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ESSAY

2022.09.16

祭りとはプリミティブな遭遇の方法かもしれない / 「私が影響を受けた祭りとアート」Vol.3 野口竜平(芸術探検家)

Text&Photo / Tappei Noguchi
Edit / Maru Arai

特集「祭り、ふたたび」のシリーズ「私が影響を受けた祭りとアート」では、表現活動を行う方々にご自身が影響を受けた祭りやアート、芸術祭のエッセイを執筆いただきます。今回は芸術探検家の野口竜平さん。台湾や奄美大島をタイヤを引っ張り一周したり、《蛸みこし》というある種のお祭りのような作品など、ユニークな活動を続けている野口さん。地域に根付く祭りを、芸術探検家ならではの視点でご紹介します。

奄美大島の伝統「豊年踊り」

タイヤをひっぱりながら奄美大島をあるいていた時の話。
蘇鉄の木陰で休んでいると、通りがかりの男性に「どうしてタイヤをひっぱっているんだ?」と訊ねられ、私は数分考えたのち「無意味な行為から、どんな意味がうまれるのかを見ています」と答えたことがあった。
すると男性は、ここから峠を5つ越えた向こうにある油井集落の豊年踊りが面白い。と、その最初に行われる「縄切り」と呼ばれる不思議な演目について話して聞かせてくれた。
曰く、まわしを締めた男たちが三味線や唄で囃し立てられながら、二手に分かれ綱引きのようなことをする。そこに鎌を持ち異形の面を被ったものが現れ、綱を真ん中で断ち切って消え去る。男たちは急いで綱を結び直し、綱引きを再開するが、再び異形のものがきて綱を切ってしまう。男たちがもう一度綱を結び直してもまた同じ。最後には、男たちは切られた綱を輪っかにして土俵をつくる。

ということを集落の皆でやるらしい。

なんと美しい構造のパフォーミングアーツだろうと思った。
このシンプルな行為の繰り返しが、場の空気をかき混ぜ、状況に熱を加え、豊かな意味や感情を呼び起こしていく様子が想像できる。彼の語りはたのしく、私は時折質問しながらこの不思議な演目の意味を考えはじめていた。

綱引きの左右は集落内の問題や対立か、人の営みそれ自体かもしれない。異形のものは制御不能な自然災害だろうか、気まぐれにやってきては集落を壊して去っていく。人は再びあつまり関係を結び直す。苦役にも似たその繰り返しの中で、この土地で生きるための教訓が生まれ、新たな結束が生まれてゆく。最終的に綱は端と端が結ばれ輪となり大地と一つになることで神に祈るための神聖な場「土俵」になる。このように舞台を整えることで初めて、豊作を祈る豊年踊りの上演は開幕されるのである。

興奮ぎみに思いを巡らせていると、男性は
「綱切りは、意味はもちろん起源も由来も誰もわからないまま生き生きと続いている」
にこやかに言うのであった。

豊年踊り「縄切り」の様子。Photo:町健次郎

油井集落にあった豊年踊りの看板。12の演目は綱切りから始まる

奄美大島フォトコーナー

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島の守り神である猛毒の蛇、ハブを捕まえる

 

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美しい海でめいっぱい遊ぶ子供たち。屋鈍集落にて

 

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天然記念物、ムラサキオカヤドカリ

 

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幹、枝、根が複雑に入り組む不思議なガジュマル

《タイヤひっぱり》について

一般的に筋トレ等の目的のために行われるタイヤひっぱりの、それ以外の可能性を考えながら継続中。タイヤひっぱりで台湾を一周歩いたことをきっかけにはじめた「太平洋とタイヤひっぱり」プロジェクトでは、九州から台湾までの島嶼群「琉球孤」に着目しながら、種子島、屋久島、奄美大島を一周した。人にタイヤひっぱりの理由を訊ねられた際は、その場でひらめいたことを即興で答える。
また、奄美大島の旅では、タイヤひっぱりをこれから始める人に向けた《タイヤひっぱりのすすめ》を指示書形式で制作した。

《タイヤひっぱりのすすめ》2022
・タイヤはバランスをとるための尻尾になる
・タイヤから伝う振動と、心身と呼応させてみる
・土地に癒着し、肉体から遅れる魂をみる
・浮遊する心身をつなぎ止めるタイヤをみる
・陽光やのぼり坂で体温をあげる
・木陰や雨風で体温をさげる
・タイヤの音から熱の移動をみる
・タイヤの輪っかをみる
・タイヤの屑で地上に描かれた移動の軌跡の輪っかをみる
・通り過ぎる異質な他者になる
・通り過ぎる異質な他者が起こす事態をみる
・通り過ぎる異質な他者に芽生える精神をみる
・お互いがいきる世界の距離を測る
・かわり移ろう自らの心身をみる
・以上すべてを忘れてあるく

 

インスタントな芸術祭としての《蛸みこし》

担ぎ手を蛸の脚に見立てることで、蛸のように柔軟に、多様な人の集まりをつくる《蛸みこし》という活動がある。これは私による「芸術」作品であり、束の間の共異体をつくる、ある種の「祭り」とも言える──つまり、蛸みこしは、私の期待する、育てていきたい「芸術祭」になる。今回は、異質な他者として現れ、その場にささやかながら何かしらの可能性を残して立ち去る「芸術祭としての蛸みこし」の将来の姿を想像し、物語にしてみた。

どこからか見知らぬ男がひとり村にやってきて竹を切りもくもくとなにかをつくっている。どこから来たのか、なにをつくっているのか、は誰もわからない。
この村でも10年前に流行った感染症の影響で中止にして以来、村の祭りはやっていない。珍しい話ではない。もはや年寄りばかりの村、祭りをやっても活気のなさに寂しくなるばかりで、そんな様子をみてか移住者も関わろうとしない。皆やめるきっかけを探していたくらいだった。

男は、大きくて頼りないものをつくった。しばらくは警戒して誰も近づかなかったが、学校帰りの子供たちが、この男に話しかけたのを機に、少しづつ人が様子を見にくるようになる。村人が8人集まった時、男は「これを持ち上げてみたい」と言った。村の長老、老婆、村の若者、村の子供、移住者、移住者の子供と、バラバラな老若男女8人は大きくて頼りないものを持ち上げる。特に重さはないが、ぐにゃぐにゃとしてバランスが難しい。8人がめいめいにバランスを取ろうとすると、頼りないものは蛸のような形になった。おろおろする長老、ハハッと笑顔になる移住者、子供たちに話しかける若者、はしゃぐ子供、老婆を気遣う子供、それぞれの息遣いはそのまま大蛸の動きとなっていた。「このまま海の方へ行ってみませんか?」と移住者。老婆は何かの唄を口ずさんでいる。大蛸はしなやかに体を躍動させ浜に向かって歩きはじめた。

《蛸みこし》について

「蛸の脚には、その一本一本に独立した知性がある」という話から着想した、8 人で担ぐふにゃふにゃしたお神輿。息を合わせて動く、バラバラなまま一緒にいる、などを繰り返す中で生じるその時その時の関係性の様相が蛸の踊りとして顕れる。蛸の心身をモチーフに、人間の集まりを再考するプロジェクト。
その形状から人間の想像力を刺激する蛸は、古今東西多くの物語を生み出している。それらをリサーチすることから複数の土地で、その土地ならではの蛸みこしをつくっていきたい。

 

気になる祭り「蛸舞式神事」と、踊ってみたい河内音頭『河内十人斬り』

日本三大奇祭のひとつ「蛸舞式神事」(鳥取県西伯郡伯耆町福岡神社・10月)

藁で作った蛸を掲げ持つ男を、ふんどし一丁となった氏子たちが、神楽囃子にあわせ幾度となく担ぎ上げ、藁の蛸の舞いを演じた後、丸梁に抱きついた主役の氏子を下から大勢で回転させる、というかなり独特な神事。地域ごとの蛸の文化や利用について調べていたところ発見したのだが、数ある蛸文化の中でもかなり不思議な感じ。文字で読んでもよくわからないので、是非とも行って目撃してみたい。日本三大奇祭のうちの一つとのこと。

鳥取県伯耆町観光サイトより引用

福岡神社
10月第3日曜日予定
祭典 13時すぎ~ 蛸舞式 15時頃〜
URLはこちら


河内音頭「河内十人斬り」(大阪府各所・盆)

好きな小説に、町田康の「告白」というものがある。明治初期に起きた狂気的な連続殺人事件を描いた傑作で、高校生の時に出会って以来、主人公の熊太郎と同じく、思考と言動が混み入って一致せず、苦悶する私の人生の救いとなってきた一冊である。つい先日、再び本棚から取り出したところ、
「人は人をなぜ殺すのか。河内音頭のスタンダードナンバー『河内十人斬り』をモチーフに、町田康が永遠のテーマに迫る渾身の長編小説」と書かれた帯が目に入った。そういえば、河内音頭の『河内十人斬り』はまだ聴いたことがない。調べてみると、河内音頭は、他の盆踊りと違い生歌生演奏(ロック調のものもある)で踊れ、その音楽性やフェス性の高さに全国的にもファンが多い熱狂の盆踊りとのこと。いいなぁ。

”腑に響くような太鼓、狂躁的な三味線、ぎらつくようなギターがじりじりに疾走する”
町田康「告白」より

金剛山に抱かれた盆踊り会場で、身体と音楽のリズムをひとつにしたい。狂熱の一体感の中、熊太郎と弥五郎の霊と踊りたい。

金剛地区まちづくり会議Facebookページより引用

金剛盆踊り大会
お盆の時期に金剛中央公園にて開催
詳細は下記金剛地区まちづくり会議のFacebookページでご確認ください
URLはこちら

DOORS

野口竜平

芸術探検家

1992年東京生まれ。大分県在住。武蔵野美術大学油絵学科版画専攻卒。在学中、早稲田大学探検部で活動していたこともあり、"遭遇の方法"をつくるべく芸術と探検を照らしあわせる「芸術探検家」という肩書きで活動するようになる。脱システム的実践としての探検行/逃避行に伴って生じる、つかのまの共異体(バラバラなものたちがめいめいに存在する場)に着目したプロジェクトを手がける。代表的な活動に、ニューヨーク方面へヒッチハイク、8人の蛸みこし、太平洋とタイヤひっぱり、など。 近年の発表に -個展- 〈芸術探検point2-拉輪胎-〉台北尖蚪 寶藏巖國際藝術村 2019 〈芸術探検point1-箱!ホワイト-〉東京吉祥寺 Art Center Ongoing 2018 -グループ展- 〈TURNフェス6〉東京上野 東京都美術館 2021 〈TERATOTERAまつり〉東京三鷹 2019 -ワークショップ- 〈meet the artist〉東京六本木 森美術館 2021 〈クイズ!つつむんば〉気まぐれ八百屋だんだん TURN 2021 〈タイヤひっぱり合宿〉奈良宇陀 ロート製薬 ネクストコモンズラボ 2020 などがある。

volume 03

祭り、ふたたび

古代より、世界のあらゆる場所で行われてきた「祭り」。
豊穣の感謝や祈り、慰霊のための儀式。現代における芸術祭、演劇祭、音楽や食のフェスティバル、地域の伝統的な祭り。時代にあわせて形を変えながらも、人々が集い、歌い、踊り、着飾り、日常と非日常の境界を行き来する行為を連綿と続けてきた歴史の先に、私たちは今存在しています。
そんな祭りという存在には、人間の根源的な欲望を解放する力や、生きる上での困難を乗り越えてきた人々の願いや逞しさが含まれているとも言えるのかもしれません。
感染症のパンデミック以降、ふたたび祭りが戻ってくる兆しが見えはじめた2022年の夏。祭りとは一体なにか、アートの視点から紐解いてみたいと思います。

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