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INTERVIEW
2025.06.18
【前編】布施琳太郎と下西風澄が思考する「万博」と「メディア」。空の「ゼロ番目」のパビリオンが未来に残した想像力とは?
Text / Eisaku Sakai
Edit / Eisuke Onda
東京湾沿いに造成された埋立地に位置する葛西臨海公園。この地で、アーティストの布施琳太郎によって企画された展覧会『パビリオン・ゼロ:空の水族園』が2025年2月に開催された。ARToVILLAの連載「作家のB面」でも葛西臨海公園で取材が行われ、当時のインタビューで語られたことが実現した形となった。
展覧会タイトルには「パビリオン」という万博における展示館を指す言葉が引用され、まさに現在、大阪・関西万博が開催されているなか、展覧会の企図や意義を問うのは哲学者の下西風澄。著作『生成と消滅の精神史 終わらない心を生きる』などで、AIが全盛を迎えつつある時代の心のありようを描写してきた彼が、布施の複層的な試みを読み解く。
2人の対談を前後編に分けてお届けする。前編では、本対談のきっかけとなった下西による展覧会レビューをもとに、過去と現在の万博の差異、SNSやAIが台頭する現代のメディア環境から生じる問題点について議論を交わした。
布施琳太郎(写真右)
1994年生まれ。スマートフォンの発売以降の都市における「孤独」や「二人であること」の回復に向けて、自ら手がけた詩やテクストを起点に、映像作品やウェブサイト、展覧会のキュレーション、書籍の出版、イベント企画などを行っている。主な活動として個展「新しい死体」(2022/PARCO MUSEUM TOKYO)、廃印刷工場におけるキュレーション展「惑星ザムザ」(2022/小高製本工業跡地)、ひとりずつしかアクセスできないウェブページを会場とした展覧会「隔離式濃厚接触室」(2020)など。著書として『ラブレターの書き方』(2023/晶文社)、詩集『涙のカタログ』(2023/パルコ出版)。参加したグループ展に『ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?』(2024/国立西洋美術館)、『時を超えるイヴ・クラインの想像力』(2022/金沢21世紀美術館)など。
下西風澄(写真左)
1986 年生まれ。東京大学大学院博士課程単位取得退学。哲学や文学を中心に執筆活動を行う。 著書に『生成と消滅の精神史 終わらない心を生きる』(文藝春秋)。 執筆に「生まれ消える心─傷・データ・過去」(『新潮』)、「演技する精神へ─個・ネット・場」(『文學界』)、「ぼくは言語」(『群像』)、「青空を見つめて死なない」(『ユリイカ』)など。詩に「風さえ私をよけるのに」(『GATEWAY』)、「ぼくたちは死んでいく。」(朝日新聞)ほか。
今日の没入と離脱の困難さ


今回の取材は『パビリオン・ゼロ:空の水族園』の舞台ともなった葛西臨海公園にて行われた
──前回のインタビュー「作家のB面」にて、布施さんは「水族館やプラネタリウムで展示がしたい」と話されていましたよね。2月に開催された『パビリオン・ゼロ:空の水族園』ではまさに葛西臨海公園が会場となっていました。また、「デートに使われるような展覧会を作りたい」とも話されていましたが、今回はどのような展覧会になっているのでしょうか?
布施:誰かの思い出の1ページになる展覧会もいいなと考えていたんですよね。僕がキュレーションをした『惑星ザムザ』*1という展覧会が終わってから、恋人との初デートで展覧会へ行きました、というコメントをもらったんです。それと同時に「説明不足でアトラクション的」だと批判もされたのですが、僕が展覧会を開くのは『沈黙のカテゴリー』*2も含めて廃工場や元工場など現代美術作品を展示すると映える場所なのも事実。なので、葛西臨海公園だったりプラネタリウムだったりで展示をしたいと前回のインタビューでは話していました。
*1……新宿の製本印刷工場跡地で開催されたグループ展。2022年5月開催。
*2……大阪の造船所跡地で開催されたグループ展。2021年3月開催。
『パビリオン・ゼロ:空の水族園』*3は、いま僕たちがいる葛西臨海公園を舞台にしたツアー型の展覧会で、そのあとにコスモプラネタリウム渋谷で展覧会の記録映像を使いながら僕が語り部になって報告会という形式で上映を実施しました。下西さんは、上映を鑑賞してくださりInstagramでレビュー*4を書かれていたので、今回あらためてお話をしてみたいと思ったんですよ。
*3……「市外劇=ツアー型展覧会」として、鑑賞者はHMDを装着し、布施琳太郎によるツアーガイドとともに葛西臨海公園内を巡る。ツアーの道中ではXR映像の投影、参加作家による演劇の実施や作品の鑑賞、水上バスへの搭乗が行われ、リアルとバーチャル双方の体験ができる。また、展覧会の他に、コスモプラネタリウム渋谷にて記録映像上映とパフォーマンスの実施(全天球上映「観察報告:空の証言」)、芸術雑誌の刊行(『ドリーム・アイランド』)が、プロジェクト「パビリオン・ゼロ」の一環として行われた。



『パビリオン・ゼロ:空の水族園』作品展示の様子。作品は板垣竜馬《Tem P》。記録写真の撮影=竹久直樹
*4……全天球上映「観察報告:空の証言」を鑑賞した下西さんのレビュー 。「かつて文明の『すべて』であったかもしれない万博が、今や『ゼロ』であるかもしれない現在を引き受けようとしている展示だったのではないか」と評し、布施さんはXにて応答 した。
下西:布施さんとは2、3年前からたまに飲んだりしていたのですが、アーティストとして何を目的と思想にしているのかはいまいちわからなかった(笑)。それから展覧会へ行くようになって展覧会『150年』*5も見たのですが、やはりアトラクション的な体験の側面が前面に出ているように僕は感じられて、これはなんだろうという疑問がありました。現代美術は作品そのものの経験と、その意味(歴史性・社会性・思想性)のハイブリリッドとして構成されるから、その接続がうまく設計されていないように感じたからです。
*5……取り壊しが決定した東池袋の6棟の建築群で開催されたグループ展。2025年1月開催。こちらも下西さんによるレビュー が書かれている。思想的なキュレーションの断念によって「美術との接続が後景になり、アトラクションとしての体験が前景になって美術と切断された功罪」があったと評した。
でも、今回の展覧会は面白いところがいろいろありました。全体の構成は、(1)ヘッドマウントディスプレイ(HMD)を装着するツアー、(2)プラネタリウム上映、(3)雑誌という三部作になっています。

(1)ヘッドマウントディスプレイ(HMD)を装着して葛西臨海公園内を巡るツアー『パビリオン・ゼロ:空の水族園』。記録写真(撮影=竹久直樹)

(2)プラネタリウム上映「観察報告:空の証言」。アニメーションは米澤柊。(撮影=山崎裕貴)

(3)「パビリオン・ゼロの資料室」で配布された雑誌『ドリーム・アイランド』(撮影=竹久直樹)
下西:今作で布施さんは、メディアアーティストとしてこの3つの没入型メディアを利用しながら、そこに体験における「没入と離脱」の両方の仕掛けをセットで組み込んでいました。芸術が現実と虚構を媒介する装置だとすれば、ここにどのような体験を与えるかは重要です。例えば、HMDの装着は神経システムをハックするようなもので強い没入体験を与えますが、ツアー途中のリアルな外部から演劇や朗読が入りこみ、HMDを外させることによって没入から離脱させていた。プラネタリウムは、天空を見上げる伝統的な「崇高」の体験にも近い没入の建築装置です。しかしここでも、リクライニングシートに寝て上を「見上げる」という身体制御の権力を使いつつも、その姿勢から椅子を起こすというアクションが誘発されて離脱のきっかけが設計されていた。また「本」というメディアも、近代的個人の誕生にも関わった、黙読という個人的没入を通じて内省を生成させる一種の「装置」ですが、ここにもまた印刷された原稿が撮影されて原稿になっているという仕掛けがあり、ルネ・マグリッドの《This is Not a Pipe》的に「これは本である」というメタ視点を与えるデザインによって黙読的没入からの離脱が機能していた。
つまり今回の三部作は(1)神経レベル(HMD)、(2)身体レベル(プラネタリウム)、(3)意識レベル(本)という人間の知覚経験を構成する複数レイヤーに働きかけながら、メデイアの設計によって没入と離脱の経験に問いを投げかけていた作品だと思いました。


布施が刊行した雑誌『ドリーム・アイランド』。エディトリアルデザインは「パビリオン・ゼロ」のロゴも手がけた八木幣二郎が担当
下西:このような、作品そのものの経験と、同時にそのメディアの持つ設計や機能に対する介入やデザインという問題は現代性があります。
いまのインターネットでは、プラットフォーム上で議論して意見を形成したりコミュニケーションによって「他者」と出会うことが限りなく難しくなっています。ほとんどのネット上の人間たちは、アルゴリズムに絡め取られながらそれぞれのナラティブに閉じこもってしまい、リアリティは個別にしか生じないような状況があります。昔は「島宇宙化」と呼ばれていましたが、当時はまだ偶発的なネットワークが機能していて、いわば自分の世界観から別の世界観へとホップして離脱することもできる、まさに没入と離脱の混在したメディアでした。
しかし現在では、すべてのアカウントはアルゴリズムによって厳密にクラスタ化され、エコーチェンバーから逃れる術はありません。これは単なるコミュニケーションの問題だけではなく、政治的にもきわめて強い影響力を持っています。こうした一度没入してしまうと離脱するのが困難な現在のネット的状況において、メディアアーティストは単にメディアでこんな表現ができましたということではなく、メディアそのものが持っている人間に対する操作性や権力性、あるいは逆に創造的な可能性があるとしたらいかなる設計ができるのかという問題を考えるべきですよね。メディアというものが「表現の媒体」である限り、それはコミュニケーションの媒体でもあり、社会システムの触媒でもあるからです。布施さんは、それをまさに「メディアアーティスト」として実行していると思いました。
インターネットにもう夢や希望は見れないのか

布施:なるほど。下西さんが書いていたレビューでは、インターネットなどのメディア状況の変化にも触れていましたよね。
下西:短いインターネットの歴史をみても、2000年代から2010年代はプラットフォーム上の匿名的なコミュニケーションの連鎖によってクリエイションが起こるという環境がありました。そこにアーティストは参加したし、思想家や社会学者も新しい社会システムや創作の希望を見出したわけです。しかし、ビッグテックは機械学習などのアルゴリズムをプラットフォームに組み込み、いよいよLLM(大規模言語モデル)も登場してその性能は限りなく向上し、TwitterもXに変わり、プラットフォームはアルゴリズムになり、個人は統計データになった。
もはや、プラットフォーム上の相互作用によってクリエイションが生じるということに夢を見ることができなくなってしまいました。AIがデータ分析し、それぞれに最適化された物語を一方的に供給し続ける状況において、ネットはもはや「プラットフォーム」や「アーキテクチャ」のような、フラットな「場」を思わせる建築的メタファーで理解することはできない。現代のネットはいわば「意志」や「意図」をもった一種の「知性」や「生命」のようなものとして理解する必要があると考えています。別の言い方をすれば、コンテンツを作る主体は誰なのかという条件がここ10年ほどで根本的に変わってしまった。そういった問題がものすごく重要になってきています。
布施:僕が参照している文脈から言えば、アーティストで批評家の黒瀬陽平さんの『情報社会の情念』では運営の思想と制作の思想という言葉で説明をしていて、運営側の思惑によって制作が絡め取られていく状況を分析しています。それに対して哲学者の東浩紀さんは、制作を重視するよりも、制作と運営が一致する場所を探すのがアクチュアルなのではないかと議論をまとめていました*6。コンテンツを作ることとプラットフォームの構造に対する実験を行うことが張り付いている状態は面白いし、そこから僕が想起するのは90年代のネットアートの人たち*7。彼らは作品を作ることとインターネットの仕組みを作ることが完全に一致していた。僕もそういう芸術実践ができたらいいなと思っています。
*6……東浩紀「運営と制作の一致、あるいは等価交換の外部について」『テーマパーク化する地球』(2019年、ゲンロン)。
*7……オーリア・ハーヴェイとミヒャエル・サミンによる《skinonskinonskin》(1999年)など。

ツアー時に展示された布施琳太郎の映像作品『ソラの水族園(過去編)』(撮影=竹久直樹)
――お二人は現在のメディア状況をどのように捉えていますか?
布施:イーロン・マスクは陰謀論を加速させていますが、TwitterからXへとプラットフォームを作り替えながら、彼自身の姿をAI生成画像を通じてミームにしようともする。カタカナで「クリエイター」と僕たちがフランクに呼んでいた存在に近いことをプラットフォーマーがしていて、そんなプラットフォーマー型のクリエイターは陰謀論に対する忌避感がない。運営と制作の一致は陰謀論の暴走になってしまったと感じます。
下西:陰謀論研究の雨宮純さんが指摘していたことですが、かつての陰謀論は、古代の神話や現在の政治、社会現象をマニアックに結びつけたりするクリエイティブなものだった。しかし、いま生じている陰謀論はビジネスになっている。数値化されたインプレッションによってヒエラルキーが形成され、強力なインフルエンサーがビジネスとして回収していく状況になっている。ただしこれはインプレゾンビを見れば明らかなように陰謀論だけではなく、あらゆるコンテンツの生産と流通に関してネットで全面的に生じている問題です。
ネットは最初は一方的な情報発信とその受容者というモデルでしたが、そこから多様なアクターが集まり相互作用によってクリエイションを生むフェーズになり、そして現在のGAFAMなどの巨大プラットフォーマーが資本の論理を導入してアルゴリズムとインフルエンサーのモデルへと変化しました。そうして、誰か未知な他者と繋がるという初期インターネットで期待された夢に対して僕は段々と希望を持てなくなってしまったという現状認識があります。

ツアー中に突如現れるペンギン(撮影=竹久直樹)
下西:断片的なヒントを散らすことで匿名的で集合知的な物語を生んだQアノンの時代さえ、もはや牧歌的に思えます。現在では反ワク陰謀論を撒き散らしていたR.F.Kジュニアがトランプ政権の厚生長官になって大学や公衆衛生部門への数十億ドルの助成金をキャンセルし、疾病管理予防センター(CDC)や米国国立衛生研究所(NIH)での大量解雇を発表するなどの事態が起こっています。つまり、今や現実でも影響力を持つインフルエンサーが先導する陰謀論が力を持ち、ネットとリアル、虚構と現実の区別が曖昧になるというよりは、むしろそれを拡散させるアルゴリズムへの奉仕やハックこそがリアルかつプライマルであり、そのコンテンツが真か偽かは二次的問題であるというような状況にすらなっています。
そんな状況のなかで少なからず僕たちにできることは、コンテンツと歴史の関係性を提示し、少なくとも即時的であるよりも長い時間でものごとを考える共通の領域を作ることではないかと思います。それは、一種の思い込みや実存にかかわる想像力の暴走を必要とする文学や芸術が、陰謀論的想像力と紙一重だからこそ重要なことです。
「万博」という歴史(=ドラマ)との関わり方


下西:展覧会に話を戻すと、今回は「万博」や「寺山修司」という巨大な固有名や出来事/歴史を参照したことが、ひとつの「錨」となって語りが生まれる機能を持っていたのではないかと思いました。なので、布施さんが万博をどのように意識していたのか関心があります。展覧会が始まる前に美術評論家の椹木野衣さんとも話されていましたが、万博をテーマにしようと思ったのはどういった動機があったんですか?
布施:日本で初めて開催された 1970年の大阪万博を実際に見ていないし、どういうものだったかはわからないのですが、万博記念公園に行けば太陽の塔があって、鉄鋼館(現在のEXPO'70パビリオン)での資料展示があって、当時の空気感を想像できます。でも、こうして大阪万博について何度も考えられる理由は、人間ドラマを面白がっている部分があるのではないかと思うんです。事実がどうであれ岡本太郎と丹下健三が途轍もない言い合いをしていたとか、そうしてドラマ化されていくなかで、アーティスト、建築家、政治家たちが持っていたビジョンが群像劇として立ち上がり、まさに錨となって後の人が知ることになる。ルネサンスの画家、彫刻家、建築家についてリアルタイムの視点でドラマ化したジョルジョ・ヴァザーリの『芸術家列伝』みたいな。そんな働き自体が、いまイベントを作ることの面白さだと思っていました。
椹木野衣さんと落合陽一さんとのトークショー*8もそうで、何かドラマを読み出したりできるきっかけはたくさんあるべき。一方で展覧会を構想していた1年前に今回の万博に対して感じていたのは、普通の意味でのドラマがないという違和感でした。会場デザインプロデューサーの藤本壮介さんが「これには価値がある」と発信していましたが、もうちょっと別の矢印を向けて伝えられることもあるだろう、と。
*8……2025年1月、渋谷CCBTにて実施されたプロジェクト「パビリオン・ゼロ」の記者会見内のトークショー。イベントの模様はこちらのアーカイブ から視聴できる。

撮影=竹久直樹
――「ドラマがない」というのは、布施さんから見てどういう状況なのでしょうか?
布施:友と敵のようなシンプルな構図しかないということですね。「手段にはムカつくけど目的は良いよね」とか、そういう議論が困難になっている。万博を経済的かつ文化的なイベントだとした時に、どちらの意味でも実際は友と敵だけでは動いていないはずですが、良いやつと悪いやつがいるということでしか語れなくなっているように感じます。だけど万博には、その名の通り、本来は世界史への意識が必要なはず。振り返った時に思考を刺激する仕組みとしてのドラマを作ることに万博の価値があるのではないかと考えていました。
下西:1855年のパリ万博では、作品の出展を拒否されたクールベが「写実主義パビリオン」と銘打って自費で個展を開催しました。つまり、国家的な事業である万博から排除された人がいて、現実の制度の内部と外部が問題視されていくことになったんですよね。近代美術やその制度においては、国家とその外部という問題はその出発の時点から深く関わっているはずです。僕が聞いてみたかったのは、布施さんが外部で「万博」という名前を使って展覧会をやる意味はなんだったのだろうということでした。
布施:僕が最初に「パビリオン・ゼロ」という言葉を着想したのは、大阪・関西万博のシグネチャーパビリオンが1から8まで番号を振られていることを目にしたからでした。このナンバリングは何なんだ、と。そこから0番目にあって物理的には存在しないパビリオンを通じて、万博を包括する視野を作れるんじゃないかと考えたんですよね。このタイミングで日本の海と人間のあいだにある万博的な想像力を辿るためのフレームになったらいいな、と。後に記録を見た人たちが視覚的に世界観をイメージできるものにしたかったので、集団でHMDを装着して目に見えないものを見ているだとか、その状況自体を残そうとしていました。

アーカイブ展「パビリオン・ゼロの資料室」の様子(撮影=竹久直樹)
メディアに包まれる都市と私


下西:人間が集団で「夢」を見るというのも、古くて新しい問題であると同時に、万博的な想像力に関連していますね。19世紀の万博は、「水晶宮」(クリスタル・パレス)に象徴されるように、巨大な空間を使うスペクタクルが人々に新しい経験と感覚をもたらしました。その背景にはヨーロッパの都市化の問題があります。ロンドンやパリなどの都市が発展していくなかで、人々は農村や田園とは別の風景を見ることになり、多種多様な人間や物に囲まれる環境のなかで注意が散漫になっていきます。哲学者のヴァルター・ベンヤミンはそれを「気散じ」と呼び、『パサージュ論』ではまさに万博やパリの都市における人々の経験を断片的に収集しながら知覚経験の変容を論じました。そういった飛び散った意識をまとめあげる装置として万博があったのだと思います。同時にこの19世紀末は、心理学が勃興し、催眠術がブームになった時代でもあります。1889年8月のパリ万博と同時期には世界初の催眠術学会とショーが開催され、一方には催眠にかかる集団がいて、他方にはスペクタクルな万博が開催されているという、ある意味で今の話とパラレルな構図がありました。
そういう意味において、メディアや環境の変化に伴う知覚変容と絵画や芸術は密接に連関しています。実際、19世紀には巨大なパノラマ形式の戦争画や歴史画が流行しますが、これは前映画的であり前VR的な芸術メディアの経験でもあります。球体的な画面で絵画を鑑賞するような体験があり、このような歴史的背景のなかでたとえばモネのパノラマ絵画が描かれたりもしますね。
そこで気になるのは、HMDの空間やプラネタリウムの空間において、布施さんがどのような画面を創ろうとしていたかということです。今作でもプラネタリウムの映像では球面の画面のなかで四角いカメラのフレームが球面にあわせて伸び縮したり、そのフレームを消し去って全面が一色に染まったりしていました。また布施さんはこれまでも、四角のディスプレイだけではなく楕円形のディスプレイを使ったりしていますが、それはたとえば洞窟壁画のような非平面的で凹凸やフレーム横断的な画面構成や知覚体験を創りたいというような感覚があるんでしょうか。


プラネタリウム上映「観察報告:空の証言」。(撮影=山崎裕貴)
布施:19世紀の万博では人間のスケールよりも大きなものが作られましたが、21世紀の技術的状況では人間よりも小さなものにどれだけ意識を集中させられるのかが競われていることが、万博を抜きにしても重要なパラダイムです。象徴的だったのは、iPhoneからホームボタンがなくなったことで、本体を傾けると時計の数字と壁紙のあいだに距離があるかのような視差表現がなされるようになりました。コップを傾けると水が流れ落ちるように画面のなかが変化する世界観を、Appleは考えているのではないかと思います。もっと普通に言えば、人間よりも小さな画面のなかに無限の広がりがあるということをデザインで示しているんだと思うんです。

布施:僕の活動は、そこに没入するしかないとしても、それでも「私たちは画面外にいる」という断絶の感覚を作品や表現からもたらすことが重要だと思っています。僕たちはあるリンクを踏んだらウェブサイトへ即時的にアクセスできるという全能感を普段から持っていると思うのですが、《隔離式濃厚接触室》*9ではそれが破綻したり不信に晒されたりする状況を作りました。その時、アクセスできないことよりも、実はユーザーの全能感こそが不審がられたりするべきではないかと思うんです。僕はそのシチュエーションを作ることができたら嬉しいし、自分で自分自身への不信をつのらせている人を隣の展示室からのぞいているような状況を作りたいんですよね。なので今回はHMDを装着していない人もツアーの傍らにいて、身体と心の様々な形と距離が集まるといいなと思っていました。
*9……2020年、コロナ禍で発表されたオンライン展覧会。一人ずつしかアクセスできないウェブページとなっており、鑑賞中以外のユーザーからのアクセスは拒まれる。水沢なおによる書き下ろしの詩と布施さんの作品が展示された。


《隔離式濃厚接触室》(撮影=竹久直樹)
下西:私たちは画面の内側に存在しているのか、外側に存在しているのか、人間主体としてメディアにどれほど取り込まれ得るのか、という問いは重要ですね。それは『生成と消滅の精神史』*10で考えていたテーマにも関連しています。この本は「主体性の揺らぎ」という問題について考えたものです。ただし、西洋哲学において「主体」や「自我」と呼ばれていた概念は人間だけに適用される言葉で、現代ではそのような語彙で人間を語ることができないような状況が生まれつつあるという認識をもっていました。だから僕は人間を動物や機械と連続的な存在として語ることができる「認知」「環境」「身体」という別の語彙によって、人間の精神史を読み直していく必要があると思ってこの本を書きました。
*10……西洋哲学、認知科学、サイバネティクスなどの学問領域を横断しながら心の成立過程を辿る本書は、近代的自我をはじめ時代ごとに心が「発明」されてきたことを明らかにし、AIが台頭する現代の心のありかを探る。2022年、文藝春秋より刊行。

『生成と消滅の精神史』
下西:近代以降の展開を見てみると、17、18世紀のデカルトやカントは、世界を認識する出発点として超越論的に世界を見渡せるという感覚から人間の精神を捉えています。その後の19世紀末から20世紀に始まった現象学においては、フッサールは身体が重要であると言い始めたし、ハイデガーは人間の使う道具のネットワーク、つまり環境が大事だと言った。さらにメルロ=ポンティはむしろ世界そのものの内で知覚が生じると言った。つまり、内在的、超越論的だった意識が、経験的、外在的なものとの関係のなかで捉えられていくというプロセスが19世紀から20世紀にかけて生じていたのではないかと僕は考えています。意識は「私」のなかで生じているのではなく、「世界」で生じているのだという哲学が現れてきたとも言えるし、この傾向は現在も加速していると思います。
これは19世紀から20世紀にかけた神経生理学の進歩によって、人間の神経がどのように活動しているかわかるようになってきたことと関連しています。精神(意識)は即物的で身体に埋め込まれた不確実性のあるであることが明らかになり、例えば実験心理学者のフェヒナーは知覚をどのように数値的に計算できるかを考えた。そして意識は人間に内在する私秘的で超越論的な出発点ではなく、数値化可能で外在的であるという考えがでてきたんですね。もしも意識や知覚が数値的に反応する制御可能な存在であり、また物質的に世界と連続しているのなら、頭の外側にあるメディアや都市を設計することが、そのまま人間の意識を設計することだと想像できるようになりました。だから20世紀のメディアの問題や今世紀のネット的アルゴリズムの問題は、十分に思想史的/認知科学的な問題であり、これは芸術・メディア・哲学などの分野を横断して考えるべき非常に重要な問題だと思っています。
布施:世界の側こそが意識を持っていて、という世界観は下西さんご自身が語ろうとしているものでもあるんですか?
下西:いや、僕が考えているのは、意識を自分の「内側」に持ちたいという強固な18世紀的な自律型(近代的)自我への執着と、でもどうしても「外側」に作られてしまうという20世紀的な分散型(後期近代的)自我のあいだを、絶えず往復したり引き裂かれたりしていることこそ意識の正体なのではないかということです。人間には固有の「本質」があるのではなく、かといって「実存」的な選択によって何にでもなれるのでもなく、つねに揺らめいている不確かな存在であることから逃れられないということです。だからこそそれを媒介し、介入するメディアを設計することの権力性とか、どういう人間像を求めているのかという思想に関心があります。
布施:なるほど。最近は権力に対する反省を強いることをやりすぎて、特にカルチャーシーンではどうやって権力の行使を見えないようにするのかという方にベクトルが向き始めているように思うんです。多様な人材を呼んでいるのでこれは一方的な権力行使ではありません、とか。
下西:権力の行使自体が悪いと言っているわけではなくて、どのように使うか、あるいはそれが可視化できるならそれを踏まえて人間がどういう態度を取ったりどういう生き方を選択するかということですね。例えばリンクを踏んだ先でバグを起こすようなことは重要だと思うのですが、スペクタクル的なものはその自由をかなり奪っている。

布施:元も子もないことを言います。命って輝いた方がいいよなと思ったりするわけですよ。
下西:万博のキャッチコピーですね。
布施:メディアや都市を複雑に設計できるようになったということはわかりつつ、理念としてキャッチコピーやコンセプトが正当だったとしても、それがどのように実現できているかが問題じゃないですか。例えば、シグネチャーパビリオンに参加している福岡伸一さんが語ろうとしていることの方が万博の外部でなされている針の穴に糸を通すような議論よりも理念のレベルでは正しいということは多分にあるはずなのに、何かものすごく大きな掛け違いが起きている感じがして。
下西:それはプレゼンテーションがまったくできていないという状況の問題ですね。「いのち輝く」というふわっとしたテーマの奥に隠れていますが、もっとも説得力があると思うのは、本当は猪瀬直樹氏の発信です。
猪瀬氏はまず東京オリンピックを招致したわけじゃないですか。彼はマラソンもしているし、テニスもしているのですが、それは健康寿命を長くするということが、国家予算を圧迫してかさみ続ける医療費の問題を解決する重要なテーマ、すなわち最重要の国家的課題だと考えているからです。少子高齢化が進むなかで健康寿命を伸ばすためには、スポーツをすることがもっとも重要であると。国民の体力を作っていこうというコンセプトがあって、それを大阪・関西万博へそのままスライドして、ライフサイエンスや(介助もできる)ロボティクスの研究機関が発展している関西で、今度は生物学的・機械的に日本の課題である少子高齢化問題を解決する道筋を示し、さらに万博という世界への技術・商品プレゼンテーションの場で売り込むことができると彼は思っているのではないかと思います。だからノーベル賞を受賞した山中伸弥氏(京都大学iPS細胞研究所名誉所長)が万博アンバサダーを務めてるわけです。
でも実際は、そういうプレゼンテーションやキュレーションができているようには思えない。それを誰がまとめて、プレゼンテーションとして練って、是非を問うような形にできるのか。そのようなガバナンスさえ実践できていないという問題がありますね。もしかしたらこのような状況そのものが、物語の機能不全やメディアの設計の困難さを象徴しているのかもしれません。

Information
布施琳太郎個展「人工呼吸、あるいは自画像の自画像」
会期:2025年6月20日(金)~8月2日(土)
会場:SNOW Contemporary
住所:東京都港区西麻布2-13-12 早野ビル404
公式サイトはこちら
ARTIST

布施琳太郎
アーティスト
1994年生まれ。スマートフォンの発売以降の都市における「孤独」や「二人であること」の回復に向けて、自ら手がけた詩やテクストを起点に、映像作品やウェブサイト、展覧会のキュレーション、書籍の出版、イベント企画などを行っている。主な活動として個展「新しい死体」(2022/PARCO MUSEUM TOKYO)、廃印刷工場におけるキュレーション展「惑星ザムザ」(2022/小高製本工業跡地)、ひとりずつしかアクセスできないウェブページを会場とした展覧会「隔離式濃厚接触室」(2020)など。著書として『ラブレターの書き方』(2023/晶文社)、詩集『涙のカタログ』(2023/パルコ出版)。参加したグループ展に『ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?』(2024/国立西洋美術館)、『時を超えるイヴ・クラインの想像力』(2022/金沢21世紀美術館)など。
GUEST

下西風澄
1986年生まれ。東京大学大学院博士課程単位取得退学。哲学や文学を中心に執筆活動を行う。 著書に『生成と消滅の精神史 終わらない心を生きる』(文藝春秋)。 執筆に「生まれ消える心─傷・データ・過去」(『新潮』)、「演技する精神へ─個・ネット・場」(『文學界』)、「ぼくは言語」(『群像』)、「青空を見つめて死なない」(『ユリイカ』)など。詩に「風さえ私をよけるのに」(『GATEWAY』)、「ぼくたちは死んでいく。」(朝日新聞)ほか。
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