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2025.11.12

【後編】極東の島から美術を「祝祭」に呼び戻す / 連載「作家のB面」 Vol.37 大小島真木

Photo / Ura Masashi
Text & Edit / Eisuke Onda
Illustration / sigo_kun

アーティストたちが作品制作において、影響を受けてきたものは? 作家たちのB面を掘り下げることで、さらに深く作品を理解し、愛することができるかもしれない。 連載「作家のB面」ではアーティストたちが指定したお気に入りの場所で、彼/彼女らが愛する人物や学問、エンターテイメントなどから、一つのテーマについて話を深掘りする。

アートユニット・大小島真木の二人は、メキシコでの滞在と出産を経て、個展「あなたの胞衣はどこに埋まっていますか?」を発表した。その背景を聞いた前編に続き、後編では、なぜアーティストの大小島真木さんと、もともと編集者/ライターとして活動していた辻陽介さんが「大小島真木」として共に制作を行うようになったのか──その背景にある思考からたどる。

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【前編】メキシコで産み、生命を績む──それは世界に対する「祈り」である / 連載「作家のB面」 Vol.37 大小島真木

  • #大小島真木 #連載

 

「大小島真木」という名前を拡張させる試み

前編と同じくKAAT神奈川芸術劇場で取材

ーーそもそもアーティストとして活動していた大小島さんが、パートナーの辻さんと一緒にユニット「大小島真木」として活動するようになった経緯を教えてください。

辻:知り合ったのは、2019年の立教大学で行われたシンポジウムなんですけど、その後、パートナーシップを築いていく中で自然に協働制作するようになった感じです。ご存知の通り、真木ちゃんはかねて美術家として活動していて、僕は編集者/ライターとして活動していて、畑違いではあるけれど、お互いに物を作る世界にいた。だから互いの道が自然に合流したという感じ。僕はいまだに“世界を編集している”という感覚でいます。

大小島:私たちは哲学や思想も含めて、生きる上で表現することが生活の中心なんです。陽さんとは出会った頃から興味も近いし、美術の話をすれば盛り上がるし、生き様が表現そのものであるということが共通していました。暮らしの中で一番近い人になってからは、私の制作を助けてもくれたし、作品の話をすると聞くにとどまらず、「自分ならこうする」ってはっきりとした意見が返ってくるのも面白くて。

辻:だから最初は隣で展示の準備とかを見て、世間話をしていたのが始まり。人からもらった意見を取り込むことについて、良い悪いに関わらず嫌いな人もいるじゃないですか。でも、真木ちゃん自身はそれに対してすごく開かれている。面白いものには「いいね!」とどんどん取り入れていく。

大小島:私はその辺がゆるいんですよ。

辻:隣にいるうちにだんだん自分の展示のような気持ちになっていくわけで。最初は大小島真木の担当編集っていう感覚もあったけど、さらに密度が深まっていき「じゃあ次は何しようか」「空間構成はどういう風にして、どういう作品を新たに作ろうか」って話から二人でするようになって。本当、自然な流れです。

映像作品《千鹿頭》

大小島:一番大きかったのは2022年から2023年にかけて映像作品《千鹿頭》を作った時ですね。私とはまた違う陽さんの鋭さや独自の世界観をきちんと表現していく上では個人名義では限界があるなと感じました。陽さんからも、「ここはこうすべきだと思うけど、現状ではその表現に自分で責任を取ることができない」という意見もあって、私も同じように思っていたので正式にユニットにした形です。最初は大小島真木+辻陽介とかでやっていくことも考えたんですけど、陽さんから「なんか変じゃない?」って。私はどっちでも良いんですけど(笑)。

辻:名前が横に並ぶのに違和感があったというか。例えば、大きなディレクションは二人でやるけど、基本的には色々な人の技術に頼ったり、アシスタントにも意見を聞いたり、色んな人と一緒に作っていこうというスタンスを取っている。制作主体の輪郭って実はすごく曖昧で、ただ、個人名を連ねてしまうとその曖昧さがむしろ損なわれてしまう気がしたんです。

真木ちゃん自身も以前から地域のプロジェクトでは、そこに住む人たちから聞いた話や意見も作品に取り入れるタイプで、そもそも「大小島真木」という名がもはやある特定の個人だけを指し示す名前じゃなくなってるなと。だからこそ、名前を並べて二人で完結するよりも、大小島真木のまま拡張させていった方が現実に即している気がしました。尚且つ、大小島真木ってあまり現実感のない、いい名前だと思うんですよ。

大小島:日本で数名くらいしかいない珍しい苗字なのと、「真木」も苗字っぽいから、そういう意味でもありだよねって。

辻:そもそも個人であるとはどういうことか、制作とはどういうことかっていうことを、ユニット名を個人名と同じにすることで、問いかけてみようという思いもありました。周りの意見としては「面白い」っていう人と「分かりづらい」っていう人が半々(笑)。

 

絶え間ない移動から生まれる応答という表現

©︎国際芸術祭愛知組織委員会 Photo:ToLoLo studio

ーー前編で話してもらったメキシコや諏訪の他にも、インド、ポーランド、中国、フランスなど、様々な土地で滞在制作を重ねてきたお二人ですが、旅や移動は作品制作においてどのような位置付けなのでしょうか?

大小島:私たちの作品は自分たちの中だけで生成されるものではないんです。レヴィ=ストロースでいうブリコラージュ的にツギハギを合わせながら、自分たちの輪郭を作ろうとしている気がしていて。さまざまな土地に行って「コレスポンダンス」(応答)していくイメージ。土地土地の文化に触れて、自分たちの中に堆肥が溜まり、そこから発芽していくものこそが、私たちの表現なんです。だから、特定の一つの場所ではなく、移動し続けることが私たちにとってはすごく重要だと思います。

世界のさまざまな場所を訪れることで、土地土地の文化を比較してみることもまた面白いんですよ。これまで訪れた場所との差異と類似性を知ることで、新しい世界の見え方や考え方が開けてくる。だから、諏訪をやった後にメキシコを選んだからこそ見えてきたものもありましたし。

辻:やっぱり「応答」っていうのが制作においては一番大きいなと思います。どこかへ行き、その土地の人々や伝統、文化に触れることで、美しさや面白さ、あるいはそれぞれが抱え持っている傷や痛みを発見していくうちに、僕たちの中におのずと応答責任のような感覚が生まれていく。受け取ったボールを投げ返さないといけない、というようなすごく素朴な感覚です。

それこそ諏訪では最初、映像作品を作るつもりは毛頭なかった。キュレーターの四方幸子さんに誘われるままにリサーチをしてみたら夢中になってしまい、具体的なゴール設定もなく毎日のように諏訪を掘り下げ、どこかへ行っては本と照合し、じゃあ明日は別のところへ行かないといけないんじゃないかとプランを練り……その繰り返し。ただただ諏訪オタクになっていったんです(笑)。それをアウトプットしようという段になって、映像作品という形式しか思い浮かばなかっただけなんです。だから、メディアを拡張させることが目的としてあるわけではなくて、「応答するために一番ふさわしいメディウムは何か?」とその都度考えてきた結果、多様化していっちゃっている部分はありますね。

映像作品《千鹿頭》ではリサーチの過程で出会ったこの土地の研究者である故・田中基も出演した

辻:今回の個展「あなたの胞衣はどこに埋まっていますか?」でいえば、KAATという劇場空間に対する応答であり、出産をはじめとする僕らのメキシコ体験に対する応答でもあるわけです。この場所だから空間そのものを作品とするインスタレーション的に組んでいるけど、場所が変われば違う形で組み直すかもしれない。全体で一つの作品のように今回は見えるけど、状況が変わればそれらを分解してまた違う展示において個々の作品として編み直していくかもしれない。

個展「あなたの胞衣はどこに埋まっていますか?」で展示した《アトムの光》は2017年に海洋生物保護を目的としたアニエス・ベーによる「タラ号太平洋プロジェクト」に参加し制作した作品 Photo by Ura Masashi

ーー応答という意味では、「あいち2025」の愛知芸術文化センターで2017年-2018年に制作し、青森県立美術館で発表した《明日の収穫》という巨大な絵画に加えて、《土のエクリ》という作品を展示することで一つのインスタレーションのように展示していました。

大小島:《明日の収穫》という作品は、青森の飢餓の歴史、そこからくる祈りのあり方、そして実際に米作りをしながら育んできた生物たちと関わり方など、青森の風土のことをリサーチした2年間の結果として生まれた絵画なんです。ただ、7年前に作られたものなので、そこに今のユニット体制だからこそできる拡張も行いたかった。結果的に言葉と陶器を用いた床面インスタレーション《土のエクリ》を新たに制作しました。

《明日の収穫》

辻:《明日の収穫》はイメージも豊穣で、見る人がそれぞれストーリーを受け取ることできる大作なんですけど、2025年という時間において、また「灰と薔薇のあいまに」という芸術祭のテーマを踏まえて展示するにあたり、もうひと構成加えたいと思い提案したのが《土のエクリ》です。真木ちゃんが瀬戸の土を使って制作した陶器に、日本の文人たちが農業や土をめぐって紡いできた言葉の引用をあわせて展示しています。

それが必要だと思ったことには理由もあります。僕は図像的なイメージというものにすごく魅せられている一方で、同時に危うさも感じているんです。それが非言語情報であるがゆえに、いろいろな文脈の中で受け止められやすい。それは豊かさである一方、割とたやすく「利用」もされてしまう。とりわけ「土」や「農」への素朴な賛美は、ファシズムやナショナリズムを背景にした国土の物語へとも短絡しやすい。今の時代を見ていればなおさら感じることですよね。もちろん絵画には多様な解釈があって然るべきなんだけれど、一方で「受け取り方は自由です」という風には作り手としては思い切れないところもある。そこで絵画のイメージを特定の文脈に還元することをあらかじめ牽制するような一つの楔を打っておきたいと思い、言葉の堆肥としての多様な語りを周囲に配置しました。結果的に絵画をより豊かな鑑賞に開くことができたように感じています。

《明日の収穫》の下に設置されたインスタレーション《土のエクリ》。宮沢賢治、坂口安吾、伊藤野枝、藤原辰史など時代もさまざまな文人たちの言葉が並べられた

「あいち2025」の愛知県陶磁美術館の陶翠庵の庭園と茶室では《土のアゴラ》というインスタレーションを展示。瀬戸市の風土を巡る映像作品などが展示される  ©︎国際芸術祭愛知組織委員会 Photo:ToLoLo studio

 

芸術をもう一度、祝祭の文脈に引き戻す

Photo by Ura Masashi

ーー作品の幅が広がっている中で、例えば《千鹿頭》は約40分の大作で、もはや映画のようなスケールになっているようにも感じます。お二人は作品を現代美術の領域で発表することの意義をどのように考えているのでしょうか?

辻:現代美術という領域の最大の魅力は、それが総合格闘技であるってことだと思います。多様なメディアを使うことができ、その表現の方法にも寛容さがある。ただ一方で、現代美術的作法のようなものはあるように感じています。僕らは美術が大好きで現代美術の展示も多く観に行くけど、ただ現代美術史を参照して、つまり、美術史の中において、その歴史との対話を目的とするような制作を行う気はあまりない。もっというと、僕らが向き合い、参照すべき歴史は世界史であり、あるいは惑星史、もっと言えば宇宙史なんです。その内の一部に美術史があり、さらに細かな分類として現代美術史がある。それぞれの歴史に向き合うこと自体には有意義さもあるだろうと感じつつ、そこに閉塞することは正直くだらないと思う。僕たちが一番やりたいこと、やるべきこと、やらずにはいられないことというのは、やっぱり“世界そのものに対する応答”なんです。別にこれは現代美術のありようを批判するという意味ではないんだけど……、いや、まあ結果的に批判しているのかな(笑)。いや、まあどうでもいいというか、気にしてないっていう意識ではありますね。あくまでも世界と関わるための方法の一つに過ぎないわけですし。真木ちゃんはどう?

大小島:マルセル・デュシャン以降の現代美術と呼ばれるものは、やっぱりクリティーク(批評)の上で成り立っているわけですよね。その中で私たちは「芸術の起源」っていう話をよくするんです。芸術というのはどう使われてきたか──それは起源においては生き延びる術として、サバイブの方法の一つとして生まれてきたものだと思うんですよね。だから、現代美術と呼ばれる世界の中においても、その起源を意識しながら活動していきたいと思ってます。よく陽さんがいうんですけど、「芸術をもう一度、祝祭の文脈に引き戻す」っていうことを、世界の極東で育った私たちが見せていくことには意義があるんじゃないかと思っています。

展示会場で舞踏家・松岡大さんがパフォーマンスし音楽家の佐藤公哉さんが演奏した「胞衣|Ena」の様子 Photo by Ura Masashi

辻:祝祭や儀礼をモチーフにした芸術は万とあるけど、したいことはそういうことじゃない。芸術はあくまでそれらの下位概念なんです。そういう意味ではKAATは箱としてとてもいい環境でした。普段は舞台美術を作っているチームと展示設営をしていくプロセスや、実際に出来上がったものを見ていると、「舞台美術の方が美術の原義に近い」ように感じたんです。 

舞台っていうのは何かがそこに訪れて初めて成立するものですよね。演者がそこにいることで初めて、何か気配のようなものが立ち上がっていく。そこにおいて作品というのは、何かが訪れるのを待つための装置のようなものに過ぎない。目的ではないんです。芸能や神事においてもそうですよね。美術はいわば自分たち以外の世界と交渉するための手段として、自然を含む神々や死者の世界へと捧げるものとしてあった。神に供した食べ物を後にみんなで食べる直会のように、僕たちもおこぼれとして芸能や芸術に触れることができる。

今回の会場では作品が目的になっていなかったと思ったんです。実際、鑑賞者は、みんなフラフラと作品の間を彷徨っていた。どこか作品の向こう側にある何かの訪れを待ちわびているようにも見えました。僕もあそこにいるとそういう動きになってしまう。作品も見てるんだけど、気づけばぐるぐると会場をあてもなく歩き回っている。光や音が変化し続けていく中で、そして周囲の鑑賞者がその空間を動き回っている中で、何かがそこに立ち上がりつつあるという予感だけがある。出来上がった空間に立ってみて、こういうことをずっとやりたかったんだなと気づきました。

大小島:KAATは面白かったですよ。ホワイトキューブでは作品そのものをフラットに見せる、場や状況の特性から作品を切断する機能がそこにはある。ただ、ブラックボックスは逆なんです。黒い海の中に自分そのものが入った感覚というか、自分の輪郭を忘れて、精神だけになって、何かと出会う場になれる。そういう感覚を作れたんじゃないかなと思います。

ーー展示の最終日には祭りのような催しも開催されたとお聞きしました。それもまた儀礼のイメージとも重なりますね。

大小島:10月14日の最終日に張山しし踊り(遠野郷早池峰しし踊り張山保存会)を招いて、サウンドクリエイターのYosi Horikawa、Daisuke Tanabeとのセッションをする鎮魂のしし踊を開催しました。今回展示した《荘厳》の根本部分には、生前、私たちが関係していた亡くなった人たちの写真が置かれているんです。お客さんにとってではなく、まず私たちにとっての祈りの場なんです。具体的な祈りがないところに、普遍性は宿らないですからね。その上でも最終日に死者たちに向けて舞を踊ってもらうことが欠かせなかった。その場所を再び劇場に戻すための一つの儀礼として開催したんです。

フィナーレイベント 大小島真木×遠野巡灯篭木 張山しし踊り「雌じし狂い」の様子 Photo by Hiroyasu Daido

辻:いみじくも「祭り」と言ってくれましたが、まさにそうですよね。芸術祭と謳わなくても、芸術のある場というのは全てが祭りの場なんです。それは作家の意図を問わずです。祭りという言葉の語源は「待つる」にあるとも言われます。何かがそこに訪れることを待つということ、それこそが祭りなんです。この空間をシシたちと共に締めくくれたことで、およそ芸術と呼ばれているものの根底部分に、わずかかもしれないとはいえ、触れることができたんじゃないかと思っています。

Information

国際芸術祭「あいち2025」

■会期
2025年9月13日(土)~11月30日(日)
 
■会場
愛知芸術文化センター、愛知県陶磁美術館、瀬戸市のまちなかほか


「あいち2025」公式HPはこちら

bmen

ARTIST

大小島真木

アーティスト

東京を拠点に活動する大小島真木、辻陽介からなるアートユニット。
「絡まり、もつれ、ほころびながら、いびつに循環していく生命」をテーマに制作活動を行う。
インド、ポーランド、中国、メキシコ、フランスなどで滞在制作。2017年にはTara Ocean 財団が率いる科学探査船タラ号太平洋プロジェクトに参加。 近年は美術館、ギャラリーなどにおける展示の他、舞台美術なども手掛ける。 KAATキッズ・プログラム『ククノチ テクテク マナツノ ボウケン』(2021・2022年KAAT神奈川芸術劇場)で舞台美術を手がける。主な参加展覧会に、「あいち2025」(2025年、愛知)、「Sobre los Ombligos de Este Planeta」(2025年、Fundacion Sebastian、メキシコ)、「千鹿頭 A thousand Dear Head」(2023年、調布市文化会館 たづくり、東京)、「コレスポンダンス」(2022年、千葉市美術館 | つくりかけラボ09)、「地つづきの輪郭」(2022年、セゾン現代美術館)、「世界の終わりと環境世界」(2022年、GYRE)、「コロナ禍とアマビエ 」(2022年、角川武蔵野ミュージアム)、「Re construction 再構築」(2020年、練馬区立美術館)、「いのち耕す場所」(2019年、青森県立美術館)、「瀬戸内国際芸術祭-粟島」(2019年)、個展「L’oeil de la Baleine/ 鯨の目」(2019年、フランス・パリ水族館)、個展「鳥よ、僕の骨で大地の歌を鳴らして」(2015年、第一生命ギャラリー)。 主な出版物として「ウオルド」(作品社)、「鯨の目(museum shop T)」など。 2023年より、かねてより制作に関わっていた編集者・辻陽介との本格的な協働制作体制に入り、以降、名称をそのままに、アートユニットとして活動している。Photo by Aki Kawakami

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