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2024.08.21
夏日のたましいはきらきら〜SCAI THE BATHHOUSE&谷中ビアホール〜 / 連載「小原晩の“午後のアート、ちいさなうたげ”」Vol.1
Photo / Tomohiro Takeshita
Edit / Yume Nomura, Maki Takenaka(me and you)
生活のなかで感じたこと・考えたことを、自分自身の言葉と感覚で綴る、作家の小原晩さん。初めて出版した『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』では、わたしたちにとってあたりまえにある「食べること、飲むこと」が、ままならない日々の中でも、ほんの少しだけ特別な光をまとうような一瞬があちらこちらに散りばめられています。
そんな小原晩さんが、気になるギャラリーを訪れた後に、近所のお店へひとりで飲みに出かける連載が「午後のアート、ちいさなうたげ」です。「アートに詳しいわけではないけれど、これからもっと知っていきたい」という小原晩さん。アートを前にして肩肘はらず、自分自身のまま、生活の一部分として付き合ってみる。そんな楽しみ方を、小原晩さん自身の言葉で綴っていただきます。
第1回目は、昔ながらの街並みが残る谷中・SCAI THE BATHHOUSEで開催していた森万里子「古事記」と、古民家を活かした「谷中ビアホール」へ。きらきらと光った、ある午後のこと。
夏日の谷中を歩く。
日ごろ、住んでいる街や住んでいた街のあたり(つまりは杉並区や世田谷区や渋谷区のあたり)をぐるぐる回るばかりだから、谷中に来たのは、たぶん、はじめての事である。小旅行のこころもちで歩く。
緑ばかりの谷中である。
谷中霊園の並木道をまっすぐ行く。ひらけた道である。
谷中霊園にねむるたましいたちの事を思う。墓地にしては空気が澄んでいて、まるで死はやすらか、みたいなふうに見える。自転車がふらふらと通り過ぎる。夏草のむっとする匂いがする。とてもなつかしい匂いである。こういうの、なんていうんだっけ、季語、季語と忘れかけていた言葉を思い出そうと試みる。思い出せなくて、あきらめて、検索する。「草いきれ」であった。だれの俳句で知ったんだっけ、なんだっけ、とまたも検索に頼る。
怒りとはこんな日暮れの草いきれ 岸本マチ子
これだ。いかりとは、こんなひぐれの、くさいきれ。口の中でつぶやいてみる。しみじみといい。色気の香る句だ。うん、うん、これ、これ、とうなずきながら歩く。そんなふうに歩いていたら道に迷った。いつの間に大通りに出ている。どこだ、どこだ、と首をふりふり行ったり来たりでなんとか見つける。ついた。SCAI THE BATHHOUSEだ。
SCAI THE BATHHOUSEは、約200年の歴史を持つ銭湯「柏湯」を改装したギャラリーである。外見はこざっぱりとした銭湯のままで、風にゆれる豆腐みたいな白いのれんと、青いタイルと、瓦屋根と、煙突と、あとはやっぱりこの左右対称の造りというか、真ん中がどーんとある感じ。いらっしゃい、となんでもかんでも受け入れてくれそうな安心感がいい。なかなかビルではこうもいかない、ビルには真ん中がないもの。
汗でだくだくになっているので、すぐに中に入る。
入ってみると、まあ涼しい。
そして天井が高い。ああ、そうか、銭湯だったから。そう思ってうれしくなる。外にいる時はあんなにも鋭く射した光が、この中では、角のとれたやわらかい光となってふってくる。一面の白い壁にはひらけた道と同じような、風通しのよさを感じる。
まず目の前に現れたのは、光のオブジェ。白い壁には無数のプリズム。見ているだけでうっとりするような、なんというか、恐ろしいほどうつくしい物体。触れたら怒られそうな、けれど涙の流れる真夜中にはそっと抱きしめてみたいようなそんな物体。
今日やってきたのは森万里子さんの展示「古事記」。
普段、美術館などに行く時は、何も調べずにいく質である。
その作家にはどんな背景があって、どこに住んでいて、いつ芸術に目覚めて、誰の子どもで、どんな音楽が好きで、どんな発信をしていて、何より、どう語られてきたのか。そういう事を調べてから行くと、知らぬ間に色眼鏡というか、イメージが最初から固まってしまって、作品に出会ったその瞬間、胸にやってくるものが純粋な感動なのかわからなくなってしまいそうだからである。その人間の後ろ盾になるものすべてを知らないまま、その人間の作品に出会いたい。そうして自分が感じたものを、大切にしたい。そういうきもちであるから、普段は何も調べないのだけれど、今回ばかりは仕事であるし、何も調べずに行ったら、ただ仕事をさぼっているというふうにもなりかねない。私は他人からの評価を恐れて、ちょっと調べてからいった。芸術を見る目に自信がないのである。けれど、芸術はすべての人にひらかれている。見る目の無い人だって、じゅうぶんに楽しむ事ができると信じている。
考古学から最新の物理学、あるいは仏教の唯識論まで、幅広いリサーチを通じて私たちを取り巻く見えない世界に形を与えて来た森万里子。90年代半ばより活動を開始し国際的なアートシーンで注目を集めた森は、現代美術家としての実践をより精神的な領域へと移行し、我々の生が到達しうる新たな次元の可能性へとその関心を注いでいます。本展「古事記」では、神代の創世神話から着想を得た作品群によるインスタレーション、および現在、ベニスにて公開されている新プロジェクトに関する展示を発表。
――SCAI THE BATHHOUSE HPサイトより
まず今回の展示の説明を読み、私の生活のなかでは馴染みのない言葉や並びたちに、想像力がぷつんと切れた。わからなかった。恥ずかしかった。申し訳がなかった。
けれど脳のブレーカーが落ちてしまう理由は、私の芸術に対する緊張からきているかもしれなかった。
私なんかが、大丈夫かな、大丈夫なわけないよな、という、そういう、きもちが脳をきちんと動かさず、わからないのだからあきらめてしまおうという結論へ向かわせる。しかし私は抵抗する。今はわからなくても、いつかわかる時がくるかもしれないし、わからないからつまらないとかそういう事はありえない。「おもしろいしわからない」はある、という事を私はすでに文学から学んでいるのだから。
光のオブジェ《Onogoro Stone》は185cmあり、どの角度からみてもきれい。形の中に丸いところはないはずなのに、光の色の淡さのせいか、やわらかな印象もある。飛び出たり、へこんだりしている表の表情と、つるつるとした平面でできた裏の表情の違いになんだかどきどきとする。こうする事で光の分散、屈折、反射がきれいに見えるのだろうか。それとも着想を得たものがこういう形だったのだろうか。わからない。わからないけれどきれい。近づくと、顔や体や手や腕に色のついた光がうつる。うまく言葉は見つからないけれど、伝わる、みたいな、そういうものに似た感情になる。近くにベンチでも置いて、ずっと見ていたい。
舞台のように少し高くなったところがあって、そこには巻物があった。《Peace Crystal Scroll》。巻物には日本語でなにかが書き連ねられている。なんと書いてあるのだろう、と周りを探すと書いてあるものが印刷されている紙があり、その文章は「そこは、とても眩しかったのです。」という書き出しからはじまっていた。
なかでも興味深かったのは、その近くに置いてある《Peace Crystal model 》について。
人類の進化によって得た直立の姿勢は、天上からのエネルギーを直感的に受け取ることを可能にし、知性と霊性が発展したのではないかと思います。本作品では、円錐形の水晶を身体にみたて、その中心にある虹色に輝く球体は、「生と死と再生」が繰り返す永遠の魂を表しています。
――《Peace Crystal Scroll》より
そういう事か、ほうほう。思いながら、その立体作品を見つめる。虹色に輝く球体はたしかにこんなものが自分の中にも入っていたらいいよなあ、という感じがするし、立体自体にも圧倒される輝きがあって、自分の直立姿勢がこんなふうに良いものだったらいいよなあ、とぼうっと考える。命への祝福をどれほど信じる事ができたら人間をこんなふうに表現できるのだろう、とこれまたぼうっと思う。
最後に見たのは、さまざまな形の石に取り囲まれたアクリルの立体作品《Kojiki Stone III》。日本各地に点々と存在する磐座(神を下ろす依り代としての岩)を巡り、その体験に基づいて製作されたものであるという。ただ見ているだけでもいいのだけれど、今回は、ホロレンズと呼ばれる、目の前にある空間にホログラムを配置する事のできるレンズを付けて、作品を体験する事ができる。ホロレンズをつけてみると、ホログラフィックになった森万里子さんが登場する。森万里子さんは巫女さんのような装いで、磐座の前で祀りごとをしている。すごい。なんかものすごい、神聖な感じがする。と思いながら、いろんな角度で森さんを見る。そして、森さんの後ろにまわり、その全体を眺めていると、光の玉がうわああと目前にやってくる、もうそれはほぼ襲いかかってくるくらいの勢いで目前にやってくるのだけれど、とにかくそれがものすごい輝きで、うわああ、ひっ、ひかりがっ、と尻もちつきそうになった。とても、おもしろかった。このおもしろさは私にとって、エンターテイメントの類のおもしろさだった。
SCAI THE BATHHOUSEを後にして、小さな宴をやりにいく。
外に出るとやはりもう暑い。ひいていた汗を取り戻すようにしてたっぷりと汗をかく。
やってきたのは谷中ビアホール。
古民家の佇まいである。窓際の席に座る。
谷中ビアホールオリジナルテイスティングセット、ハムカツ、オクラのさっぱりとしたやつを注文する。
窓際の席は、少し暑い。けれど窓の近くの席は好きだ。窓の中にいる自分は人間というより風景の一部であるから、自然に外を眺める事ができる。子どもにひっぱられて転びそうになるお父さんの姿や、浴衣を着た女のひとたちが笑いあう姿、暑すぎてやってらんないという顔をして黙って歩く老夫婦など、じっと見ても誰も気にしない。私は今、風景であるから。
すぐにビールがやってくる。小さなグラスに入ったものを少しずつ飲んでみる。軽いものから重いものを順々に飲んでいくのだけれど、重くなると言ってもこの部分が重くなるのだな、とおもしろく飲む。私は飲みやすいものが好きだ。すっきりとした軽い味わいのものが好きだ。飲み慣れているからかもしれないし、ビールにはそういう味わいを求めているのかもしれない。比べてみて、はじめてわかる事もあるのだな、と思う。オクラや、ハムカツをつまみにどんどんと飲む。すぐに空になる。
まだつまみが残っているので、もう一杯だけ、飲む。日が暮れる気配はまだまだない。ビールは黄金だからいい。黄金じゃなかったら、こんなに好きだったかな? と時々、考える。黄金のものを飲む至福、それが夏の光に照らされて、きらきらと輝いている。心地よくて、もう酔ってきた。私の永遠の魂は、果たして虹色だろうか。いいや、きっと違うだろう。黄金でも黒でも赤でも紫でもないだろう。では、何色だろう。わからない。わからないものを形にする事ってやっぱりものすごい事だ。逃げ場がない。ほんとうに、うつくしかった。真正面からの表現だった。思いながら、ビールを呷る。ほんのすこしでも、私の魂がきらきらと輝くように。
Information
SCAI THE BATHHOUSEで開催予定の展示
ハルーン・ミルザ「Ceremonies and Rituals」
◼会期 :2024年8月27日(火)~10月12日(土)
◼会場 :SCAI THE BATHHOUSE
◼休館日 :日曜日、月曜日、祝日
◼開館時間 : 12:00~18:00
◼入館料 : 無料
公式サイトはこちら
クレジット:ハルーン・ミルザ 《Illuminated Revelations in a Cave (Solar Cell Circuit Composition 29)》2023
ガラスに太陽電池、ポリウレタンレジン、真鍮テープ、電線、マグネットワイヤ、LEDテープ、 ブリシュナ・アミン・カーンの細密画、ケーブル、アルマイト加工を施したアルミニウム
146.8 x 146.8 x 7.6 cm
協力:SCAI THE BATHHOUSE
DOORS
小原晩
作家
1996年、東京生まれ。作家。2022年3月、自費出版にて『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』を刊行。2023年9月、『これが生活なのかしらん』を大和書房より出版。
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