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- 【後編】誰かの声を次の世代につなげるため、徹底的に調べ、そしてアートを生み出す / 連載「作家のB面」Vol.24 小林エリカ
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2024.07.24
【後編】誰かの声を次の世代につなげるため、徹底的に調べ、そしてアートを生み出す / 連載「作家のB面」Vol.24 小林エリカ
Text / Yoko Hasada
Edit / Eisuke Onda
Illustration / sigo_kun
アーティストたちが作品制作において、影響を受けてきたものは? 作家たちのB面を掘り下げることで、さらに深く作品を理解し、愛することができるかもしれない。 連載「作家のB面」ではアーティストたちが指定したお気に入りの場所で、彼/彼女らが愛する人物や学問、エンターテイメントなどから、一つのテーマについて話しを深掘りする。
前編では「平和教育登戸研究所資料館」で、アーティストの小林エリカさんが題材にする「戦争」についての話を聞いた。そして後編では、丹念なリサーチからどのようにして創作が生まれているのか、絵画、インスタレーション、小説などさまざまな作品を生み出す、その創作方法や原点に触れる。
自分の想像ではないところにある何かを捕まえたい
前編同様、明治大学平和教育登戸研究所資料館で取材した
──小林さんの作品は“社会派”という括りで見られがちですが、お話を聞いて過去の創作と重ねると、家族や知人など、個人的な想いが創作の始まりにあると感じます。
どんなことも、自分の半径1m以内を深堀りしていった結果の創作です。そこからすごく深く掘っていくと、どうしても社会的なこととぶつからざるを得ないと感じます。
──小説『親愛なるキティーたちへ』は、小林さんのお父さまである小林司さんが金沢で敗戦の日々を書き記した日記とアンネ・フランクの日記が交錯した作品となっていて、まさに個人的な出発点が戦争につながった作品でした。
自分にとってすごく遠いような気がしていた戦争でしたが、父とアンネ・フランクは同じ年の生まれで、父の日記を見たことで戦争というものが、今に地続きであると考えるようになりました。
また、わからなさ、ということについても考えるきっかけにもなりました。家族として、父について何でも知っていると思っていたけれど、どんなに親しくても知らないこと、語れないことがある、人も出来事もすべてを“知り得ることはない”と気づいたとき、絶望ではなくそこに希望を感じました。
小説のテーマにもなったアンネの日記と父の日記をめくる映像作品《2冊の日記たち》2011年 ビデオ 6min48sec/アンネ・フランクの日記1942-1944、父の日記1945-1946
──知り得ないことに寂しさを感じるのではなく、希望ですか?
知り得ないから心が離れてしまうわけではなくて、知り得ないということをわかった上で、今一度共に生きることを始められる喜びがあるように思います。だから、作品を創る上でも、その前提は心に留めるようにしています。だからこそ、残された痕跡を頼りに、どこまで知ろうとすることができるのか、ということを大事にしています。
──歴史への丹念なリサーチをもとに創作をされる小林さんのスタイルとつながりますね。
小説の場合ですと、史実や資料をもとにものすごく想像力豊かに書かれるタイプの方もいらっしゃいますが、私の場合はどこまでも詳細に資料を調べてゆくことに力を注いでいて、「自分の想像を超えたところにある現実を捕まえたい」という想いがあるからだと思います。資料や証言というのは、誰かが意志を持って書き、あるいは、聞き、残そうとしたという努力の賜物なのです。この世の多くのことは記録されないし消えてしまうので、私がそれを手にできるということは奇跡のようなことだと思うんです。だからこそ、そうして残された一つひとつを丁寧に集めて編みあげるような、創作を心がけたいと思っています。
──史実をひたすら丁寧に集めて、詳細に知ろうとする。
それは、自分の想像で都合よく書こうとしない、ということだと思います。戦争というものは、どれだけでもお涙頂戴の劇的な物語にできてしまいますし、いとも簡単に盛り上げられる。だからこそ私は、誰かが想いを持って書き留めてくれたものを尊重したいし、それを裁いたり、自分の意図を勝手におしつけない、 ということを心がけています。
言葉の引用元を明らかにして、次につなげたい
明治大学平和教育登戸研究所資料館の資料コーナーに置かれた風船爆弾に関連した書籍。右から二番目に『女の子たち風船爆弾をつくる』も並ぶ。
──『女の子たち風船爆弾をつくる』の風船爆弾については、どのようにリサーチを進められたのでしょうか。
風船爆弾は満州の首都新京も含め、日本各地でつくられていて、小倉造兵廠など多くの資料があるものもあります。ですが、雙葉、跡見、麹町などの高等女学校の女学生が集められた東京宝塚劇場の風船爆弾づくりに関してはほとんど資料が残されていませんでした。そこで、前編でもお話した、私が通っていた学校のシスター、かつて雙葉の女学生として風船爆弾づくりをなさったという方にお話を伺えないかと母校に連絡を差し上げたところ、入院をされていて、何も答えられない体調だとお返事をいただきました。並行して、8年ほど前から関連する女学校に問い合わせたのですが、みなさんご高齢でお話できる方がなかなかいらっしゃらなくて。関わった方で唯一お話を直接聞けたのが、雙葉で動員され、私家版で『風船爆弾 青春のひとこま 女子動員学徒が調べた記録』という本をまとめた南村玲衣さんでした。
──個人で、風船爆弾について調べてまとめられたものですか?
そうなんです。南村さんは、ある日街を歩いてて、たまたま書店のウィンドウに並ぶ本の表紙の写真、おそらく林えいだいさんの『女たちの風船爆弾』という本を見て、かつて自分がつくっていたのとそれが同じものだと気がついたそうです。そしてその風船が、はじめて風船爆弾という兵器であったことを知ったそうです。彼女はかつて何をつくっていたのか一切知らされることもないまま、戦後40年経ってようやく、その事実を知ったんです。それから当時、東京宝塚劇場で何が行われていたのか、自力で調べはじめることにしたと。当時、結婚して、主婦として子どもを育てていた南村さんは、お子さんを背負って防衛庁に通いながら、同級生にも聞き周り、調べたことを本にまとめたと伺いました。
それはとても大変な道のりだったと思うのですが、南村さんになぜそこまでして本にまとめられたのかと聞いたんです。そうしたら、「知らされていなかったことに対する、抵抗」とおっしゃったんです。その言葉はとても重いものです。そして、その言葉を、南村さんから聞いてしまったからには、私がなんとしてでもこのことを本に書き留め、次世代に手渡さなければならないという使命感を抱いています。
《春のをどり(愛の夢)》 2024年 振袖(絹布)、顔料、インク、金箔 60 × 111 cm ©Erika Kobayashi, Yutaka Kikutake Gallery
──小説では「わたし、わたしたち」という主語の繰り返しから、名前はわからなくても誰かの声を届けようとする小林さんの意思を強く感じました。本には数多くの注釈もつけられています。
今回は私自身が書いたというより、この言葉は誰がいつ、どこで、どんな風に書き留められたもので、それがどのようにして残され、私に手渡されたものなのか、それをきちんと明記したいと思い、容赦ない数の注釈をつけさせてもらいました。248項目です! だから、自分が書いたというよりは、誰かが書いてくれたものを編んだという形に近いし、全て書いたことには、その根拠を提示するようにしています。
この先もし東京宝塚劇場での風船爆弾づくりについて調べたいと思う方がいらしたとき、この本の注釈や文献を踏まえれば、さらにその先へ調査を進めていけるように、次につなげたいという思いも込めました。寺尾紗穂さんとの音楽朗読劇『女の子たち 風船爆弾をつくる Girls, Making Paper Balloon Bombs』や『文學界』の連載をやったことで、それを観た方や読者の方からご家族やお知り合いが東京宝塚劇場での風船爆弾づくりに関わっていらしたというお話をいただけることもあり、ぎりぎりまで加筆しました。けれど、本が出た後もまた新しくお話をいただいたこともあり、これからも、引続きできる限りのお話を伺い、何らかの形で追記していきたいと思っています。
大文字の歴史とは違う視点から歴史を書きたい
──これまでの歴史には書かれてこなかった声が、これだけあるのだと思わされました。戦争について学ぶ機会はさまざまありましたが、とくに女性の声や姿を知るのは、沖縄のひめゆり学徒隊くらいだったと。
平和教育の中で第2次世界大戦について学んできて、私自身知ったつもりになっていましたが、“大文字”の歴史はどうしても男性の名前だけが並び、その中で語られているということに、今回強く気づかされました。女性や子どもたちも、もっぱら「弱く」「かわいそう」な存在として表象を背負わされてきたように思います。たとえば兵隊であれば軍籍簿に名前が残り、死ねば英霊として靖国神社に祀られ名を刻まれますが、たとえば看護師や沖縄戦の例外などを除けば女の子たちは、たとえ死んだとしても名前さえ刻まれない存在です。それってどういうことなんだろうと反芻しながら、私は“大文字”の歴史とは違う視点から歴史を書きたいと思いました。女の子たちの名前を私はここに刻みたいと思ったのです。ですから、書く過程でわかった名前は明記しました。
──一人ひとりの声に触れる際に心がけていたことは?
そこに生きてきた一人ひとりの人生は、決して誰かの素材なんかじゃない、ということでしょうか。どんなひとりも尊い存在であって、そこには一人ひとりの人生があり、物語がある。それは、誰かがその人を大事な存在だと思って名前を、言葉を、記憶を残した、という圧倒的な事実からも、強く感じました。
このコサージュは、お祖母様が跡見から動員され、東京宝塚劇場で風船爆弾づくりに関わっていた方が、戦後、作られたものを、お譲りいただいたものです。ご結婚し、旦那様を亡くされた後、モリ・ハナエで働いてから、ご自身のコサージュのアトリエを立ち上げられたというお話を聞きました。娘さんやお孫さんが、お祖母様のもの、高等女学校時代のサイン帳からコサージュまで、本当に大切に持っていらしたんです。そして、お話を聞かせてくださり、このコサージュを手渡してくださった。胸がいっぱいになりますし、私もそうして受け取った声や想いを、一人ひとりの大切さを、刻み、受け渡していきたい、という気持ちで作品を作りました。
手法の原点はアンネ・フランクにある
──小説以外にもインスタレーションやドローイングなど、さまざまな現代アート作品を発表されていますが、アウトプットはどのように使い分けていらっしゃるのでしょうか?
もともといろいろな方法で表現することが楽しいと思っていましたし、そのどれもが私のやりたいことでした。私の根底にはアンネ・フランクが強くあり、彼女は日記以外にも童話も書いていましたし、隠れ家の壁にインスタレーションのようにして自分で描いた絵やポストカードを飾っていたんですね。そんな風に、既存のジャンルや、概念、権威にとらわれることなく、ただ、自分がやりたいと思ったことをやりたいようにやる、という信念が、大切だと思っています。
──アンネ・フランクについては、『親愛なるキティーたちへ』をはじめ、さまざまな場面で語られていますよね。
彼女は恐らく“文豪”とは評価されることがないんです。なぜかと考えたとき、彼女の作品は日記、女・子どもの文学だと軽んじられているのだろうと感じました。ですが、私にとっては彼女の作品こそが文学で、彼女は私の中では“文豪”です。誰かの評価ではなく、自分が好きなことを好きと言う、自分自身で評価や好きを作っていくんだ、という気持ちを強く持つようになりました。
くわえて、いま、パレスチナで起きていることを前に、アンネ・フランクというひとりの人間の言葉を、私は読みたいと思っています。彼女と同じように夢を持つ子どもたちが、いま、パレスチナの地で殺されている、という現実を考えずにはいられません。
《Your Dear Kitty,》 2011年 紙、鉛筆 ©Erika Kobayashi, Yutaka Kikutake Gallery
"Your Dear Kitty, The Book of Memories" 2015 Lloyd Hotel & Cultural Embassy, Amsterdam Erika Kobayashi & The Future, Photo by LUFTZUG
──伝えたいことと表現手法はどのような順番で決められるのですか?
偶然が重なって決まっていくことがほとんどかもしれません。最近行っている寺尾紗穂さんとのかつての歌を蘇らせる朗読歌劇のプロジェクトは、『女の子たち 紡ぐと織る Girls, Spinning and Weaving』で脚本にお声がけいただき、寺尾さんと青葉市子さんと一緒に作品を作ったのがはじまりでした。第二回目として『女の子たち 風船爆弾をつくる Girls, Making Paper Balloon Bombs』を、寺尾さん、角銅真実さん、浮さん、古川麦さんたちと一緒にやりました。実際に音楽家の方たちの声で読んでいただく、作中の戦争歌を歌っていただくと、全然印象が変わる。ひどい歌詞なのに当時の人たちが思わず口ずさんでいた理由がわかるほどの高揚感や美しさを体感することができました。Yutaka Kikutake Galleryでは祖母の着物の裏地を用いたペインティングで、『女の子たち風船爆弾をつくる』にまつわるインスタレーションの展示もしたのですが、それもたまたまタイミングがあって、やりたいことをやらせてもらっています。
──アート作品に関して、創作の上で大事にされていることは文学作品と違う部分はありますか?
根本は変わらないように思います。どちらも、一人ひとりの存在や、声を、大切にしたいと考えながら、描く、作る。また、その向こうにあるはずの、書かれなかった、聞かれなかった声の存在も、忘れずにいたいと思っています。
《桜 1945, 2024》 2024年 振袖(絹布)、顔料、インク、金箔 21cmx21cm ©Erika Kobayashi, Yutaka Kikutake Gallery
──文学とアート作品で共通するモチーフとして、桜も印象的でした。以前も桜を題材にした作品を発表されていましたよね。
アート作品では1945年の桜と2024年の桜を振り袖の裏地に描きました。当たり前のことですが、戦前も戦中も戦後も、桜が咲いて散るという季節が巡り続けている。桜は宝塚少女歌劇団の海外公演の衣装にも描かれていましたし、今なお日本の大切な花であるには違いありません。けれど、その桜が、戦中には、桜として潔く散るみたいな象徴として国策に利用され、わたしたちの心に刷り込まれてゆく。桜と女の子たちが背負わされてきたものを想い、繰り返し作品に描いています。
──作品を通して核や風船爆弾といった戦争に関連することを発信し続けることと、ご自身の生活はどのようにつながっていらっしゃいますか?
自分の娘を見ていると、あまりに戦争が近すぎて、たしかに傷ついていると感じます。ニュースを毎日のように見て、一方で自分は平穏な暮らしをしていて、その状況が当たり前のようになってしまっている。子どもはすごく怖がっていますし、なぜ戦争を止められないのかと絶望しながらも、どうせしょうがないんでしょ、と諦めているようなことを口にしたりもするんです。そうすると「本当に大人がふがいなくてごめん」という気持ちになります……私は大人として、正直、子どもに言い訳が立たない状況ですよね。だからこそ、平和は祈るだけでは手に入らない、日々、平和を作るための努力が必要だし、そのための行動も大切です。いま、子どもに向けた、具体的な平和構築の本を、武装解除や平和構築の専門家の方たちと一緒に作りたいと考えているところです。私自身も幼い頃から持ち続けていた「戦争がなぜ起きていて、なぜ戦争を止められないのか」という疑問を、決して諦めることなく、問い続けたいと思います。
戦争に向かっていく状況を追っていると、幾つもの引き返せたかもしれない点があることがわかります。私自身がもしも同じ状況に置かれたとしたらきっと戦争に加担してしまうだろうという恐怖とそうはなりたくないという想いから、引き返せない点へ到達するより前に、抵抗し、阻止したい。過去の歴史を知ると、私が今選択すること、そこからつながる未来が見えるはず。私は大きなものに抗い続けられる自信がないからこそ、そうではない未来を選択したい気持ちが強くあります。
──小林さんの創作のスタンスが開いていらっしゃるから、さまざまなつながりが生まれているのだと思いますが、創作の関心や根本はどんな場面でも変わらないように思いました。
私の創作は、リサーチを重ねて創作するまで、10年、15年かかってしまうこともあります。それでも自分の関心から離れず、好きなことを好きなようにやっていくことを続けたい、という想いに尽きますが、それを良いと言ってくださる方や支えてくださる方々に出会えていることが、ありがたい限りです。風船爆弾についても、小説を書き終えたので、次は関連する作品を発表していきたいと思っています。インスタレーションや、寺尾紗穂さんとの朗読歌劇など、いずれは風船爆弾が到達したアメリカの地でも、上演したり、発表したりすることを夢見ています。
ARTIST
小林エリカ
アーティスト
1978年東京生まれ。作家、マンガ家、アーティスト。目に見えないもの、時間や歴史、家族や記憶、声や痕跡を手がかりに、入念なリサーチに基づく史実とフィクションを織り交ぜた作品を制作する。主な展覧会は個展に「わたしはしなないおんなのこ/交霊」(2021年、Yutaka Kikutake Gallery、東京)、「 His Last Bow」(2019年、Yamamoto Keiko Rochaix、ロンドン、イギリス)、グループ展にグループ展に「Omoshirogara」(2022年、MuseumDKM, Duisburg、ドイツ) 、「りんご前線 — Hirosaki Encounters」(2022年、弘前れんが倉庫美術館、青森)、「話しているのは誰? 現代美術に潜む文学」(2019年、国立新美術館、東京)などがある。
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