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2025.10.22

まずは、ただ在る〜アート/空家 二人&你好〜 / 小原晩の“午後のアート、ちいさなうたげ” Vol.8

Text / Ban Obara
Photo / Tomohiro Takeshita
Edit / Maki Takenaka(me and you)

『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』などの著作で知られている小原晩さんが、気になるギャラリーを訪れた後に、近所のお店へひとりで飲みに出かける連載、「小原晩の“午後のアート、ちいさなうたげ”」。「アートに詳しいわけではないけれど、これからもっと知っていきたい」という小原晩さん。肩肘はらず、自分自身のまま、生活の一部としてアートと付き合ってみる楽しみ方を、自身の言葉で綴っていただきます。

第8回目は、蒲田にあるアート/空家 二人で開催していた内田涼さんの展示『裏庭に二羽、庭に二羽』を観たあと、羽根付き餃子が有名な「你好」へ。知らない生活に触れた、ある午後のこと。

 蒲田行進曲をはじめてきちんと聞いてみる。つややかで、やりすぎている感じがあり、おもしろい歌である。
 私の家から蒲田は遠い。遠いというだけの理由で来たことがなかった街である。出不精であるから、すべてのことを近所ですませることが多いのだけれど、知らない駅に降りると、空気の粒の形が違うような気がする。風の通り方も、人の歩き方も、少しずつちがう。私の知らないところでも、こんなに多くの人が生活をしているのだなと、毎回新鮮に思う。
 知らない生活は無限に存在するということ。それは希望であるような気がする。その一方で、その可能性のひとつひとつには(たとえば出身地や家族の感じによって)だいたい方向性がついてること。疑問をもたなければ、私たちは常に流されていくこと。ぼうっとしていると、まとめられてしまうこと。流されること自体は悪でないこと。まとまること自体は悪でないこと。街という集団。個人の感想。
 などと多少、暗い気分で蒲田を歩いた。暑すぎたのである。九月だったというのに、湿気が重く、信号の光まで滲んでいた。

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背すじの伸びるユニーク 〜New Gallery&ムンド不二〜 / 小原晩の“午後のアート、ちいさなうたげ” Vol.7

  • #小原晩 #連載

 しばらく歩いて、住宅街に入っていくと、ごくふつうの一軒家があり、そこが「アート/空家 二人」なのだった。二人、とかいて、にと、と読む。壁は少し色あせ、窓枠は実家のようでなつかしい。玄関を開けると、生活の空気が流れてきた。誰かがここで長く暮らしていた時間が、そのまま残っているようだった。

 開かれているのは、内田涼さんの個展「裏庭に二羽、庭に二羽」である。
 「アート/空家 二人」の代表・三木仙太郎さんからこの展示についてのお話を聞く中で「意図や意味から遠ざかること」について話されていて、急に作品と私の距離は縮まった。

 内田さんの絵には、運動というか揺れというかズレというか、そういうものがあり、それらの様子には、風や川や空を思い出すこともできるけれど、たぶん、それらの連想や比喩は不要なものである。喩えようとすればするほど、掴めなくなる。目の前のものは、ただ在る。その事実を捉えることから、はじめる。

 動くことをやめたようでいて、完全な静止にも見えない絵である。もし動いているとすれば、それは時間の内部ではなく、感覚の側で起こっているのだろうか。見るという行為は、心にわずかに遅れてくるように。そういう遅延が、揺らぎとして感じられる。

 偶然性を大切にしているように思うけれど、気ままな感じはいっさいしない。むしろ、すべてが「そうでしかありえない」ような緊張をもってそこにあるのが不思議なようで、大前提のような気もする。

 絵の他にはトーテムポールのような大きな立体があったり、オセロのようなものがあったり、数式のようなものがあったり、地図のようなものがあったりする。
 こういうものを作るとき、いつ着地を決めるのだろう。感覚的に決めるのだろう、と思う。これだけ感覚でものをつくっていると、言葉というものは意味を持ちすぎていて不快なのではないか、と急に不安になってくる。私はこの作品たちを結局は何かに当てはめて、語ることしかできないのではないか。そんなことならば語らないことが一番良いのではないか。絵の前で、感じるままに感じて、決して言葉にせず、沈黙を選ぶべきなのではないか。それで、外に出て、風にでもあたるべきなのではないか。そういう気持ちになったりもした。

 見つめているうちに、だんだんと、こちらが観察されているように思えてくる。沈黙の中で、見る者と見られるものの立場が、ゆっくりと入れ替わるような。そうして、気づく。この線の一瞬ゆるんだ感じが好きなこと。この色の滲み方がきれいだと思っていること。夕焼けをみてきれいだと思うことに意味や意図を知ることが必要ではないように、自分にとっていちばん自然に絵を鑑賞する、に落ち着いた。

 二人を出て、駅のほうへ歩く。風がある。ひざのあたりをやさしく撫でていく風だ。陽ざしは少し傾きはじめている。お酒が飲みたい。お腹もすいている。お腹の中が空っぽで、そこに餃子の形をした空洞があるような気がする。つまり、用意は万端である。
 蒲田の「你好」へ向かう。羽根つき餃子の元祖である。階段を降りていく。背中のほうで地上の光がゆっくりと消える。昼間の地下。温度が変わる。
 店に入ると、思っていたよりも広い。人の声がする。皿の音、ビールの注がれる音。けれど騒がしくはない。みんな、もくもくと食べている。静かな熱気がある。昼なのに、昼の気配がしない。

 通されたのは、大きな円卓だった。真ん中の回転台がつやつやと光っている。丸いテーブルというのは、どうしてこんなに頼もしいのだろう。いつか友人たちとここで食べてみたい。そう思いながら、今日はひとりじめであることに小さく笑う。
 ビールを頼む。魯肉飯、羽根つき餃子、水餃子。欲しいものを欲しいだけ。今日は何も我慢しない日だ。中華料理というのは、人を自由にする料理だと思う。

 一口目のビールが喉を通り抜ける。冷たい。泡の粒が小さくはじけて、すぐに消える。展示のことを思い出す。絵の静けさと、テーブルのにぎやかさ。その両方が、いまの自分の中で混ざり合っている。

 焼きたての餃子をひとつ。羽根の端が、ぱりり、と鳴る。香ばしい音が耳の奥で心地いい。油の匂い。肉汁の熱。口の中がすぐに満たされる。ビールをもう一口。おいしい、と思う。それだけで、今がはっきりとかがやく。
グラスを持ち上げると、水滴が手のひらに残る。冷たさが皮膚の上をすべっていく。皿の上には、羽根のかけら。つまんで口に入れる。ぱりっとしている。音が、やさしい。こういう端っこの部分を、うれしそうに食べていた人のことを思い出す。

 食べ終わるころ、店の奥から八木功さんが現れた。店主であり、羽根つき餃子の生みの親である。穏やかな笑顔だった。八木さんは終戦後、家族と離ればなれになり、1979年に中国から日本へ戻ってきたという。日本語学校に入り、二年半、言葉を学びながら暮らしたそうだ。
 勉強のかたわら、友人たちに料理をふるまった。包丁の音、湯気の立ちのぼる匂い。皿の上の湯気。その食卓の中で、いちばん人気があったのが餃子だった。中国では水餃子が主流だが、日本では焼き餃子が好まれると知り、八木さんは焼き方を研究したという。どうしたら、もっと美しく焼けるか。何度も何度も試した。火加減、粉のかたさ、水の量。小さな失敗を積み重ねて、ようやく羽根が広がった。そうして生まれたのが、いま目の前の羽根つき餃子である。
 店の名前は、誰でも言える言葉にしたかったから「你好」にしたそうだ。まっすぐで、あたたかい名だと思う。
 八木さんは、紙の束を私に手渡した。そこには八木さんの半生と「你好」の歴史が、丁寧な字で綴られていた。途中、「父は優しい人でした」と書いてあり、なぜか胸の奥に残った。
 店を出て、階段を上がる。光が近づいてくる。空が白い。まぶしい。風が顔にあたる。靴の音が、ゆっくりと道路に吸いこまれていく。少し眠い。

本日のアート

アート/空家 二人

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「裏庭に二羽、庭に二羽」

◼会期 : 2025年8月29日(金)〜 9月15日(月) ※会期終了
◼住所 :東京都大田区蒲田3-10-17
◼休館日 :展覧会に準ずる
◼入館料 :無料

Websiteはこちら、Instagramはこちら

本日の宴
元祖羽根つき餃子 你好(ニーハオ)別館

◼住所 :東京都大田区蒲田4-25-7 ハネサムビル21 地下 1階
◼電話 :03-3734-2180
◼店休日 :Webサイトを随時確認
◼営業時間 :11:30〜22:00

Websiteはこちら

Information

2022年に自費出版した『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』が、新たに実業之日本社から商業出版されます。
私家版の23篇にくわえ、新たに17篇のエッセイが書き足されています。

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『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』
著:小原晩
2024年11月14日発売
価格:1,760円(税込)

https://www.j-n.co.jp/books/978-4-408-53869-3/

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DOORS

小原晩

作家

1996年、東京生まれ。作家。2022年3月、自費出版にて『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』を刊行。2023年9月、『これが生活なのかしらん』を大和書房より出版。

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