミュウミュウでも高校生がアルバイトをして買えるような価格で、高校生の時からブランドの服を着るようになりました。
――川井さんにとって、ブランド品とはどのような意味合いを持つものでしたか。自分を守る鎧のような側面はあったのでしょうか。
それはあったと思います。当時の僕は、自己という存在の輪郭が定まらず、曖昧な状態でした。それを守るというよりは、そもそも自分自身がよく分かっていなかったからこそ、直感的に「これだ」と感じる分不相応なブランド品で自己を固めていったのかもしれません。
好きなものを手に入れることに集中することで、「これとこれとこれを買いたいな」といったリストを計算し、思春期にありがちな悩みや同級生とのコミュニケーションの難しさといった、ほかの余計な思考から解放されていたのだと思います。
――ブランドものを持つことへの魅力は何でしょう。
当時は、ブランドものがほしいという所有欲というより、もっとピュアだった気がします。ブランドとは、デザイナーが存在し、その世界観があり、それに共感するという構図が強かった。だから、ブランドを着ているというよりは、デザイナーだったり、その世界観に憧れているという感覚でした。ミュウミュウやマーク・ジェイコブス、ベルンハルト・ウィルヘルム、20471120といった、世界観が強いものに惹かれていました。


ラフ・シモンズのショーからタイトルを引用した川井さんの作品《Tonight,Tonight》(2023/写真上) と《The Fourth sex》(2022/写真下)
――東京への憧れはいつからお持ちでしたか?
幼い頃から地元に対して、ここが自分の居場所だという感覚が希薄でした。それに地方では大学の選択肢も少ないこともあり、いずれ東京に出るのが当たり前だと思っていました。当時の東京のイメージは、「東京に行きさえすれば、キラキラした生活が送れる」「何かに成功するためのステップがある」。シンプルにそう信じていました。楽しいとか心地良いといった感情を地元ではあまり感じられなかったため、東京に行けば「そういうのも手に入るのかな」と思っていました。
――憧れの場所を求めて上京されてからも、ファッションへの情熱は続きましたか?
そうですね。美術大学の浪人時代に1年間上京したんですけど、予備校の仕送りをすぐに服飾に費やしてしまい、お金がなくて予備校に行けないという状態に陥ったこともありました。バイト代が入ると、貯めなければならないのに、ヴィア・バス・ストップに行ってしまい、そこでなんとか手を出せるベルンハルト・ウィルヘルムのノースリーブ(当時3、4万円)などを買ってしまう。でも結局、ノースリーブは買っても、活用しづらいアイテムなんですよね。そういうコーディネートしづらいものばっかり買っていた思い出があります。結局、予備校生だった一年間は、お金が貯まらないまま過ぎました。最も高価な買い物といえば、ミュウミュウのコート。セールで8万円で売られていた時代で、今から考えると「激安」ですが、当時は高額でした。

ファッションが一番好きだった頃に川井さんが愛読していた写真集
――ほかに印象的に残っている買い物のエピソードはありますか?
留学のための英語の試験(TOEFL)の日に、パスポートを忘れてしまって。それがないと受験できないと判明した瞬間、「現実逃避」のようにそのままタクシーに飛び乗って表参道に向かい、ミュウミュウでパステルブルーのパンツを買ってしまったことです。
思い返すと、一番ファッションに熱中していた時期だと思います。その後、留学でイギリスに行くのですが、アートを制作するにもお金がかかるので、洋服は全然買わなくなりました。そこから紆余曲折あるのですが、陶芸の制作をするようになって最近また服を好きになってきました。
ファッションから、アートと陶芸の道へ


2024年に開催した展覧会「クローズアップ現代陶芸〜わたしがおぢさんになっても〜」の様子。川井さんの自宅を再現した展示空間には洋服や本などが至る所に並ぶ
――では陶芸やアートに興味が広がっていった経緯を教えてください。純粋に考えると、服飾の道に進みそうですが。
進路については結構迷っていました。ただ、学生時代は通っていた高校から専門学校に行くという選択肢をとる勇気はなかったので、美大の4年制大学に行こうと思っていました。それにその頃は男性でファッションの道に行きたいと言うのが恥ずかしかったこともあります。かっこいいメンズのデザインがしたいわけではなかったし、むしろジョン・ガリアーノのようなクリエイションがしたかった。そうなると、気恥ずかしくて、周囲には「広告がやりたい」「グラフィックデザインがやりたい」と言ってごまかしていました。
――それで美大進学のために、予備校生になったと。
東京で予備校生をしていたときに学校の合同説明会に行ったら、他の大学は合格作品が並んでいるのに、一つだけ「博物館に行ってリサーチをして、そこから着想を得て、このドローイングになりました」というようなポートフォリオを見せている学校があったんです。海外留学のための専門学校だったんですけど、そこに1年間行ってから、留学しました。
――留学先はどんなところでしたか?
イギリスのチェルシー大学に入学し、ファインアートを学びました。当時は、ペインティングが古臭いというムードがあったので、インスタレーションや映像作品を制作していました。


大学時代に川井さんが制作していた作品
――ファインアートはどうでしたか?
ファインアートは、精神的に追い込まれるんですよ。もともと内向的な気質ではありましたが、それが加速して、ドロップアウトするような形で卒業しました。日本に戻ってからは、人として立て直すために多くの時間を費やしました。「もうアートなんて今さら」という気持ちもありましたし、同世代が成功していくのを見るのも嫌だった。美術館にも行きたくなかったし、現代アートを見て感情が揺さぶられるのもつらかった。
なんとかメンタルを保つために『セックス・アンド・ザ・シティ』などを観ながらどうにかしてやり過ごしていました。そして就職すれば今後の人生うまくやっていける、アートをやらなくてもいいとも考えていました。しかし、どこかに未練があったのでしょう。少しでもアートに関わる仕事を探して、広告の仕事に就いたのですが……。
――商業的な世界は、想像と違っていましたか?
そうですね。当時はまだ視野が狭く、洗練されているものこそが正義と思い込んでいました。だから、デザインをかっこいかダサいかでしか考えられず、“役割”として捉える視点が欠けていたのだと思います。デザイナーではなかったので、上がってきたデザインが気に入らなくても、それをお客さんに好意的に伝えなくてはいけない。それに、「これくらいの予算であればこのクオリティで出すしかない」という当たり前のことが、当時の僕には妥協や手抜きに感じてしまい、結果的に続かなかったです。

――それで茨城に戻られたと。30歳の頃でしょうか。
はい。地元が笠間焼で有名な陶芸の町だったので、「陶芸だったらできるかな……」と思ったところもあります。正直「ちょっとセンスがあればすぐにできるだろう」ぐらいの甘い考えもあったのですが、実際にやってみたらそれは間違いでした。人が使う日常のものですから、当たり前ですが、器は器ですごい世界でした。
その世界は僕には適性がないかもしれませんが、そこで土に出合って、触っていくうちに、会社員時代の締切やクライアントのいる生活から解放されて、天国みたいなモラトリアム期間を3年ほど過ごせました。そのときは「陶芸家になってやる」という感じでもありませんし、いわゆる「脱サラ」のような気概もないですし、本当に陶芸との出合いはたまたま、としか言えないですが。

Information
川井雄仁、アレクサ・クミコ・ハタナカ二人展
「ついたよ: Becoming by Making」
■会期
2026年3月14日(土)~ 4月11日(土)
■営業時間
11:30 ~18:00 ※月曜日、日曜日、祝日休廊
■会場
KOTARO NUKAGA六本木
東京都港区六本木6-6-9 ピラミデビル 2F
詳細はこちら
ARTIST

川井雄仁
アーティスト
1984年生まれ、茨城県出身。2007年にチェルシー・カレッジ・オブ・アート(UAL)BA(Hons)ファインアート科を卒業後、2018年に茨城県立笠間陶芸大学校研究科を卒業。現在は茨城県にて制作を行っている。ロンドンで現代アートを学んだのちに、陶芸というメディアと出会ったことで、創造性が解放され突破口を見出す体験をした。ダイナミックな色と形が特徴の陶芸作品は不規則さや醜さ、グロテスクさ、脆さなど様々な表情を見せ、素材によって引き出された自己の内面を重層的に表出している。また積み上げられた土の塊は粘土と自分との対話という時間軸を反映している。
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