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INTERVIEW
2025.06.18
【後編】「ゼロ」から始まる共同体。布施琳太郎と下西風澄が寺山修司から考える、孤独、感情、都市の回路
Text / Eisaku Sakai
Edit / Eisuke Onda
東京湾沿いに造成された埋立地に位置する葛西臨海公園。この地で、アーティストの布施琳太郎の企画による展覧会『パビリオン・ゼロ:空の水族園』が2025年2月に開催された。連載「作家のB面」でもここ葛西臨海公園で取材が行われ、当時のインタビューで語られたことが実現した形となった。
展覧会タイトルには「パビリオン」という万博における展示館を指す言葉が引用され、まさに現在、大阪・関西万博が開催されているなか、展覧会の企図や意義を問うのは哲学者の下西風澄。著作『生成と消滅の精神史 終わらない心を生きる』などで、AIが全盛を迎えつつある時代の心のありようを描写してきた彼が、布施の複層的な試みを読み解く。
対談の前編では、90年代から現代までのオンラインプラットフォームの変化、都市と万博の関係性から、布施の取り組みを「メディアアート」として位置付けた。後編では、布施が本展覧会で参照した寺山修司の想像力からいま引き継ぐべきものは何かを語った。
世界への理解の仕方を書き換える寺山修司

下西:布施さんはどのくらい意識していたかはわからないですが、没入と離脱の仕掛けは、実は寺山修司がもっとも得意としていた手法でもありますよね。映画『田園に死す』(1974)では、彼の自伝的な思い出の物語を辿っていった後に、「これは映画です」と楽屋落ち的なものが設計されている。
布施:僕は彼のアンビバレンスが好きなんです。『書を捨てよ、街へ出よう』(1971)の映画冒頭で東北訛りの青年が真っ暗な画面のなかにいて、「映画館で座って待っていても何も始まりはしないよ」と客に言うんですね。それで「そっと隣の人の膝に手を伸ばしてみても、誰もお前の名前なんか知らないから問題ない」と続く。そして「映画を見て喧嘩が強くなった気になっているんじゃない」と怒鳴りつけられる。それが寺山のなかで一番好きで。
当時の学生運動をしていた人たちから、寺山は、「僕」とか「私」とか一人称単数の語りに共感する若者を集める日和見なやつだと批判されながらも、「僕がしたいのは政治ではなく革命なんだ」と彼は言ったりする。そういうところにこそ共感するんですよね。例えば、彼が企画した『明日のジョー』の力石徹の葬式は集団的にキャラクターを実在させる儀式になっていて、それは政治でも現実でもないんだけど、僕たちの世界への理解の仕方を書き換えようとする点でアナーキーです。そして下西さんが今日僕に対して言ってくれていたような意味で、まさにメディアアーティスト的なんですよね。
下西:そのイメージはすごくわかります。寺山修司は父親が早くに死んで親戚の家に出されるんですが、そこは映画館だったんですね。だから彼はスクリーンの裏側から映画を一人で見ていて、みんなが熱狂しているイメージというのは、光をスクリーンに当てているものに過ぎないんだという原体験があった。
それから彼の最晩年の作品に谷川俊太郎とのビデオレターがあって、寺山は肝硬変で爛れた皮膚を撮って送ります。それを見た谷川は、本当は寺山は繊細で弱いところを持っていたのではないかと言うんですね。つまり社会や政治に介入するようなアナーキーで激しい部分もあったのでしょうが、同時にプライベートな自意識の苦しさに閉じこもってしまうような、セカイ系的な感覚も持っていた人だったのかもしれません。
ただ、社会的な変容のために「市街劇」*1という取り組みを始めていったのも事実で、布施さんはそれを「パビリオン・ゼロ」において「市外劇」(市街の外の劇)と読み替えた。僕としては、それは妥当だったのだろうかと、やや疑問でした。寺山にとっての「市街劇」という試みは「都市」であることが本質的で、市井の他者との相互作用が新しい共同性のリアリティを作るために必要だったのではないでしょうか。
*1……寺山修司主宰の天井桟敷が1970年より開始したシリーズ。1975年には阿佐谷を舞台に30時間の市街劇として『ノック』が上演された。観客は、住民票を模したチケットと地図を交換し街を巡る。

葛西臨海公園内を巡るツアー『パビリオン・ゼロ:空の水族園』の様子。記録写真(撮影=竹久直樹)
布施:1983年に寺山修司が亡くなって、それはAppleがGUIを搭載したLisa*2を発売した年であり、ファミコンが発売された年でもあります。つまり家庭にコンピューターがやってきた元年だった。都市であることが重要だったとしたらそれは、目と耳が現実に対して開かれている時代だったからと言えるんじゃないでしょうか。一方で今は路上にいる人々のほとんどがスマホを見てイヤホンをつけながら歩いているわけで。
*2…….Appleから1983年に発売されたパーソナルコンピュータ。初めてグラフィカルユーザーインターフェース(GUI)を搭載したことで知られている
下西:当時も目と耳が閉じられていて、だからこその都市だったんじゃないですか?
布施:今はもう物理的に閉じられていて心の問題とは少し違う。ノイズキャンセリングされたりして、マジで気が付かないんじゃないかと思うんです。でも、閉じていたからこそ開く効果があったのは事実かもしれないですね。


『パビリオン・ゼロ:空の水族園』で行われた黒澤こはるのパフォーマンス《ショーケース越しの逢瀬》の様子。記録写真(撮影=竹久直樹)
下西:寺山は市街劇の前にTBSで『あなたは……』(1966)という番組をやって、機械的に街の人に質問をぶつけ続けるインタビューをしていましたよね。彼はそこで匿名的で無関心に生きている都市の群衆の心をこじ開けてその内部を見ようとした。彼が言っていたのは、政治は現実を大雑把にしか変えられないが、演劇は日常に侵入して微細なものを変えられるということ。だからまったく関係のない通りすがりの人に「あなた、私のお父さんですよね?」と質問して家までついていってしまうとか、家にカメラを置かせて日常生活を撮影させるとか、偶発的な出会いと変容を強制的にでもやらなければならないという意識があったんだと思います。他にも、時間が経つごとに独立国家としての領土が広がっていく「1メートル四方1時間の国家」とか、本当にギリギリのことをいつもやってましたね。
布施:彼が話すことは、演劇として実際にやったことなのか、ただの思考実験なのか、よくわからなくなりますよね。
下西:もうひとつ寺山にとって重要だったのは、「見る/見られる」という関係性そのものを上演することだったんじゃないかと思うんですよね。そしてそれはそのまま、未知で匿名的な他者といかに共存できるかという「都市的想像力」に関連する。例えば寺山が主宰した劇団・天井桟敷の『盲人書簡』は、真っ暗闇の劇場で上演され、観客にはマッチが配られて、観客が自分でマッチを灯した時だけ明かりが生まれて劇を見ることができる仕掛けになっていました。つまり、演劇を「見る」ためには劇に参加しなければならないし、火をつけると自分自身が「見られる」対象になる。そういう他者と共存する空間における関係性の混濁によって、現実と虚構を混濁させることを目的にしていたのではないかと思います。そういう意味で、寺山修司はネット時代のコミュニケーションや実存の在り方を先取りしているところがあり、それを様々な場やメディアを使いながら自覚/混乱させようとしていたというのはまさに「メディア・アーティスト」的でもありますね。
恋愛という二者関係から始まる共同体


下西:布施さんは、他者との相互作用による共感や苦悩をそこまで信用してないんじゃないかと考えたりもするんですよ。たしか最初に会ったとき、布施さんはネットが好きそうだけど、現在のWeb2.0よりも過去のWeb1.0を懐古的に求めているのでは、と伝えた気がします。だから、プライベートな感情を遠くの誰かに届けたいという「ラブレター」的なメタファーが出てくるのだろうし、市街劇が持っていた相互作用性ではなく寺山のプライベートな空間制作やメディア制作の部分に注目しているんじゃないかと思いました。その視点もまた面白いと思いますけどね。
布施:寺山は、僕のなかではマルセル・デュシャンに近い存在だと感じていて。デュシャンが作ったアートの方法は、その後コンセプチュアルアートやミニマルアートとして使えるアイデアになっています。つまり彼のアイデアは、アーティストたちの暗黙の引き出しとして使われたり別の文脈に密輸入されたりしていますよね。
寺山もものすごくたくさんの引き出しがあり、それを活用することで彼が過ごした時間を追体験できるのではないかと思うんです。他者に期待していないのではなく、会ったことのない他者が次の制作の理由になっていく飛び飛びの世界観が好きなんですよね。「出会っていない/出会えない」という超えられない切断や分断があるにもかかわらず、次の営みの理由になることがある。スケールの大小を問わずに実験できる場所を作るために、寺山の方法は使えるなと思ってます。
下西:それは芸術というシステム全体の働きとしてはその通りだと思うのですが、そうするとなんでも引き出せてしまう。今あえてデュシャンや寺山の何を拾ってきて、どのように解釈しどう物語化するかが重要で。
たとえば寺山修司の最後の作品になった演劇『レミング─世界の果てまで連れてって─』は、二人の青年がある夢遊病の女性の夢の中に入り込んでしまい、またそのこと自体も母の夢のなかの出来事で、その夢もまた⋯⋯、というように、どこまで行っても何重にも折り重なった世界から抜け出せないという構造の物語です。このような想像力は押井守『ビューティフル・ドリーマー』などにも繋がっているセカイ系的な想像力にも通じるものだと思います。しかも劇中で映画を撮影する物語も進行するから「はいカット!」などという声もかかり、何度も離脱と没入を繰り返し続け、最後には「事実は死んだ!」という大きな言葉が舞台上に響きます。
今回の展覧会も近しいものがあると感じたので、やっぱり「市外劇」で合っていたのだろうかと思うんですよね。


『パビリオン・ゼロ:空の水族園』水上バスの様子。記録写真(撮影=竹久直樹)
布施:直接答える話ではないのかもしれないですが、僕は表現をする時に泣けるポイントから考えるんです。今回であればHMDを外した後に船へ乗り甲板に出るのですが、その開放感とか。どういう時に人が泣くかはわからないですけどね。とにかく、とてつもない開放感とか新海誠的な絵に描いたような美しさとか、泣けるという極点に到達するためにいろいろなレイヤーを増やしていこうとしています。例えば、甲板から見た景色には海があって埋立地があってそれは東京大空襲の瓦礫でできていたりするわけです。なので、下西さんが話したような寺山の夢と現実を重ね合わせる方法を僕が活用しているとしたら、それは泣けるというポイントから考えていく方法なのかなと思っています。
下西:それは変かもしれない(笑)。映画監督だったらわかるけど、「泣ける」とは芸術家はあんまり考えないような。
布施:だからアーティストは、人間の感情にもっと興味と責任を持った方がいいと思います。操作しようと思えば、操作できてしまう可能性があるので。僕は、泣くのは自分自身が見ているものに没入しながら逃避するためなのかなとは思ったりしていました。
下西:僕が泣くのは、時代を超えて同じ問題と戦っている人がいたと感じる時ですね……。自分自身とはまったく関係がないのに、孤独なんだけど繋がっているような、そういう感覚に近い。目の前の人を泣かせるのは簡単と言えば簡単で、感情移入をさせればいいわけですね。押井守が宮崎駿を批判しているのは一貫してその点でした。それを禁じ手にした押井守の作品は、逆に人間が「人形」になっているわけですけど。


布施:今回の展覧会をツアー形式にしたり、かつてのインタビューでデートに使える展覧会と言ったのは、訪れた人の人生のなかで特別な時間を過ごしてほしいからです。今日だけでも「自分は自分を生きている」と感じてもらいたい。『隔離式濃厚接触室』へのアクセスについては、労働者であるとか学生であるとか親であるとかすべての属性から切り離された個であるという状態が、作品と出合うことなのだと説明していました。作品の自律性よりも見る側の自律性を創出するためにこそ芸術が必要なんじゃないか。それが僕の言う「新しい孤独」でした。だから、感情移入ではないんですよね。
下西:これは僕の解釈になるんですが、「恋愛」をテーマにすることは、単に今を生きる人たちへのメッセージであるだけなく、長い歴史で考えても実は日本の思想とか芸術を考えていくうえでいいフックになると考えています。『私の個人主義』を書き、日本の近代思想の礎を作ったとも言える文明論批評家でもあった夏目漱石は、小説ではほとんど恋愛の話を書いています。また、戦後日本の精神性を最もうまく説明したと思える江藤淳も漱石の現実の恋愛を執拗に調査しつつ、代表作『成熟と喪失』も一種の男女論的なものとして書かれています。そして吉本隆明『共同幻想論』は、イザナギとイザナミの性愛による国生みの物語に注目し、そこから現代日本に至るまでの共同体の在り方を再構成します。日本の国家イデオロギーやコミュニケーションを解釈するのに恋愛から始め、男女二人の関係性を拡張して家族や社会になるという共同性の作り方があると論じているのは興味深いポイントです。こうして並べてみると、恋愛論というのは日本の文学や批評において伝統的な系譜を形作っていると考えることもできる。
僕の解釈では、超越的で絶対的な神のいない日本において、トップダウンの規範や法では社会秩序をデザインできず共同体を維持できないため、プライベートな人間の関係性からボトムアップに社会秩序の構成を論じることが有効であり、そのために恋愛という二人の関係性を拡張することによって国家の成り立ちまでを説明していく必要があったのではないかと考えています。それは一方では「悪い場所」として歴史が成立しないという限界でもあり、他方では強い規範がなくても僕たちはゆるふわで平和に生きていけるという豊かさでもある。なので、恋愛のようなミクロのコミュニケーションに注目するのはいいと思うのですが、そこからもうひとつその歴史性やどういう共同性や社会を想像していくのかまでの接続は考えられるべきではないでしょうか。

布施:そうですね。『ラブレターの書き方』*3を出版した際の対談でもその話をしていただいて。世界の起源をただひとつに絞るのではなくて、二人の神がいるという二者関係が出発点であるのはすごく面白いと思う。ただ、二者関係が剥き出しのままではおそらく成立しなくて、イザナミとイザナギの関係は天之御柱があるから語ることができる。つまり二者関係を可能にする第三項が必要で、それを僕は作ろうとしているのかな、と。
*3……渋谷の恋文横丁の代筆、寺山修司のラブレター、ネットアート、詩における誤変換などの事例の考察を通じて、SNS時代における「二人であることの孤独」を描く。2023年、晶文社より刊行。
下西:天之御柱に注目するのは面白いですね。二人はもう出会っているのに柱を廻って再び出会い直す。それこそがラブレターでありメディアだということになる。人がそのままで他者と関係することはできず、必ずメディアが介在し、そこに遅れの時間が生じている。直接的で高速なコミュニケーションだけが回転する現代において、どのようなコミュニケーションを再設計し、そこで人が出会い直していくのか。今ものすごく重要なんだと思います。

Information
布施琳太郎個展「人工呼吸、あるいは自画像の自画像」
会期:2025年6月20日(金)~8月2日(土)
会場:SNOW Contemporary
住所:東京都港区西麻布2-13-12 早野ビル404
公式サイトはこちら
ARTIST

布施琳太郎
アーティスト
1994年生まれ。スマートフォンの発売以降の都市における「孤独」や「二人であること」の回復に向けて、自ら手がけた詩やテクストを起点に、映像作品やウェブサイト、展覧会のキュレーション、書籍の出版、イベント企画などを行っている。主な活動として個展「新しい死体」(2022/PARCO MUSEUM TOKYO)、廃印刷工場におけるキュレーション展「惑星ザムザ」(2022/小高製本工業跡地)、ひとりずつしかアクセスできないウェブページを会場とした展覧会「隔離式濃厚接触室」(2020)など。著書として『ラブレターの書き方』(2023/晶文社)、詩集『涙のカタログ』(2023/パルコ出版)。参加したグループ展に『ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?』(2024/国立西洋美術館)、『時を超えるイヴ・クラインの想像力』(2022/金沢21世紀美術館)など。
GUEST

下西風澄
1986年生まれ。東京大学大学院博士課程単位取得退学。哲学や文学を中心に執筆活動を行う。 著書に『生成と消滅の精神史 終わらない心を生きる』(文藝春秋)。 執筆に「生まれ消える心─傷・データ・過去」(『新潮』)、「演技する精神へ─個・ネット・場」(『文學界』)、「ぼくは言語」(『群像』)、「青空を見つめて死なない」(『ユリイカ』)など。詩に「風さえ私をよけるのに」(『GATEWAY』)、「ぼくたちは死んでいく。」(朝日新聞)ほか。
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