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INTERVIEW

2022.09.16

【前編】アーティストたちが主体的に参加した熱海の新しい祭りって?/証言「PROJECT ATAMI」

Text / Yosuke Tsuji(DOZiNE)
Photo / Shion Sawada
Edit / Eisuke Onda

かつては観光地として賑わいをみせていた熱海だが、昨今のコロナ禍の影響もあり街には少し暗いムードが漂っていた──、そんな2021年に動き出した新たなアートプロジェクト「PROJECT ATAMI」をご存知だろうか?

アーティストたちはこの街での制作に熱狂し、その熱が熱海の眠っていたポテンシャルに火をつけ、昨年末に開催したアートフェスは連日のように大盛況。

いったいなぜこの祭りが生まれたのか。そしてなぜ人々は熱狂していったのか。それから、今年はいったい何が起きるのか? 「PROJECT ATAMI」のこれまでと、これからを前後編でお届けします。

前編では発足当初から関わっていた総合ディレクターの伊藤悠、キュレーターとして関わった吉田山、参加アーティストの河野未彩の話から、誕生の理由を紐解いていく。

 

アートで熱海に花を咲かせる

 2021年末に熱海市を舞台に開催された地域アートフェス「ATAMI ART GRANT」は、多い日で一日のべ1000人を超える異例の来場者数を記録し、大きく話題となった。地域とアート、すでに十分に語り尽くされてきたかにも見える両者の関係に、新たな展開を起こしうる可能性を垣間見せた同アートフェスは、いかにして開催へと至ったのだろうか。母体となった「PROJECT ATAMI」の総合ディレクターを務めたのは、渋谷区神宮前のギャラリー「HARUKAITO by island」の代表である伊藤悠。伊藤が最初に熱海を訪れたのは、今から2年前、2020年の夏のことだった。

「一昨年の夏くらいに東方文化支援財団の代表理事の中野善壽さん(*1)に『今度、熱海に行ってみないか』と誘っていただいたんです。それ以前から、中野さんが寺田倉庫の社長の時期に鉄工島フェス(*2)や天王洲の壁画プロジェクト(*3)などに取り組ませていただいて、一緒にアート事業にたずさわってきました。中野さんは経営者として企業活動にアートを取り入れるということをずっと実践されていて、私はいわばその実装担当。今回もその流れかなと思って、なんだかおもしろそうと向かった先があのACAO SPA & RESORTだったんです」

*1......現在はACAO SPA & RESORTの代表取締役会長・CEOも務めている。実業家であり様々なアート事業に貢献してきた。

*2......2017年〜2019年の間に大田区京浜島でスタートした音楽とアートのイベント。かつて鉄工所が集積したこのエリアの特性を生かして様々な展示やライブが行われた。

*3......2019年より開催した「TENNOZ ART FESTIVAL」のこと。天王洲を舞台に建物のファサードや壁に巨大な壁画を制作したり、彫刻を展示した。

ACAO SPA & RESORTの建物全景。

 ACAO SPA & RESORTとは1973年の創業以来、熱海の顔として君臨し続けてきた名物ホテル(2022年HOTEL ACAO ANNEXのみ宿泊営業終了)だ。バブルを目前に控えた華やかなりし時代の雰囲気を漂わせた絢爛豪華な建築と内装を目に、伊藤はただただ圧倒されたという。

「なんなんだ、この異空間は!って思ったんです。サロンのシャンデリアや広大なダイニングなどもそうですけど、ホテル全体が今ではちょっと考えられないような豪華な空間になっていて。ただ、その時は見学させてもらっただけで帰ったんですよ。それから半年以上が経った翌年の1〜2月くらいに中野さんから『熱海を進めるよ』と連絡いただいて、それで実際に動き出すことになったんです」

HOTEL ACAO ANNEXのゴージャスなシャンデリア、カーテン、絨毯を使ったダンスホール「サロン・ド・錦鱗」。ガラスに覆われ海を一望できる。

天井が高くカーペットが豪華な「メインダイニング錦」。

 目的は熱海の街にアートを実装すること。その際、メイン会場として設定されたのがHOTEL ACAO ANNEXだった。

「ちょうど熱海全体にコロナの影響もあり宿泊客も減っていて、そんなムードをアートで変えることはできないか、というのが中野さんの考えでした。ACAO SPA & RESORTが舞台なのに『PROJECT ATAMI』と銘打ったのは、中野さんやACAO SPA & RESORTの社長である赤尾宣長さんと話したことがきっかけです。赤尾さんがそのときお話しされていたのは、熱海は美しい花々が観光資源としても有名なんですけど、花は一年に一度しか咲かないんですよね。だから、アートによって、もっと一年中を通して、熱海にさまざまな色の花を咲かせることはできないかっておっしゃってて。実際、ACAO SPA & RESORTを盛り上げるためには熱海全体が盛り上がらないといけないですよね。だから熱海全体を舞台にするようなプロジェクトにしようとなったんです」

 

過密なスケジュールと土砂災害

 こうしてPROJECT ATAMIは始動することとなった。2021年春、当初、想定されていたのは“二本柱”による展開だった。

「ひとつはHOTEL ACAO ANNEXの客室にアーティストに入ってもらって、そこで生活しながら熱海の街をリサーチして作品を制作してもらうというもの。それが『ACAO ART RESIDENCE』。もうひとつは、年に一回、アートを通じたお祭りのようなことをしようというもので、公募でプランを募集し採用したアーティストたちに熱海の各地で作品を展示してもらうというもの。これが『ATAMI ART GRANT』です」

 順調な滑り出し、だが、それにしてもそのスケジュール感には目を見張るものがある。伊藤がPROJECT ATAMIの始動を決定したのは2021年2月、その二ヶ月後の2021年4月には、早くも「ACAO ART RESIDENCE」は始まっていたのだ。

「3月くらいにはアーティストが下見に来て、4月にはもう滞在し始めてましたね。全体プランをきちんと描くよりも前に、まずアーティストに入ってもらって、熱海の街を実際に見てもらおうと思って。ただ、第1ターム(4月~5月/*4)のアーティストを誰にするかというところは結構考えました。まだプロジェクト自体の下地もない状態、しかもホテルの人にとっても初めてのことだらけなわけですし。だから、最初はどんな現場でも楽しむことができて、場を一から切りひらいていける力を持っていそうなアーティストを選んだんです。結果的にそれがうまくいきましたね」

*4……HIRO TANAKA 、大小島真木 、 光岡幸一 、 市川平が参加。

大小島真木の熱海での制作風景。ビーチサイドのカフェスペースをアトリエにして、約6メートルの絵を描いた。撮影:KABO

ACAO ART RESIDENCE #1での制作スタジオを周るツアーの様子。撮影:KABO

 二本柱のもう一本、年末に開催された「ATAMI ART GRANT」も、かなり急ピッチなスケジュールの元で開催されたという。ただし、そこに関してはやむをえない理由もあった。

「年末にGRANTをやろうというのはぼんやりとは考えていたけど、実際に11月の開催に向けて動き出したのは割と直前の8月末くらい。というのも、2021年の7月に熱海で土石流災害があったんです」

 2021年7月3日、熱海市伊豆山地区の逢初川で大規模な土石流が発生した。最多時で約580人が避難民となり、合計27名の死者を出したこの大災害が発生した時、HOTEL ACAO ANNEXのサロンではちょうど第2タームのレジデンスアーティストの一人である鈴木昭男が、オープンレジデンスの一環としてパフォーマンスを上演している最中だった。

「パフォーマンスを見に地元の方もいらっしゃってたんですけど、土砂災害の警報を受けてすぐに帰っていかれて。実際にその方のご自宅は土石流で全壊してしまっていたんです。本当に大変な災害で、だからGRANTの企画もいったん白紙にしようかと思ったんです」

7/3に開催したAKAO OPEN RESIDENCE #2での鈴木昭男と宮北裕美のパフォーマンスの様子。この翌日の7月4日に土砂災害が起きた。撮影:KABO

 災害の数日後には「PROJECT ATAMI」主導で、アーティストの作品がプリントされた「チャリティーシャツ」を販売するチャリティープロジェクトを始動した。当時はなによりもまず被災者への支援こそが急務で、グラントの開催はおろか、レジデンス自体がその後どうなっていくのかさえ不透明だった。しかし。

「パフォーマンスにいらっしゃっていた(家が全壊してしまった)方と災害後にお話をしたら、こういう時だからこそ是非やってほしいって言ってくださって。ショボーンってしてるだけじゃなくて、みんなで未来に向かって何かを作ることにエネルギーを発していきたい、と。それで8月の末にようやく開催を決定してプランの公募を始めたんです。その2ヶ月半後くらいには実際にGRANTを開催していたわけだから、かなり無茶苦茶なスケジュールですよね。(笑)」

 流動的なスケジュールの中でかろうじて開催へと至ったATAMI ART GRANTが、結果として異例の大盛況となった、というのは先述の通りだ。ところで実を言うと、流動的だったのはスケジュールに関してばかりではなかった。「PROJECT ATAMI」というプロジェクトのフレーム自体、立ち上げ時より極めて流動的な状態に置かれていた。

 

ルールがないから主体的になれる

ACAO ART RESIDENCE #3で河野未彩が制作して「サロン・ド・錦鱗」で展示された作品。撮影:河野未彩

「去年の春先に伊藤さんと別の仕事で知り合って、その時に熱海でプロジェクトをやっているって話を聞いたんです」

 そう語るのは第3ターム(2021年7月~8月/*5)のレジデンスメンバーである視覚ディレクター、グラフィックアーティストの河野未彩。

*5……河野の他には渡邊慎二郎、華雪、安部勇磨(never young beach)が参加。

「私はデザイン寄りの界隈で活動してきたタイプなので、これまでアーティスト・イン・レジデンスとかにはあまり縁がなかったんです。ただその頃、ちょうど場所を掘り起こすように作品を制作するということに関心が向き始めていた時期でもあって、それ興味ありますって伊藤さんに伝えたんですよ。そしたらすぐに誘ってもらえたんです」

 河野によれば、こうした伊藤のスピーディーかつフレキシブルな対応はプロジェクトの枠組みそのものにまで及んでいたという。

「PROJECT ATAMIって街全体に関わる大きなプロジェクトなんですよね。それなのにルールがあまりないんですよ。最初はプロジェクトのフレームに合わせて何かするのだと思っていたんだけど、そのフレームが思ったよりフレキシブルで、私たちの状況や反応によって臨機応変に対応していただけたんです。たとえば枠組みに関わるようなことに意見を言ったらそれがすぐ通ったりする。それに気づいてからは積極的に動けるようになりましたね。あ、フレームごと作れるんだって」

 事実、河野はレジデンス期間終了後も「PROJECT ATAMI」に関わり続けることになる。

「PROJECT ATAMIとHOTEL ACAOのコラボブランドである〈SUN-MOON〉の立ち上げにディレクターとして携わらせてもらうことになったんです。だから今ではホテル側の定例会議とかにも出させてもらってるんですよ。経営に関わる話とかも直に聞かせてもらったりしていて、なかなか得難い経験ですよね」

INTERVIEW

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INTERVIEW

【後編】総勢50名のアーティストによるお祭り騒ぎが街の風景を変えた? / 証言「PROJECT ATAMI」

  • #伊藤悠・吉田山・河野未彩・GROUP #特集

 

熱海は終わっていなかった

 第4ターム(*6)のレジデンスメンバーであり、インディペンデントキュレーターの吉田山(写真上)もまた、河野と同様、レジデンス期間を超えて「PROJECT ATAMI」に関わり続けている一人だ。

*6……太田光海、髙木遊、布施琳太郎、吉田山が参加。

「僕は出身が北陸ということもあって、熱海にはあまり縁がなかったんですよね。正直、よく分かってなかった。このプロジェクトで初めて訪れて、少しずつ街に関係していって、それでレジデンス後もGRANTの運営をサポートすることになったんです」

 全くの異邦人として熱海を訪れた吉田山だったが、気づけば熱海の魅力の虜になっていたという。

「僕は事前に『熱海は終わった街だ』っていう噂を聞いていたんです。ようは旬が過ぎた観光地なんだって。ただ実際に行って、街中を動いてみると、そんなことないんです。新しいお店も結構あるし、若い人もすごい流れてきてる。ここから何かが始まりそうな熱気も感じられて、だから伊藤さんに誘われるまま長々と関わり続け、なんだかんだ毎月、熱海に通ってました」

 河野にせよ吉田山にせよ、期せずして熱海の街に継続的に関わり続けることになったわけだが、レジデンス期間中はそれぞれ思い思いの時間を“自由”に過ごしていただけだった。その際、熱海での過ごし方について伊藤からなんらかの指示を受けることはほぼなかったという。

「伊藤さんからは好きに過ごしていいと言われていましたね。だから私は割と部屋にこもって海を眺めながら瞑想的な状態で作品を制作してました」(河野)

「僕は何にもしてない日が多かったですね(笑)。一応、ZINEを作る予定ですみたいなことだけ報告して。温泉に入ったり、街を散歩したりしてました(笑)」(吉田山)

ACAO ART RESIDENCE #4で吉田山が制作したZINE「ニューアカオと海が攪拌される」。撮影:吉田山

 アーティストに対して多くの制約を課さず、逆に何か意見があるようなら積極的に取り入れてプロジェクト自体を融通無碍に変化させていく。だからこそ、アーティストが主体性を持ってプロジェクトそのものに参画していく。その運営方針の大らかさを指摘すると、伊藤は「多分、人は任される方が真面目になるのかも」と笑う。

「アーティストって自律した子供(の大人)のようなところがある。そういう面白い大人たちを集めれば、勝手に面白いことが起こっていくものだと思うんですよ。実際、アーティストがやりたいことをどう実現させるかっていう方針で動いていった方が、自分たちがやりたいことを実現させるよりもずっと面白くなるし、予想しなかったようなものも出てくる。だからレジデンスメンバーに対しても、こちらからはあまり指示は出さず、好きなことを好きな形でやっていいよ、としてました。ただ最低限、危ないことは危ないよとは言ってましたけど(笑)」

 さしづめ必修も校則もない全寮制学校といったところだろうか。その特殊な環境は、「ATAMI ART GRANT」の準備期間へと至り、いよいよ混沌を極めていくことになる。

information

project-atami7-min

「ATAMI ART GRANT 2022」
11月3日から27日までHOTEL ACAO ANNEXで開催予定。アーティストはレジデンスアーティストである小金沢健人、中村壮志、冨安由真、GROUPなど合計50組が参加し「渦 – Spiral ATAMI」をテーマに制作。詳細は公式HPにてチェック。

DOORS

伊藤 悠

アイランドジャパン株式会社 代表取締役

1979年滋賀県生まれ。京都大学法学部卒業。人間・環境学研究科 共生人間学専攻修了。 京都芸術大学芸術編集研究センター、magical, ARTROOMディレクターを経て2010年islandをスタート。ギャラリーの経営、アーティストのマネジメントから、六本木アートナイトや寺田倉庫、ACAO SPA & RESORT、108 ART PROJECTなど外部企画のコーディネートやプラニングなど、アートと社会を橋渡しする活動をおこなう。2018年には渋谷区神宮前にあるBLOCK HOUSEの2階にギャラリー「HARUKAITO by island」を構える。

DOORS

河野未彩

視覚ディレクター / グラフィックアーティスト

視覚ディレクター/グラフィックアーティスト。2006年に多摩美術大学プロダクトデザイン専攻卒業。音楽や美術に漂う宇宙観に強く惹かれ、2000年代半ばから創作活動を始める。アートディレクション/グラフィックデザイン/映像/プロダクト/空間演出など、女性像や現象に着目した色彩快楽的な作品を数多く手がける。ラフォーレミュージアムや浅間国際フォトフェスティバルをはじめ国内外での展覧会多数。2019年に作品集「GASBOOK 34 MIDORI KAWANO」をGAS AS INTERFACEより刊行。影が彩る照明「RGB_Light」を開発、日米特許取得から製品化まで実現。主な個展に「脳内再生」(HARUKAITO by ISLAND、2022)、「←左右→」(Calm & Punk Gallery、2021)、「not colored yet」(Calm & Punk Gallery、2018)など。

DOORS

吉田山(YOSHIDAYAMAR)

Art Amplifier(アート・アンプリファイア)

富山県出身アルプス育ち。近所でのフィールドワークを基に、そのアウトプットとしてアートスペースの立ち上げや作品制作、展覧会のキュレーション、ディレクション、コンサルティングや執筆等の活動をおこなうアート・アンプリファイア。FLOATING ALPS合同会社代表。近年の主なプロジェクトとしては、MALOU A-F(Block House,東京,2022)、のけもの(アーツ千代田3331屋上,東京,2021)、「芸術競技」+「オープニングセレモニー」(FL田SH,東京,2020)、「インストールメンツ」 (投函形式,住所不定,2020)等。

volume 03

祭り、ふたたび

古代より、世界のあらゆる場所で行われてきた「祭り」。
豊穣の感謝や祈り、慰霊のための儀式。現代における芸術祭、演劇祭、音楽や食のフェスティバル、地域の伝統的な祭り。時代にあわせて形を変えながらも、人々が集い、歌い、踊り、着飾り、日常と非日常の境界を行き来する行為を連綿と続けてきた歴史の先に、私たちは今存在しています。
そんな祭りという存在には、人間の根源的な欲望を解放する力や、生きる上での困難を乗り越えてきた人々の願いや逞しさが含まれているとも言えるのかもしれません。
感染症のパンデミック以降、ふたたび祭りが戻ってくる兆しが見えはじめた2022年の夏。祭りとは一体なにか、アートの視点から紐解いてみたいと思います。

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