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INTERVIEW

2022.08.19

【前編】祭りとアートは人智を超えた未分化の領域にあるもの / 「祭り、ふたたび」ヴィヴィアン佐藤インタビュー

Text / Eri Ujita
Photo / Ayami Kawashima
Edit / Maru Arai

「いつもの自分」が見る世界と、「装いや化粧を変えた非日常の自分」が見る世界。同じ自分なのに、ものの見方や感じ方が変わるのはなぜだろう?

そんな両極の世界を日ごろから行き来しているのが、ドラァグクイーンであり、美術家、非建築家、映画批評家、新宿歴史家としても多様な活動を行っているヴィヴィアン佐藤さんです。

話を聞きに訪れたのは、非日常を感じる新宿二丁目のバー。ワイングラスを傾けながら、ヴィヴィアンさんが感じる祭りの面白みや、ハレの日に着飾ることがもたらすもの、表現をすることとそれを受け取ることの関係性など、祭りと装いとアートの関係性がさまざまな角度から語られました。

大人になってから、祭りには彼岸の風を感じる良さがあるとわかった

―仙台ご出身だというヴィヴィアンさん。有名な「仙台七夕まつり」も、今年は3年ぶりに通常規模で開催され、まさに「祭り、ふたたび」となりました。ヴィヴィアンさんにとって、幼い頃の祭りにはどのような印象がありましたか? また、大人になってから祭りの向き合い方に変化はありましたか?

青森ねぶたや秋田竿燈まつり、山形花笠音頭など、東北の他県のダイナミックで動的なお祭りと違い、仙台の七夕まつりは中国から伝わった「乞巧奠(きっこうでん)」という風習が由来と言われています。つまり、織物や針仕事などをする女性たちのために祈りを捧げる祭りなんですね。だから商店街の七夕飾りが風が吹いたら少しゆらめくだけの、非常に静的なお祭りなんです。そのせいか、子どもの頃はあまりお祭りは好きじゃなかった。花火もみんなが全部を投げ打って見るところがファシズムっぽくて苦手だったし。でも盆踊りはトランス状態になれるから好きでしたね(笑)。

七夕まつりのイメージが変わったと明確に感じたのは、父が亡くなった20年前くらいのこと。仙台って夏が短いからか、旧暦の7月7日ではなくて、新暦8月7日に七夕まつりが開催されるんですよ。そして終わるとすぐに、お盆や終戦記念日があって、秋が来る。すぐそこにある彼岸の風を感じられるようなイベントなんだと気づいたんです。そこから、しみじみと死者に想いを馳せられる、いいお祭りなんだなと思うようになりました。
 
―新宿に移り住んでから、ヴィヴィアンさんが面白いと感じているお祭りについても教えてください。

もう3年も開催されていないのだけれど、新宿2丁目にある太宗寺の盆踊りね。

この界隈って歴史を紐解くとすごく面白くて、江戸時代は徳川家康の家臣だった内藤家が一帯を仕切っていて、その下屋敷だったところが今の新宿御苑。そして菩提寺が太宗寺にあって。

江戸時代初頭、幕府は日本橋を起点に五街道という江戸と全国をつなぐ5つの街道を整備して、要所要所に宿場町を作っていったのだけれど、日本橋から山梨に行く甲州街道で最初にできた宿場町が高井戸だったんですよ。けれども高井戸って、日本橋からはちょっと遠いじゃないですか。だからもうちょっと日本橋に近い所に、新しい宿や街を作ろうではないかということで、新宿が生まれたんです。そして風俗街や飲食街としての機能も持ち合わせた繁華街となっていった。

元々日本では、愛と恋愛と情欲を分けて考えていた節があって、上野あたりには「陰間茶屋」という男色専門の売春の店があったし、吉原には幕府公認で遊廓が作られていました。そして宿場であった新宿界隈には、旅行者に給仕するとともに売春を行う「飯盛女」と呼ばれる女たちがたくさんいた。彼女たちは田舎の過疎の村とか、山村から連れてこられたり売られたりしてきた娘だったから、一日中働かされて、病気になっても医者や薬も与えられず使い捨て。そして遺体はこの太宗寺やその裏の成覚寺に投げ込まれていたんです。つまりここら辺は、「経済」と「情欲」と「あの世」が隣り合わせになっている場所なんですよね。

参考写真:「十和田市現代美術館主催 三本木小唄ナイト」のようす

そんな太宗寺の盆踊りには、地元で生まれ育ってきた人はもちろん、たくさんのマイノリティたちが集まってくる。昨今ではLGBTQ+と呼ばれる人たちも、アジアや東欧やイスラム圏の外国人たちも、ここで生まれ育ったお爺さんお婆さんや子どもたちと普通に共存しながら、祭りの場特有のコミュニケーションを生みだしていて、面白いなと思いますね。アメリカ型のLGBTQ+以前から日本にはもともとそのような共存する土壌があったのですね。

 

ドラァグクイーンもアートも、その役割はポリネーター

―この3年間、祭りはもちろん、飲み会やエンタメなど、人々の暮らしにおいてハレの日を存分に楽しめない日が続きました。そこではどのような気付きがありましたか?

四季があり、固有の場所性があり、自然との共生が求められる社会だと、どんなに知恵や技術を尽くしても、地震とか津波とか、どうにもならない自然のより戻しは必ず起きる。だからそこでお祭りが重要になってくるわけで。現代においてもその関係性は変わらないし、続くべきことで、ある種必然の形でもあるといえます。そういったものの価値や優劣など、人智を超えたすごいもの、善悪の手前にある未分化のところに祭りは必要で、同じようにそこにアートも存在し得るものだと感じます。

―コロナ禍は、映画やアート、音楽などのエンタメにも影響を及ぼし、それぞれの存在意義を考える機会をもたらしました。ドラァグクイーンでもあるヴィヴィアンさんは、ご自身の活動にどのような意味があると感じていますか?

「ドラァグ」は元々、「引きずる」という意味で、家にある使わないテーブルクロスや壁紙、シャンデリアなどの廃品をヘッドドレスとか衣装に見立てて、引きずっていくようにパーティーやイベントに行くことを形容しています。要するに、価値のないものや無目的なものを、そのときだけ価値のあるものに見立てたりすることがドラァグクイーンの本質であり、得意とすることなんです。

パーティの中で生まれる小さな社会を、いい方向に動かすためには、お酒と音楽と食べ物があるだけでは駄目。人と人とを結びつけてあげたり、会話の中でいろんな人の要素を分解したりすることを得意とする存在が必要になる。そこでドラァグクイーンは、パーティー全体を調合して、人間関係がうまくいくようにリードする役割を担う。だから「ドラァグ」という言葉には、そうやってみんなを引きずるという意味もあるのかなって思うの。そうしてなんの気なしにやったことが発展して、仕事や出逢いへと実を結ぶことにもつながるから、私はドラァグクイーンのことを、ポリネーター(花粉を運ぶ媒介者)だと思っています。


―ヴィヴィアンさんをポリネーターとして動かし続ける「蜜」とは、何だと思いますか?

やっぱりエネルギーですね。体調悪いなとか面倒くさいなと思っても、お化粧をして出かけて人と会うと、すごくエネルギーをもらえて元気になる。そして閉じられたパーティー空間の中にはエントロピー的なエネルギーが詰まっていて、その時だけあるエネルギーを集めたり、選択したり、跳ね返したり、無視したりして、エネルギーの交換が行われていることも楽しい。

このように2丁目で私は媒介者になっているけれど、私がつくったり観たりするアートも、同じようにひとつの媒体(メディア)になりうるもの。アートを通してああだこうだ言いながら解釈できるかどうかが価値となる。そういうところが、ドラァグクイーンとアートの共通点でもあると言えるわね。

―その他に、ドラァグクイーンとアートに共通点を感じるところはありますか?

アートの傾向と2丁目の傾向と重ねてみると、結構面白いの。例えば「女装」をする人たちは、幼少期や青年期に強烈に憧れていたような、お母さんや女優、アイドルなどの女性像があって、それをお手本にして、近づけるように何度も反復するような傾向がある。だから今どきそんな格好をしている女性はいなくとも構わないわけです。それはアートの分野で言うと、写実主義なんですよね。リンゴや富士山をなるべくうまく描こうとする感じ。でも素人が多いから、いわゆる日曜画家みたいになりがちでもあって。

「ニューハーフ」の場合は、女性の中に紛れて男性とはわからなくなってしまいたいという傾向があるから、写真のように絵を描く感じ。アートでいうスーパーリアリズムですよね。

そして2丁目にいる「ドラァグクイーン」に関しては、モデルは存在しなくて、別に女性になりたいわけでもない。世の中にないものになろうとする行為を反復してやっている。アートに例えるとシュールレアリスムです。浮いてるリンゴや、脚の長いゾウなど現実では起こらないことが出てきたりとかね。だから私の場合は、オリジナルがどこかと聞かれても、ないんですよ。

ー後編では、ヴィヴィアンさんの「装い」への考え方を中心に、祭りやアート、ヘッドドレスの関係性について、歴史を踏まえながら多角的に深掘ります。

DOORS

ヴィヴィアン佐藤

作家、映画評論家、非建築家、ドラァグクイーンなど

青森県七戸町をはじめとした地域のイベントをディレクションするとともに、日本各地でヘッドドレスワークショップを開催。詳細は、ヴィヴィアン佐藤のSNSで随時更新中。

volume 03

祭り、ふたたび

古代より、世界のあらゆる場所で行われてきた「祭り」。
豊穣の感謝や祈り、慰霊のための儀式。現代における芸術祭、演劇祭、音楽や食のフェスティバル、地域の伝統的な祭り。時代にあわせて形を変えながらも、人々が集い、歌い、踊り、着飾り、日常と非日常の境界を行き来する行為を連綿と続けてきた歴史の先に、私たちは今存在しています。
そんな祭りという存在には、人間の根源的な欲望を解放する力や、生きる上での困難を乗り越えてきた人々の願いや逞しさが含まれているとも言えるのかもしれません。
感染症のパンデミック以降、ふたたび祭りが戻ってくる兆しが見えはじめた2022年の夏。祭りとは一体なにか、アートの視点から紐解いてみたいと思います。

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