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2025.04.30
【前編】コンピューター、パンク、東京の夜。アーティストの原体験を辿る / 連載「作家のB面」 Vol.32 YOSHIROTTEN
Photo / Kazuki Miyamae
Edit / Eisuke Onda
Illustration / sigo_kun
アーティストたちが作品制作において、影響を受けてきたものは? 作家たちのB面を掘り下げることで、さらに深く作品を理解し、愛することができるかもしれない。 連載「作家のB面」ではアーティストたちが指定したお気に入りの場所で、彼/彼女らが愛する人物や学問、エンターテイメントなどから、一つのテーマについて話を深掘りする。
都内某所。レトロな佇まいのビルを上がり、扉を開くと真っ白な無機質な空間と色鮮やかなアート作品。手がけたのはアートディレクターとして第一線で活躍しながら、現代アートのフィールドでも作品を発表するYOSHIROTTENさん。ここは彼の新しい仕事場でもある。作品に囲まれながら、今回はYOSHIROTTENさんの創作の原体験についてうかがった。
三十二人目の作家
YOSHIROTTEN
地球・光・色彩への強い興味、デジタル表現と物質的素材への探究心と共にSFと神秘主義、自然世界と都市文化が融合する世界観を描くアーティスト。グラフィックや映像、平面、立体、インスタレーション、音楽と、幅広い媒体で表現を展開する。
「SUN INSTALLATION IN MAKUHARI by YOSHIROTTEN」(2023)
2024年に開催された展覧会「FUTURE NATURE II In Kagoshima」。Photo=Yasuyuki TAKAKI
Yの原体験#1_コンピューター室の光景

YOSHIROTTENさんが設立したデザインスタジオ「YAR」が今年の2月にオープンしたViewing Roomで取材スタート
ーー「原体験」という言葉を聞いて、YOSHIROTTENさんが思い浮かべることは何ですか?
あそこにある《RGB Machine》という作品の制作背景にもつながるんですけど、コンピューターグラフィックと初めて出会ったときの記憶が、やっぱり強く残ってるんです。それは中学生のときのこと、僕が通っていた中学校はけっこう古かったんですけど、その部屋だけ異様に綺麗で新しくて、エアコンも効いてて、床は絨毯張り、鍵もかかっていて。「この部屋、なんなんだろう?」って覗いてみたら、コンピューターのスクリーンが光り輝いていて、スクリーンセーバーがそこにバーッと映し出されていました。
そのコンピューター室の光景が本当に印象に残っていて、パンク的な衝撃を受けたんです。でも別にそれで人生が劇的に変わったとか、そういうことではないんですけど、振り返ってみると「あれが自分にとっての原体験だったんだな」と思うんです。コンピューターグラフィックってものに初めてハッとさせられた瞬間。今、そういう作品を自分が作っているのも、あのときの経験がどこかでつながっている気がしていて。当時の自分が感じたあの衝撃のようなものを、今度は誰かに与えられたらいいなって、そんなふうに思っています。

YOSHIROTTENさんの作品がずらりと並ぶShowroom。そこ設置されていた《RGB Machine》
ーーなぜ、特にテクノロジーやデジタルなものに心惹かれたのでしょうか?
SFっぽいものが昔から好きだったんですよね。漫画とかもよく読んでて、藤子・F・不二雄さんの作品とか、すごく好きでした。そういう世界観が、実際に目の前に存在してるような感覚を、コンピューターから感じたんだと思います。その後、インターネットにも触れるんですけど、日本の僻地にある僕の実家からでもいろんなところにワープできるような感覚があって。コンピューターを通して広がっていく世界へのワクワク感、そこに現れるものは普段の生活の中では絶対に見ないようなものだったんですよね。テレビやゲームや本からは得られない、コンピューターやインターネットというテクノロジーだけにある“なにか”からメッセージを受け取ったような感覚があったんです。

《RGB Machine》のモニターではさまざなグラフィックが表示されていく
《RGB Machine》を制作する時にリサーチしたんですけど、そもそもスクリーンセーバーって、ヒッピー文化の影響を受けたプログラマーたちが、コンピューターの中に“遊び”として搭載したもので。画面の焼きつき防止とか、機能的な役割もあるんですけど、あんな奇妙なグラフィックは本来は必要ない。極論を言えば“まったく意味のないもの”に僕は心惹かれて、ワクワクしてしまったんです。
ーーYOSHIROTTENさんのテクノロジーをテーマにした作品には「未来への憧憬、ノスタルジア」という視点があるように思います。
そうですね、70年代とか80年代に描かれていた未来の世界って、時代としてはもう今その頃に近づいてるんですけど、現実の風景はあのとき想像されていたものとは違っている。“まだ届いていない未来”というよりは、“すでに僕らが見てきていた未来”へのノスタルジーというか。漫画や映像の中で出会っていた世界。それが今になって、どこか懐かしく感じられるというのは、確かにありますね。
あとは、現実と仮想空間の境界についても、作品の中にテーマとして据えることがあるんですけど、僕たちが実際に見て、話して、触っているものは、果たして現実なのか——。例えばテレビ越しに見ている北極の風景は、自分が実際に行っていないのなら、それは“現実”とは言えないんじゃないか、とか。量子力学の世界には、“シュレーディンガーの猫”(*)という有名な思考実験がありますけど、あの実験のように「その場所に行かないと、その世界は本当には起きない」みたいな感覚って、自分の中ではかなりリアルなものとしてあるんです。
*.......物理学者エルヴィン・シュレーディンガーが発表した思考実験。箱の中に猫と毒物を入れたとして、その猫の生死は箱を開けるまでは分からない。つまり、猫は箱を開けるまでは“死んでいる状態”であり、“生きている状態”ということになる。

2024年にギンザ・グラフィック・ギャラリーで開催した個展「Radial Graphics Bio at ggg」で展示した作品《RGB Punk》。Photo=Yasuyuki TAKAKI
Yの原体験#2_パンクとクラブカルチャーの衝撃

ーーYOSHIROTTENさんの人生を大きく変えたもののひとつに“音楽”があると思いますが、ザ・ブルーハーツとの出会いも、原体験のひとつだったそうですね。
当時、基本的にテレビやラジオ、雑誌ぐらいしかカルチャーに触れる機会がなくて。友達のお兄さんからブルーハーツのCDを貸してもらったことがきっかけだったんですけど、それまで感じたことのない衝撃だったんですよね。今まで聴いていたもの・観ていたものとは全く違う音楽。歌詞も、サウンドも、ビジュアルも全部がダイレクトに心に入ってきて。
その頃、僕は「なんで学校なんかに行かなきゃいけないんだろう?」「人間とは、人生とはなんだろう?」みたいに考えていた時期でもあって。そんなモヤモヤしていた気持ちを、ブルーハーツの音楽がまさに言葉にしてくれていたというか。「少年の詩」の〈そしてナイフを持って立ってた〉ってリリックとか、「窓をあけよう」って曲とか……ブルーハーツの音楽を聴いて「あ、いいんだ、自由で」って思えたんです。
ーーYOSHIROTTENさんのクリエイティブに音楽は、やはり大きな影響を与えていますか?
すごく大きいです。人生を変えてくれたのも音楽かもなと思うし、考え方とか遊び方のある種の軸になっています。ただ、ひとつのジャンルにずっと留まり続けるような音楽の楽しみ方ではなくて、常に“フレッシュなもの”に触れていたいという感覚があります。出会う音楽や聴く音楽も、その時々で変わっていくものだと思っていて。逆に、あえて、まったく音楽を聴かない時期もあります。
そもそも、僕がグラフィックデザインの専門学校の体験入学に行ったきっかけも、音楽に対してデザインの側からアプローチできないかなっていう思いがあって、その方法が知りたかったからなんです。で、その体験入学で「3日間で作品を作る」という授業があって、「ポスターを自由に作ってください」と言われたんですね。それで真っ先に思いついたのが、ザ・ブルーハーツの架空のポスターを作るってことでした。
その後、YOSHIROTTENさんはザ・ブルーハーツの甲本ヒロト、マーシーが所属するバンド、ザ・クロマニヨンズの『イノチノマーチ』のMVを手がけることに
制作をするときも、例えば、「FUTURE NATURE」って作品は、まずはその作品のための音楽を作ってもらうところから始めたんです。数年かけて集めてきたイメージや感覚の断片を、音楽を聴きながら作品に落とし込んでいく。音楽をビジュアルに変換していくことが、自分は得意なんで。そういうやり方が、自分なりの作り方ですね。

YOSHIROTTENさんが2018年に開催した個展「FUTURE NATURE」。昨年のシリーズの第二弾を故郷・鹿児島でも開催した。Photo=Tatsuya Yamakawa
ーーどのような音楽をこれまで聴いてきたのでしょうか?
中高生の頃は、ザ・ブルーハーツの「パンク・ロック」という曲をきっかけに、パンク・ロックに興味を持って、そこからUKパンク、USパンクにハマりました。The Clash、Ramones、Johnny Thundersとか……本当にいろいろ聴きましたね。いろんなところで話している話ではありますが、僕の名前のYOSHIROTTENは、SEX PISTOLSのJohnny Rottenをもじったものなんです(笑)。それ以外にも日本の同時代的な音楽も聴いていました。当時はメロコアとかのブームがきていて、AIR JAMの流れもあって、それに加えて、日本のヒップホップが盛り上がってきた時期でもあって。
東京に出てきてからは、クラブカルチャーにどっぷりハマって。毎日のようにクラブに行って、ハウスとかテクノとか、ダンスミュージックに夢中になっていきました。パーティもたくさんして多くのミュージシャンと関わるようになりましたよね。さらに30代を過ぎたあたりからは、もっとアンビエントとか実験音楽みたいな、“なんじゃこりゃ?”っていうレコードばっかり買うようになりました(笑)。今はもうDJはたまにしかやってないんですけど、当時は音楽が生活そのものでした。

YOSHIROTTENさんが手がけたアートワーク。左上/the hatch『 shape of raw to come』、右上/BOYS NOIZE『Out Of The Black』、左下/machìna『Willow』、右下/TEMPALAY『EDEN』

山下達郎「SPARKLE」
ーーミュージシャンとしてではなく、ヴィジュアルワークを通じて音楽に携わりたいと思ったのはなぜだったんでしょうか?
あ、でも、ギターもやってみたんですよ。スタートを間違ってしまった(笑)。小学校5年生のときに、おばさんがギターを買ってくれたんですけど、それがフォークギターで。一緒に入ってた教本も日本のフォークソングばかりが掲載されていて。おかげでフォークも好きにはなったんですが……パンク・ロックじゃないじゃんっていう(笑)。その後、エレキギターやベースもやってみたんですけど、バンドを組むこともなく、一人で弾いてたからプレイヤーとしては上達しなかった。のちにDJとしては音楽活動をすることにはなるんですが……。
でも、音楽は好きだったけど、それ以外にもファッションも好きだったし、スケボーも、バスケもやっていた。音楽だったらCDとかレコードのアートワーク、スケボーだったらボードやタグのグラフィック、バスケならロゴとか、ファッションは言わずもがなですけど、グラフィックデザインって、こういうカルチャーの中ですごく重要な役割を果たしていて。自分の好きなこと全てに、携われるのって、グラフィックデザイナーって職業だ、ってことに気づいたんです。それが、高校に入学したぐらいの時期で、その頃から「グラフィックデザイナーになろう」って決めてました。
Yの原体験#3_東京の夜、ただただ面白いことをやって遊ぶ

ーー東京のような“都市”もYOSHIROTTENさんにとっては一つの“原風景”としてあるのではないかと。
地元では、子どもの頃から美しい自然の風景と自分の妄想や空想をリンクさせて楽しんでいたんです。でも、東京はそれとは全然違って、”与えられる”感覚があったんですよ。東京の魅力って、やっぱり“夜”で。夜に面白いことが起きて、いろんな人と出会える。夜の街の光と闇、爆音で音楽が流れるクラブに集まる個性豊かな人たち。上京して、そういうカルチャーを体験して、本当に衝撃を受けたんですよね。
10代後半から20代の頃は本当に毎日クラブに通っていたんですけど、お金もなかったから、遊びに行くためにフライヤーをつくったりしてパーティーに関わらせてもらったりしてました。それで自然と人間関係が広がって行ったんですね。そんな流れで、自分たちでもパーティーをやってみようという流れになったんです。
でも、クラブでやるってなると、当時は今よりも縦社会のノリがあったから、先輩たちに仁義を切らなきゃいけなかった。イベントに毎週顔を出して、まずはオープニングDJからスタートして、中堅DJになれたら徐々に自分のパーティーが打てるようになる……みたいな暗黙のルールがあったんです。そのシーンにリスペクトはあるし、やり方も理解できるんだけど、とにかく時間がかかる。僕らはそうじゃないやり方で早く始めたかったんです。
ーーなるほど。だから、そうした枠組みから抜け出た、インディペンデントなやり方でパーティーを開くことに決めた、と。
僕らの最初のパーティーは、新宿の風林会館にあった廃墟みたいなキャバレーの跡地で開催しました。自分たちでバーを持ち込んで、セキュリティも雇って、大人は誰もいない。「24時間パーティーしようぜ」って感じで。そんなことをやっていたら、同世代でVJやDJをやっている人や色んなクリエイティブな人が集まってきて、どんどん文化祭みたいな感じで盛り上がっていったんです。
音楽のジャンルも、当時はまだ日本にあまり入ってきてなかった「エレクトロ」を先駆けてやっていたので、先輩があまりいなかったのも良かった。僕はYATTというユニットを当時組んでいたんですけど、CDを出したら少し人気が出て、全国ツアーも回ることになって。各地で、僕と同じようにデザインをやっていたり、服を作っていたり、美容師だったり、バンドをやっていたりする人たちと出会えて、どんどん全国に友達ができていったんです。日本だけじゃなく海外の人たちともつながっていって、ジャンルも、ジェンダーも、年齢も関係なく、ただただ面白いことをやって遊ぶ——そういうカルチャーの中で生きてたのが、20代半ばくらいですね。

ーーYOSHIROTTENさんが担当された音楽に関するヴィジュアルワークの中だと、近年特に注目を集めているのは2024年にリリースされた宇多田ヒカルさんの『SCIENCE FICTION』ではないかと。
今までたくさん音楽のアートワークを手がけてきましたけど、『SCIENCE FICTION』は「これ以上ぴったりハマるものはなかったんじゃないか」っていうくらい、アートワークとして良い形にできたと思ってます。ただの過去のものを集めたベストアルバムではなく、オリジナルアルバムをも超えるものとして、楽曲の構成や流れも緻密に編集されていて、新曲やリアレンジされた楽曲も入っている作品。つまり、宇多田ヒカルさんというアーティストの“いま”の音楽的な状態をパッケージングするということに、重きを置いた作品だったんです。だから僕も、それを「視覚的にどう見せるか」に、ものすごく注力しました。過去と未来、そして“今”を一つに包み込む、そんなイメージで作ったアートワークです。


宇多田ヒカル『SCIENCE FICTION』
ーー先ほど「音楽をビジュアルに変換していくことが、自分は得意」とおっしゃっていましたが、それがオーガニックな形でできるのは、なぜだとご自身では思われますか?
一番大きいのは、音楽を視覚的な作品に落とし込むということをずっとやり続けてきたからだと思います。仕事にしてもそうですし、20代の頃は時間さえあれば、世に出すかどうかは関係なく、とにかくひたすら作品を作り続けていたんです。その作業の中で、常に音楽が流れてたんですよね。音楽を聴くと、自然とイメージが湧いてくる。「今、鳴っているものを作品にしてみよう」っていうプロセスをずっと積み重ねてきた結果として、今の自分があるのかなって思います。
もしかしたら最初からそういうことが得意だったのかもしれないけど、正直それはよくわからないです。でも、たとえばメロディーがなくても、ただの“ピピピ”っていう音だけでも、その音の質感や色が違うだけで、僕の中では何か色や形がふっと浮かび上がってくるんです。やっぱりただただ「好き」なんでしょうね。音楽を聴くことも、そこから何かを感じて創ることも、本当に自然なこととして自分の中にあるんですよね。

後編ではさらにYOSHIROTTENさんの原体験に迫りつつ、これからの展望もうかがっていきます
ARTIST

YOSHIROTTEN
アーティスト / アートディレクター
1983年、鹿児島県鹿屋市出身。地球・光・色彩を題材に、自然界と都市文化、空想科学と精神世界が混じり合う世界観を描くアーティスト。デジタル表現と物質的素材の探究など一見相反するような領域を、平面から立体、映像といった様々なメディウムによる表現を通して横断的に模索しています。主な個展に〈FUTURE NATURE〉(TOLOT heuristic SHINONOME, 2018年)、〈SUN Installation〉(国立競技場・大型車駐車場, 2023年)、〈Radial Graphics Bio / 拡張するグラフィック〉(ギンザ・グラフィック・ギャラリー, 2024年)、〈FUTURE NATURE II In Kagoshima〉(鹿児島県霧島アートの森, 2024年) その他、国内外での個展やグループ展など。クリエイティブ・スタジオYAR代表。
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