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2025.08.27
背すじの伸びるユニーク 〜New Gallery&ムンド不二〜 / 小原晩の“午後のアート、ちいさなうたげ” Vol.7
Photo / Tomohiro Takeshita
Edit / Yume Nomura(me and you)
『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』などの著作で知られている小原晩さんが、気になるギャラリーを訪れた後に、近所のお店へひとりで飲みに出かける連載、「小原晩の“午後のアート、ちいさなうたげ”」。「アートに詳しいわけではないけれど、これからもっと知っていきたい」という小原晩さん。肩肘はらず、自分自身のまま、生活の一部としてアートと付き合ってみる楽しみ方を、自身の言葉で綴っていただきます。
第7回目は、神保町にあるNew Galleryで開催していた大滝詠一 特別企画展『Eiichi Ohtaki’s NIAGARA 50th Odyssey』を観たあと、ムンド不二へ。その人だけの、その店だけの厚みに触れた日。
大滝詠一さんのことをはじめて知ったのは十三個年上の恋人がいるときで、そのひとが口ずさんでいたのだ。
「なんの曲ですか?」と聞いたら
「幸せな結末やんか、大滝詠一やんか、ラブジェネやんか」
とまくしたてられたが、何ひとつ知らなかったので、私はただぽかんとした。
彼と別れたあと、ふと思い出して、幸せな結末を聴いた。良い歌だと思った。一見浮ついているような感じだけれど、その裏には、ふかい悲しみを感じる。それがより、ロマンチックで、胸がしめつけられる。いまだけの関係だとしても、今夜は、今夜だけは、ふたりの、僕の、幸せな結末なのだ、というような、思い切りのよさがすばらしい。
それからは、ときどき、大滝詠一を聴く。
私と大滝さんの距離感はいまのところ、だいたいそんなものである。

日の暮れかかったころ『Eiichi Ohtaki’s NIAGARA 50th Odyssey』という特別企画展を見に行くことにして、神保町のNew Galleryまで電車に乗った。「はっぴいえんど」が解散してのち、大滝詠一が自分の手で立ち上げたレーベル、ナイアガラ・レコードが、今年で五十年になるそうで、それを記念しての展示なのだという。

電車は、帰宅ラッシュとは反対方向。がらんとしている。吊革が等間隔に揺れ、座席にはまだすこし日中の熱が残っている。
空いた車内に腰をおろして、耳にイヤホンをさし、『Eiichi Ohtaki’s NIAGARA 50th Odyssey Remix EP』を聴く。この五十年で、リミックスはこれが初めてとのこと。Cornelius、スチャダラパー、Night Tempo、原口沙輔、千葉大樹(from Kroi)、Mega Shinnosuke。名前を並べているだけで、もうなにか、ふしぎな風が吹くようだ。大滝詠一のうたが、それぞれのやり方で、大胆に生まれ変わっている。聴いていると、みんな本気なのがわかる。そして、みんな、ちゃんと好き勝手にやっている。好いたものにまっすぐ向きあう手つきというのは、頼もしく、遠慮がない。それがとてもよい。

神保町の夜のはじまり。夏も夜ならすこしすずしい。たしかに歩けば汗ばむけれど、ベンチに座れば、たっぷりとした風を感じることができるほどの、すずしさ。
もし、今の神保町にナイアガラ・レコードの事務所があったら――そんな想像から始まった展示なのだという。ガラス越しにのぞいた部屋のなかには、見覚えのあるジャケットたちや古びたタイプライター、大きなジュークボックスがあった。
中に入ると、きちんとクーラーが効いていて、汗がすぐにひいていく。

目に入ったのは、大きなスピーカーだった。
近寄ってみると、説明書きに「レコードは自由にお聞きいただけます」とある。まさか実際に自分の手でレコードをかけることができるなんてとおどろいて、おそるおそるボタンを押し、耳を傾ける。ちょうど中に入っていたのは、小林旭の「熱き心に」。針が落ちると、厚みのある、いい音がした。
これは、大滝さんが使っていたのと同じ型のスピーカーを用意したのだという。すごい。そんなところまで。気合いの入りようが違う。
そのことを聞いてから、もう一度、じっと耳をすませた。知らない時代の音である。もう戻れない時代の音である。このスピーカーからの響きが、大滝詠一の耳に入り、体にしみこむ。それで、また新しい音楽をつくる。聞いては、つくる。そうした暮らしのありさまが目に浮かぶ。

大滝さんは、集めるのが好きなほうであったらしい。レコードはもちろん、カセットテープに録った音楽やビデオにも、きちんと手書きのラベルを貼り、福生のスタジオに置いていたという。今回の展示では、その一部を実際にながめられる。
手書きの字は、やはりいい。いろいろな字の感じがあるので、そばにいた人に書かせることもあったのかと想像してみるが、どうだろう。多くの字は素朴で、達筆というのではない。なんというか、飾り気のない字である。私は字が下手なほうなので、こういう字に出会うと、たいへん励まされる。


一番奥に、どーんと置かれているのは、「DEBUT AGAIN」というレコードのジャケットを再現したもので、社長室の机のような、重みのある机が据えられたセットが組まれている。黒い椅子に腰を下ろせば、まるでその中の大滝さんのような写真が撮れる仕掛けになっている。
机の上に置いてあるタイプライターや、カセットテープの入れものなどは、もう手に入らないものも多かったそうだけれど、海外から取り寄せたり、一から作ったり、工夫を重ねて、これほどの出来ばえに仕上げたという。その心意気。


こうして展示を見ていると、大滝さんは、おもしろいことをするのも、考えるのも、おもしろいものをつくるのも、好きであったのだろうと思う。昔撮ったジャケットを自ら撮り直してみたり、撮影の裏側の写真が妙におかしかったり。いつも、どこかにユニークさとユーモアがある。けれど、どれもがさりげない。力んだところがない。さらり、へらりと、かっこうがいい。


あこがれるなあ、と思いながら展覧会をあとにした。水道橋のほうへ向かって、しばらく歩く。
階段を上がり、灯りのついた店に入る。「ムンド不二」という名前のお店である。なんだか、いいお店だということが、もうわかる。そういうときがある。階段をのぼっているときから、もううれしい、というようなことである。

店のなかには、本や小さな置きものなどが並んでいて、どれも、ひとつひとつ、時間をかけて、自分の目で選んできたのだろうと思わせる。すっかり、店の空気に馴染んでいる。というか、納得する。不自然なところがない、自分の思う素敵なものを良さそうなところに置いた結果がこうなのだ。きっと、そうなのだ。小ぶりな灯りたちが、いまの気分にぴったりときて、うれしい。

カウンターに腰をおろして、黒板を見る。スイカミントサラダ。枝豆ととうもろこしのフリット。チキン65。台湾パインとマンゴー白チーズ。どれもこれも、魅力的で、目がちらちらする。
奥の黒板に「DINNER PLATE」とあって、small、medium、large、veganと書かれている。これはその大きさに合わせて、おまかせでいろいろのせてくれる皿らしい。

今夜はこれにしよう。
「ミディアムとインド富士サワーを」と店員さんにいう。
「パンとライスはどちらにされますか、どちらも、というのもできます」
「えっ、どっちも?」
「はい」
店員さんの笑顔がきらきらみえる。
「パンとライス、どちらもでお願いします」
わくわくとまつ。

「インド富士サワーです」
特製のサワーが運ばれてきた。このとき、店員さんに頼んで写真を撮らせてもらった。グラスに手を添え、「はい、どうぞ」という場面である。
店員さんはグラスに手を添えたまま、私の目を見て「ひんやりして、きもちいい」と言った。しゃらららら、という音が頭のなかで鳴った気がした。
そしてやってくる。ひとりのための祝祭の皿。ディナープレート。
ごはんを囲むいろどり豊かな、それぞれにさまざまな魅力をもったもの。ひとくち食べるごとに、たちどまりたくなるおいしさなのである。しゃらららら、という音がまた頭の中で鳴る。鳴り響く。どうやら、すてきなものセンサーの音であるらしい。
サワーをちびちび飲みながら、ゆっくり食べる。味わう。うれしい。また来よう、とすぐ決める。

お店をつくるのも、料理をこしらえるのも、音楽をつくるのも、デザインを考えるのも、詞や文章を書くのも。お店にとって、自分にとって、作品にとって、何が大切で、何がどうしても譲れないのかを、立ち止まっては考え、考えては少し変わり、変わらないところもあって。そうして、こつこつ歩きつづけたあとに、そのひとだけの、その店だけの厚みや、納得や、説得力が生まれるのだと思う。
大瀧さんも、ムンド不二も、きっとそうしてきたのだろう。私に何かを伝えようとはしない。けれどそうじゃなければ、こんなふうにすてきなものはきっとつくれない。背すじの伸びる夜だった。

本日のアート
New Gallery
大滝詠一 特別企画展『Eiichi Ohtaki’s NIAGARA 50th Odyssey』
◼会期 : 2025年7月11日(金)〜8月17日(日)※会期終了
◼住所 :東京都千代田区神田神保町1-28-1 mirio神保町 1階
◼休館日 :月曜日
◼入館料 :無料
公式サイトはこちら
本日の宴
インド富士子/ムンド不二
◼住所 :東京都千代田区神田猿楽町2-7-11 ハマダビルヂング 2階
◼電話 :070-8536-1990
◼店休日 :日・月・祝日
◼営業時間 :昼営業(火〜金)12:00〜14:30、夜営業(火〜土)18:00〜23:00
公式Instagramはこちら
Information
2022年に自費出版した『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』が、新たに実業之日本社から商業出版されます。
私家版の23篇にくわえ、新たに17篇のエッセイが書き足されています。
『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』
著:小原晩
2024年11月14日発売
価格:1,760円(税込)
DOORS

小原晩
作家
1996年、東京生まれ。作家。2022年3月、自費出版にて『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』を刊行。2023年9月、『これが生活なのかしらん』を大和書房より出版。
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