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2025.04.30

【後編】自然に触れ、都市で遊び、見えない風景を描く/ 連載「作家のB面」 Vol.32 YOSHIROTTEN

Text / Jin Otabe
Photo / Kazuki Miyamae
Edit / Eisuke Onda
Illustration / sigo_kun

アーティストたちが作品制作において、影響を受けてきたものは? 作家たちのB面を掘り下げることで、さらに深く作品を理解し、愛することができるかもしれない。 連載「作家のB面」ではアーティストたちが指定したお気に入りの場所で、彼/彼女らが愛する人物や学問、エンターテイメントなどから、一つのテーマについて話を深掘りする。

今回はグラフィックデザイナーとして第一線で活躍しながら、現代アートのフィールドでも作品を発表するYOSHIROTTENさん。前編では「原体験」をテーマに話を聞いた。後編ではさらにアート作品の制作について、その根底にある衝動について語ってもらった。

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前編はこちら!

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【前編】コンピューター、パンク、東京の夜。アーティストの原体験を辿る / 連載「作家のB面」 Vol.32 YOSHIROTTEN

  • #YOSHIROTTEN #連載

 

Yの原体験#4_鹿児島の自然、見えないもの

引き続き、YOSHIROTTENさんが設立したデザインスタジオ「YAR」のViewing Roomにて取材

ーー昨年、鹿児島県霧島アートの森で開催された展覧会「FUTURE NATURE II In Kagoshima」では、故郷・鹿児島の山や河川などがモチーフとなっている作品が展示されていました。YOSHIROTTENさんにとってのふるさとの“原風景”とは、どのようなものでしょうか?

学校からの帰り道で見ていた景色を思い出しますね。空がすごく開けていて、夕陽が山に反射して、その光が陰をつくって……時間とともにどんどん景色が移り変わっていく。その変化を自転車に乗りながら毎日眺めていて、すごく感動していたんです。東京に出てきたときに、地元との“違い”にも衝撃を受けました。僕が育った場所では、夕方とか冬になると、本当に真っ暗な道を通らないと家に帰れなかったんです。何も見えないような、そういう“暗さ”って、東京ではなかなか体験できないんですよね。その“何も見えない”という感覚も含めて、地元で体感してきたもの——そういうものが、自分にとっての原風景なのかなと思います。

2024年に開催された展覧会「FUTURE NATURE II In Kagoshima」。写真下の作品《メンヒル》は美術館の採光データに基づいて光の模様が映し出される。Photo=Yasuyuki TAKAKI

ーーYOSHIROTTENさんの美術作品は特にその「見えないもの」を具象だけでなく精神性も含めて可視化しようとしているように思えます。

僕は見えないものも“ある”のが世界だと思っているので、作品の中にも表現はされていますね。実際に目には見えないものでも、例えば光の波動っていうのは、目には見えないけれど計測してみるとちゃんと“ある”。それを視覚化して見えるようにしたら、美しいんじゃないかという発想から作品が生まれたりもするんです。作品を通して地球や自然世界を伝えることや未来都市のような世界を作り上げたいのが1番です。

あと、僕が「見たい」っていう気持ちもあるんです。見たい景色を描いてるし、自分が見たいものって、必ずしも“見えているもの”とは限らない。見えていないけど、「こうなってたらいいな」とか、「もしかしたら、こうなってるんじゃないかな」とか、そんなことを考えたりする。感覚に突き動かされて気がついたら出来上がっているときもあります。なぜそんな風景を描いているかというと、そういう景色にドキドキするし、本当に“あったらいいな”と思うから。しかも、それが「あるかもしれない」と思って見る世界って、全然違って見えるんですよ。僕はそういうふうに世界を見てきたし、「あなたもご一緒にどうですか?」って作品を通して伝えてるのかもしれないです。

《スカイブルー》は光によって変化する前の雲、雷の一部が繰り返しくり抜かれモニターに表示される

ーーここ数年、YOSHIROTTENさんは特に「自然」をテーマに作品作りをされていますけれど、日本に限らず、自然との深いつながりを感じた場所ってありますか?

たくさんあるんですけど、確か15〜16年前くらいにロンドンで個展を開いたんです。作品を現地に持ち込んだちょうどその日に、ふと思い立ってストーンヘンジに行ったんですよ。そしたら、たまたまその日が夏至で普段は立ち入ることができないエリアまで入ることができたんです。世界中のヒッピーや宗教家、様々な人たちがそこに集まっていて、みんなで朝日が昇るのを見たんです。巨大な石を大勢の人が囲んで、太陽が昇るのを待つっていうそのシチュエーションがかなり特殊で、ものすごくパワーと地球の様々なものへのリスペクトを感じたんです。もともと石を集めるのが趣味だったんですけど、その日を境にもっと石というものに興味を持つようになりました。古くから地球にある石はどんなふうにして今ここにあるんだろうとか、考えるようになりましたね。

仕事場で石のコレクションをみせてくれたYOSHIROTTENさん

ーー今、石の話が出たのでちょっとうかがいたいのですが、YOSHIROTTENさんの趣味のひとつに「石集め」があると。実際、作品の中にも石をモチーフにしたものを制作されていますよね。そもそも、石に興味を持たれたきっかけはなんだったんでしょうか?

きっかけは、山梨にある昇仙峡っていう場所に行ったことでした。もともと水晶が採れた場所らしいんですけど、今はもう採掘はやめていて。その近くにある石屋さんがあって、そこで初めて石を買ったんです。家に石を飾るようになってから、自分が石をもともとすごく好きだったということに気づいて、ちゃんと集めるようになったんです。ニューヨークに行っても、メキシコに行っても、旅先で偶然現れる石屋さんにふらっと入っては、気になる石を買ったりして。気づいたらどんどんハマっていきましたね。

自分はいわゆる“スピリチュアル”な意味合いで集めているわけではなくて、どちらかというと“形”とか“色”とか、まずそこに惹かれてるんです。で、あるときふと、「この石って、もともとはまったく違う形で、何千年……いや、何億年もの時間をかけて、この形になって今自分の元にたどり着いたんだよな」って思った瞬間があって。

正確な情報かどうかはわからないんですけど、地球上にある石って、“増えない”らしいんですよ。もともとあったものが砕けたり、転がったり、くっついたり、風化して形を変えていくことはあっても、完全に“新しく生まれる”ことはない。じゃあ唯一、地球に新たに“加わる”石って何かっていうと、宇宙から飛んでくる隕石なんですよね。それを知ったとき、「隕石すげえ……!」ってなって(笑)。そこから「宇宙もすごいな」って興味が広がっていって。20代中盤か後半くらいから、そういう感覚をもとに作品を作るようになりました。

YOSHIROTTENさんの本棚

ーーありのままの自然と、解釈・昇華された自然の間には乖離や干渉が生まれることもあると思うのですが、ご自身としてはそのバランスを作品の中でどのようにとっていらっしゃいますか? もしくはバランスとは違う軸で自然をモチーフやテーマに作品作りをしているのかうかがいたいです。

僕は“ありのままの自然”を、そのまま見ているわけじゃないんです。自然の中にあるものを、その周辺ごと、あるいは見る角度をちょっと変えるだけで、「空ってこんなふうにも見えるんだ」ってなることを作品で描いているだけで。だから僕にとっての“自然風景”って、そういうふうに世界を自分なりに立体的にとらえたものなんです。でもだからと言って、自然をいじって「変なもの」を作ってるわけではない。可視光線で見ればこうだけど、宇宙にある無数の光の一つで見たときには全く違うように見える——そういう多層的な視点を通して、自然の美しさを表そうとしている。だから、自然をそのまま見つめることと、そこにイメージを重ねていくことは、僕の中では矛盾してないんです。

展覧会「FUTURE NATURE II In Kagoshima」より。Photo=Kazuki Miyamae

 

Yの原動力_作りたい

ーー作品作りをする上で、ご自身を突き動かす“原動力”はなんでしょうか?

やっぱり、「作りたい」という衝動が一番大きいと思います。まだ存在しないものを作ってみたい、自分ならできるかもしれない、頭の中にイメージが浮かんだから、とりあえずPhotoshopで合成してみよう——というような、衝動を原動力にとにかく手を動かしながら作ってきました。好きな作家はたくさんいますが、ロールモデルのような存在や作品はないかもしれないです。

ーー現代美術では作品を作る上でフォームやコンテクスト、歴史などが重視されますが、YOSHIROTTENさんはそういったものとはどのように向き合ってきましたか?

デザインに関しては歴史の勉強もしましたし、時代と響き合うものだとも思うので、大事なことだとも思うんですけど……美術に関しては、違った感覚があります。何かをつくりたいと思った時の一番の動機が「つくりたいからつくるのだ」という純粋なものだったとしたら、コンテクストは後付けになるからそれはツール的だなと感じます。僕も、石とか自然とか資料を集めたり、素材の研究とかリサーチは大好きですが、作品作りをする上では、ただ自分の心の中にあるものや見えないものを形にしたいということ、あとは言葉や文章にできないようなすごいものを世に出しているというピュアな状態を重視したいタイプだと思います。

2024年にギンザ・グラフィック・ギャラリーで開催した個展「Radial Graphics Bio at ggg」の展示風景。地下の展示室ではこれまでのデザインワークが展示された。Photo=Yasuyuki TAKAKI

ーーとなると、デザインワークと美術作品のクリエイティブのプロセスには明確な違いがある、と。

そうですね。僕にとってグラフィックデザインは課題を解決する手段だと思っていて。余計なものをどんどん削ぎ落として、シンプルに瞬間的に物事を視覚で伝えるためにあるものだと思うんです。デザインは“相手”がいる。だからこそ、作るものには納得感や説得力があるものでなければならない。対して、アートの場合は、僕の頭の中にあるものを吐き出して、落とし込んだ結果が作品になっているから、責任の所在が僕にある。だからこそ、鑑賞する人にふんわりと放り投げてる感じはあります。受け取った人が、それぞれの解釈で感じてくれていいと思ってるんです。いろんな情報を知らなくても、たとえば美術館にふらっと入ってきた人が、パッと見て「うわっ」って何か心が動いたらいいなって思っています。

展覧会「FUTURE NATURE II In Kagoshima」の野外展示作品。Photo=Kazuki Miyamae

パブリックな場所で展示を開催することの醍醐味ってそこにあって、アートに詳しい人だけではなく、通りすがりのおじいちゃんや、何も知らない子どもが作品と出会って「なんか良かったね」って思って帰ってくれたら、すごく意味があることだと思う。それって、僕が小学生の時にパンクロックのCDを友達に「聴いてよ!」って言って手渡していたのと同じことで。アートでもそれができたらいいなと思ってますね。さっきコンテクストの話がありましたけど、作品のストーリーや時代背景はもちろん作品に投影されます。それを多く語るというよりは作品から滲み出てくるものだと思うし誰かに広げてもらっても構いません。僕にとっては作品を観た人の心が動くことがいちばん大事かな。

シリーズ「霧島百景」のアートブックを広げるYOSHIROTTENさん

ーーある種、アートというものが生まれるその根本に立ち返って、作品作りをしていらっしゃる、と。

どちらかというと“ミュージシャンみたいな感覚”で作品作りをしているのかもしれないです。例えば、「霧島百景」というシリーズの作品には、100枚のアートワークすべてにタイトルをつけているんですよ。《苔の踊り》とか《不動池の夜》とか……タイトルは、作り終わったときに考えるんですけど、僕の子どもの頃からの妄想とか想像から着想を得たり、あとはそのアートワークをつくったときの感覚から生まれているものなんですね。小学生の頃にルネ・マグリットの《夜の帝国》を見て、すごく好きだなって思って。昼か夜かわからないミステリアスな絵に対して、タイトルがその謎を深めてくれている。自分の作品とタイトルの関係も、心が動くかどうかで決めているところはあります。

展覧会「FUTURE NATURE II In Kagoshima」で展示された「霧島百景」。作品名は左から《みどり岩泉 》《鹿屋の空粒》《光合紙》。Photo=Yasuyuki TAKAKI

 

Yの現在地とこれから

ーー10代〜30代にかけて音楽とカルチャーを中心にしたライフスタイルがあって、それがここ数年で変わってきている、と。その変化というものは、ご自身の作品にもやはり影響を与えていますか?

コロナ禍のときって、仕事とかをリモートでせざるを得ない状況になって、改めて「東京にいる意味って、なんだろう?」って考えた人も多かったと思うんですよ。僕自身もそうで、あの頃、僕は人里離れた場所を旅して回ってたんです。Googleマップで適当にピンを刺して、「ここ行ってみようか」って感じで。そうやっていろんな場所を訪れるうちに、日本の自然って本当に魅力的だなって改めて思い知らされたんですよ。

「SUN」シリーズの作品《JUN 02》

その気づきが「SUN」というプロジェクトにつながっていて。この作品群は、地球について深く考えていった先に生まれたものなんです。地球の中には、緑色のかんらん石でできたマントルと、シルバーの海が広がる外核とその一番中心には内核があってコアがある。「もし地球のコアが太陽としてある世界はどう見えるんだろう?」っていうところから、様々な日々の色が映り込んだ太陽を描くシリーズになったんです。宇宙へ飛び出すのではなく、地球の中に入っていくような感覚でつくった作品群です。

「SUN INSTALLATION IN MAKUHARI by YOSHIROTTEN」(2023)

「FUTURE NATURE II In Kagoshima」の屋外で展示されたSUN。Photo=Yasuyuki TAKAKI

その体験があったから、地球への興味がますます深まっていったんです。「FUTURE NATURE」は2018年に最初の展覧会を開催したんですけど、その続編である昨年の「FUTURE NATURE II In Kagoshima」は、作品をもっと自然と一緒に見せられる方法ってないかな? って考え始めて。そこから、霧島アートの森での展示につながっていきました。コロナ禍以降の5年間くらいで自分のモードは、かなり地球や自然に向かっていってますね。

ーーこれから、ご自身の興味や関心、そして創作の方向性はどこに向かっていくと感じていますか?

そうですね。「FUTURE NATURE」シリーズなどでは霧島を舞台にしたんですけど、次にやりたいこととしては、もっといろんな街や自然の場所を巡ってみたいなと思ってます。たとえば、北海道でもいいし、アラスカでもいいし、インドでもいい。場所ごとに僕なりの方法で、その土地の風景や空気を伝えていけたら。「FUTURE NATURE」というフォーマットを通じて、そういう表現ができたらいいなと考えています。でも一方で、人生の半分以上を過ごしてきた「東京」もやっぱり自分にとって大事な場所なんですよね。だから今、東京をテーマにした作品制作も少しずつ始めていて。「東京で見たいことって何だろう?」という問いを、自分なりに探ってるところです。いつかそれも、かたちにして発表できたらいいなと思っています。

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YOSHIROTTEN

アーティスト / アートディレクター

1983年、鹿児島県鹿屋市出身。地球・光・色彩を題材に、自然界と都市文化、空想科学と精神世界が混じり合う世界観を描くアーティスト。デジタル表現と物質的素材の探究など一見相反するような領域を、平面から立体、映像といった様々なメディウムによる表現を通して横断的に模索しています。主な個展に〈FUTURE NATURE〉(TOLOT heuristic SHINONOME, 2018年)、〈SUN Installation〉(国立競技場・大型車駐車場, 2023年)、〈Radial Graphics Bio / 拡張するグラフィック〉(ギンザ・グラフィック・ギャラリー, 2024年)、〈FUTURE NATURE II In Kagoshima〉(鹿児島県霧島アートの森, 2024年) その他、国内外での個展やグループ展など。クリエイティブ・スタジオYAR代表。

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