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2022.06.24

【前編】映画『パルプ・フィクション』の話芸から学ぶ“アートと語り” / 連載「作家のB面」Vol.3 大岩雄典

Text / Yutaka Tsukada
Photo / Shin Hamada
Illustration / Shigo_kun
Edit / Eisuke Onda

アーティストたちが作品制作において、影響を受けてきたものは? 作家たちのB面を掘り下げることで、さらに深く作品を理解し、愛することができるかもしれない。 連載「作家のB面」ではアーティストたちが指定したお気に入りの場所で、彼らが愛する人物や学問、エンターテイメントなどから、一つのテーマについて話してもらいます。

第三回目に登場するのは美術家の大岩雄典さん。トリッキーなインスタレーションを発表し注目を集めてきた彼ですが、ここ数年はアートはもちろんそれ以外の落語や漫才、映画、演劇などをテーマにした執筆にも取り組んでいます。そんな大岩さんのB面は、さまざまなエンターテイメントにおける「話芸」について。SHIBUYA TSUTAYAのレンタルDVDフロアを舞台にお気に入りの映画のパッケージを手に取りながら話が展開されました。

パズル映画ってなに?

――今回、大岩さんは取材場所としてTSUTAYAを指定していただきましたが、まずはその選定理由を教えてください。

「話芸」をテーマに話すということだったので、その話のきっかけとして僕自身が高校時代にTSUTAYAでレンタルしたDVDの話をするのもいいかなと思い選定しました。そもそも、TSUTAYAを多く利用するきっかけになったのは2011年の東日本大震災の頃です。当時はテレビも震災関連のニュースばかりで、もちろんそうしたニュースも知るべき情報であることは確かなのですが、気が滅入ってしまう。自分はテレビっ子なのですが、あの時はバラエティ番組も自粛されて、結果的に見るものがなくなってしまった。そこで近くのTSUTAYAを利用し始めたんです。

――どのようにレンタルする作品を決めていましたか?

とにかく暇だったというのもあって、最初はいわゆる名作を借りていました。そこからだんだん調べて目当ての物を借りるようになった。サブスクに加入するようになってからは狙い撃ちするように作品を視聴していますが、自分はぎりぎりDVDも買っていた世代でもあるので、こういうふうにDVDの棚を眺めるのは楽しいですね。

そういえばDVDは英語字幕が出せるので、高校時代は英語の勉強にも活用していました。僕は志望を一般大学から東京藝大に変えたので、試験の科目が国語や英語に絞られてしまったんですよね。友達は塾に行くので遊んでくれないし、そこで映画を英語の教材にしていたわけです。はたから見ればDVDを見ているだけなんですが(笑)。

『パルプ・フィクション』
DVD & Blu-ray 発売中
発売元: NBCユニバーサル・エンターテイメント

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取材中、大岩さんはタランティーノの作品『パルプ・フィクション』(1994)を手にとった。物語の大筋はギャングの抗争についてだが、その系列がバラバラに構成されている手法が話題となった名作映画。観る順番によって物語の見え方が変わる、ある種の謎解き感覚でも鑑賞することができる

――さて、今日のテーマの「話芸」ついてうかがっていきたいと思います。そもそも話芸とは“話術によって楽しませる芸。落語・漫談・講談などをいう”(デジタル大辞林)と辞書では書かれていますが、広義に捉えればさまざまなエンタメを話芸として捉えることもできます。そして脚本の工夫など映画にもそのような側面があると思います。例えば大岩さんが手に取られていたクエンティン・タランティーノ監督の『パルプ・フィクション』(1994)は劇中の時間の順序が入れ替えられていることが特徴です。初見時にそのような叙述形式はどのように受け取られたのでしょうか。

なかなか言葉で表現するのは難しい部分もあるのですが、話よりもその順序を入れ替えた演出がとにかく印象深かったんですよね。例えば『ショーシャンクの空に』(1994)とかのような順に観て面白い作品とは違って、「仕掛け」がある。お話の内容ではなく、構造として、作り物として面白いなと。

手に取る作品としてクリストファー・ノーラン監督の『メメント』(2000 / *1)でも良かったかなと思うんです。重要なことを伏せておいて、そこを観客に考えさせ、勘違いするよう仕掛けている。『パルプ・フィクション』はそこまで露骨な伏線はないけれども、観客は知らされていない情報があるということに気づくようになっている。

*1……物語の終わりから最初へと時系列が逆にすすむ構成をとったサスペンス作品。監督のノーランは『インターステラー』『インセプション』など緻密に伏線を張るSF、サスペンス作品を手掛けてきた。

『サイン』
ブルーレイ発売中/デジタル配信中(購入/レンタル)
© 2022 Buena Vista Home Entertainment, Inc.
発売/ウォルト・ディズニー・ジャパン

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――そうしたトリッキーな話法を得意とする作家としては『シックス・センス』(1999)の監督であるM・ナイト・シャマランもあげられると思います。

シャマランは宗教的なテーマを絡めた『サイン』(2002)が特によくできてると思いますが、ムラのある作家で、『シックス・センス』も広い意味ではドッキリじゃないですか。最後にどんでん返し的な設定が明かされたら、誰でも驚きます。フィクションでそれをやるより、実はテレビでやるドッキリのほうが、ドキュメンタリー性を利用してより複雑な構成も可能になっていて、面白いですね。

平和に暮らす牧師の家族が主人公の映画『サイン』(2002)。ある日、愛犬が凶暴になり、家の近くにミステリーサークルが出現するなど様々なサインが家族の前に現れていく

――タランティーノやノーランのように、映画全体を構造的に捉え、様々なバリエーションで語りの実験を行っているような監督のほうが、大岩さんは関心があるということですね。

自分の研究にも関わってくるので調べたんですけど、タランティーノやノーラン、あとチャーリー・カウフマンやホン・サンスあたりの作風は「パズル映画(puzzle film)」と言われてるんですよね。ウォーレン・バックランドという映画史家が本にまとめているんですが、伏線が効いているというレベルではなくて、後の話を前に持ってくることが、観客をだましたり混乱させたりして、構造それ自体がコンテンツを成立させているのがパズル映画の特徴です。そしてそのような映画は、実はDVDの出現と同じ時期に台頭している。映画館で観る映画と違って、「あれ? なんだったんだ」と思ったときにDVDなら戻れるし、コマ送りもできる。タランティーノ、ノーランはそうした時代の申し子でもあるのです。

大岩さんが取材中に教えてくれたオススメの1作、シェーン・カルース監督の『プライマー』。カルト的な人気が高いタイムトラベル作品で、サブスクにはないのでDVDレンタルがオススメ

 

メタ構造で出来たコント漫才

――そもそも大岩さん、ご自身の制作の関心として「話芸」というキーワードが浮上してきた理由を教えてください。

2019年の末に『早稲田文学』で漫才を論じた(*2)ことがひとつのきっかけになっているのですが、もともと美術展におけるステートメントや、レクチャー型の映像作品などの話法に疑問を向けながら考えている部分があります。特にレクチャー型の作品によくあるんですが、資料映像が入っていたりしますよね? ああいうのを見ると「教育番組みたいだな」と思ってしまう。中身自体はそれで面白いけれど、語りはそれでいいんだろうか、と。本やウェブ記事、ドキュメンタリー番組のほうが自然に中身を受け取れるわけで、それがただ展示会場にあるからアートの顔をするのは、悠長に思える。目の前に人がいるわけでもないのに、自然に話しているように聞こえる演出って、けっこう怖いはずのものですよ。

*2……大岩雄典「ボケの昇階、笑いの押し寄せ、肯定のツッコミ――どうしてナイツ塙は泳ぎに連れていくのか」、早稲田文学会編『早稲田文学増刊号 「笑い」はどこから来るのか?』筑摩書房、2019

そうした、話し手の自然な専制を利かせる話し方は、漫才や落語、ホラー、あるいはバラエティ番組と比べると、もっと多様に相対化されるように思えます。現在日本で複雑な話芸のために一番予算をかけているもののひとつは、なおもテレビではないでしょうか。たとえばバラエティでよく見かけるロケVTRとワイプなんてすごい複雑なことやってると思いませんか? 「ドッキリをかけられている人を見てる人を見る」という屈折を重ねた視聴体験さえ、相当広い視聴者層にスムーズに届けている。ナレーションやテロップ、言外のフリも含めて、いろいろなレベルで観客をくすぐっている。

漫才における話芸の例として、和牛のコント漫才『オネェと合コン』をあげましょう。これは和牛の二人が自分を口説いてくるプロデューサー二人と合コンをするという設定なのですが、それを実現するために本当なら4人必要なわけですよね。でも和牛は二人それぞれが、自分自身と、自分を口説くプロデューサーとの一人二役をやるわけです。

――メタに見ると自分で自分を口説いてるという状況が生まれているわけですね。

むしろ、この状況を「自分で自分を」と言えてしまうのが、舞台のおかしみですよ。和牛のこのコントは、自分で自分を口説くからこそ気まずそうで、笑いを誘う。つまりここでは「自分でないものが、自分に成り代わるどころか、自分をひきずってしまう」という演技のいわば「ばつの悪さ」が体現されている。

コント漫才という形は、その意味で「演技」が前景化されやすいと思います。通常のコントは任意に設定したシチュエーションから基本出ないものですが、漫才は話芸で、コント漫才はその「話」のなかで二人がコントを始める。だから突っ込んだら一旦コントから出て漫才に戻る。「それじゃあかんて」と、またコントを始める。コントの舞台設定と、漫才が行われている現実の舞台という2つの世界をループし続けることができる。その2つの世界をまたぐ話法が「突っ込み」で、通常のコントでも突っ込みは、劇中の会話のようで、お客さんに見せつけられるような、半身の話法なんです。

――そしてそういうメタ構造という点では先ほどのテレビのワイプとも共通しますが、マイク一本でステージに立つ漫才は特別な道具立てによっていないので、まさしく純粋な話芸として成立しているとも感じます。

和牛以外ですと、千鳥のネタにも演技をモチーフにした複雑なネタ『おぬし!』があります。大悟は「(演技が)できない人」の演技が上手くて、千鳥のネタや番組はこの「結局何のごっこなのか、ついつい素が出るのか」が笑いのエッジになる。『おぬし!』は夫を見送る妻みたいな設定で「あなた」というところを「おぬし」としか言えない。「言わない」んじゃなくて「言えない」役をするんです。役者は言えるけれど、役は言えない。これが演技の妙で、ここに話法が可能にする重なりがある。ものがどのように語られ、聞き取れているのかということに、これほど誰もが「話」にかき立てられる環境において、考えてみる価値を感じています。

その意味では僕の作品で2020年の最初の緊急事態宣言のときの『Emergency Call』は、そうした話しかけ、話しかけられるというダイナミズムのもっともシンプルな実践になりました。宣言下において移動が制限されているなかで、「電話で聴く」展覧会として僕がさまざまな作家に声をかけて企画したものです。一方的に録音が聴こえてくるような形式なので、やりとりという意味での聞き手とのコミュニケーションが成立しているわけではない。でも、電話だから話しかけられる臨場感をもってしまう。「話すこと自体」がそもそも芸であるという意味で、自分のなかでこの企画は零度の話芸という感じもあります。

大岩さんが企画した電話で聴く展覧会「Emergency Call」。アーティスト、ミュージシャン、家電(?)なバラエティ豊かな作品が展示された(現在終了)

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大岩雄典と話芸、後半はこちら

大岩雄典と話芸、後半はこちら

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【後編】インスタレーションの中にも話芸あり? / 連載「作家のB面」Vol.3 大岩雄典

  • #連載

コミュニケーションの双方向性の奇妙さは、別にお笑いや美術作品にしか見出せないものでもなくて、こうしたインタビューにも潜在しています。ひとりで書く文章なら著者がストレートに読者に語りかけているけど、インタビューは読者ではなくインタビュアーに語っているし、話したことも文章にされる頃には複数人の手が入っている可能性があるので、誰が書いているのかが実ははっきりしない。これは素朴に考えると相当に変なことです。でも人は、なぜかこうした対話体で文章を読みたがり、読ませたがる。それこそプラトンの時代からそうです。

――次回は実際の大岩さんの作品と話芸の関わりについて深堀りしていきます。

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大岩雄典 個展「渦中のP」

十和田市現代美術館では、2022年7月より、アーティスト 目[mé]が一軒の空き家をホワイトキューブへと改装した作品『space』を美術館のサテライト会場とし、若手アーティストの作品を紹介します。初回となる2022年7月1日(金)− 9月4日(日)は、主にインスタレーション・アートを制作する大岩雄典の個展を開催します。
大岩さんは美術館での初の作品発表となる本展のために、展示会場であり、目[mé]の作品でもある『space』と、その周辺の十和田市街の空間が持つ性質を注意深く観察し、これまでの作家の関心であった、ドラマ(劇)、鑑賞者の行為や動線、展覧会の制度との、一種の「地口」を見出します。言葉遊びのような空間の操作は、展示会場であるspaceから十和田市街へ重ねて投影され、観客のパラノイア的な想像を掻き立てるでしょう。

会期:2022年7月1日(金)〜9月4日(日)
会場:space(十和田市現代美術館サテライト会場)

ARTIST

大岩雄典

美術家

埼玉県出身。「空間」というものを、単なる形態を越えて、ゲーム的可能性、他人との親近感、時間との共働、契約や欲望の関係、言葉の効力、歴史・フィクションといった、存在しうる多様な相の織り合わせととらえ、インスタレーション・アート(空間芸術)の形式を再解釈する。わたしたちが他者や物質と、ときに観客や作者と、いかに「居合わせ(contemporary)」なくてよいのかを主題に、たとえば近年は感染症拡大下で変容した空間のありかたに注目して、執筆を含むいろいろな制作をおこなう。 近作に、カードゲーム・インスタレーション《刑吏たち伴奏たち》(2022)、作家やギャラリー同士の経済関係をジュースに変換した《margin reception》(2021)、ノイズに苛まれる話芸としての「漫才」に着目した《バカンス》(2020)など。euskeoiwa.com

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