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INTERVIEW
2022.07.08
民俗学者が考える、祭りとアートの関係性ってなんだろう? /「祭り、ふたたび」畑中章宏インタビュー
Edit / Eisuke Onda
約3年の沈黙を破り、各地の祭りがふたたび開催されている。
再始動した祭りを思いっきり楽しむためにも、私たちがこの3年間で忘れてしまった「祭りとはなにか?」を今一度、振り返ってみようじゃないか。
古来から続く祭りという習慣の機能とは何か?
その祭りのイズムを受け継ぐ芸術祭って?
そもそもアートと祭りに共通することってなんだろう?
民俗学者であり、アートにも精通する畑中章宏さんに問いを投げかけてみた。
祭りがなぜ開催されるのか?
民俗学者の畑中さんの著作『21世紀の民俗学』(KADOKAWA)には、日本の伝統的な祭りの機能の美しさとそのゆくえが綴られている。本記事ではここに綴られていた機能が芸術祭ではどのように受け継がれているのか畑中さんに聞いてみた。
――今回、ARToVILLAは「祭り、ふたたび」という特集を行います。これは徐々にコロナ禍が鎮静し、祭りや芸術祭、フェス、イベントの再開している状況で、そもそも「祭り」とはどのようなものだったのかを様々な人と考えよう、という特集をつくっています。
よろしくおねがいします。
――まず、民俗学者の畑中さんにお聞きしたいのですが、古来より「祭り」とは我々日本人にとってどのような風習だったのでしょうか?
僕は日本列島の民俗学が研究領域なので、日本の祭りについてお話をします。基本的に祭りの機能というのは、共同体がもっている切実な願い(繁栄や防災)を、神仏に叶えてもらうことにあります。「祭り(まつり)」という言葉の語源も、神の魂を鎮める「祀る(まつる)」からきています。日本の場合は農耕あるいは漁労でなにかしらの生産物を得てきました。そこで、稲の実りが良くなるように、豊漁になるようにと神仏に祈願するということがまずひとつの祭りの機能です。ほかにも、雨が降らないと農作物が育たないため、雨乞いも祭りとして広範囲で行われています。また、人口が密集してくると病気が流行りますから、疫病を避けるための祭りというのもかなりありますね。
一方で、祭りには別の機能もおそらくあっただろうと思います。祭りには子どもからお年寄りまで、村の構成員たちが一同に集まります。そこにはコミュニティの紐帯を持続強化させる機能があり、さらに言えば子どもがどれくらい成長したか、お年寄りがどれくらい衰えてきたかなどを確認するという機能があったのではないでしょうか。災害が起こった時などのために把握しておく必要がありますから。
――そういった祭りの機能は、現代においてどのように変容していますか?
本来の機能的な意味を見失ってきているように思います。たとえば京都の夏の風物詩、八坂神社の祭礼である「祇園祭」はもともと、疫病が蔓延しないように祇園社の牛頭天王(ごずてんのう)に祈願したことに始まります。それもいつからか、町ごとに山や鉾の装いを凝らすようになってきました。隣町の祭りを意識して、組ごとに風流や贅を競うようになり、どんどん豪華絢爛に変容した。それは華やかであればあるほど神様も惹きつけられる、願望が叶うだろう、という民衆の思いもあったと思います。そうした工夫が結果的に多くの観光客を呼び寄せる祭りとなり現代にも続いています。しかし、本来の目的や意味を意識した祭りの担い手や観客は少なくなってきているのではないでしょうか(ただ、新型コロナウイルスの影響で本来の目的を再認識する動きもあるように感じます)。
また、稲作のためのお祭りであっても、地域のコミュニティが高齢化してしまって継承者がいなかったり、実は祭りの担い手がもう農耕に関わっていないということもあります。そうするともともとは五穀豊穣を祈願する儀礼だったものが、その目的というものがなくなり、形式としての祭りだけが残っているというケース(それは祭りといえるのかという疑問もありますが)もかなりあります。
祭りとアートの共通点は「ハレとケ」
2016年に開催された芸術祭「KENPOKU ART 茨城県北芸術祭」で展示された飴屋法水さんの作品「何処からの手紙」。鑑賞者は芸術祭のエリアに設置された舞台を回っていく。写真は物語のなかのひとつ「薄くなった神様」の舞台の様子。様々な芸術祭を回ってきた畑中さんがお気に入りにあげる展示の一つだ。撮影/畑中章宏
――ではここからはアートの話もお伺いしたいと思います。「大地の芸術祭」「瀬戸内国際芸術祭」など今年も多くの地域芸術祭が開催されていますが、畑中さんはそもそも地域芸術祭をどのように捉えていますか。
開催される場所の歴史、土地の記憶を素材にしたもの、過去の祭りや儀礼を受け継いだような作品も多く見受けられますよね。地域芸術祭の大きな意味は、普段は観光資源がないところにアーティストに来てもらい、観光客を呼び寄せてもらうこと。そこの地域の歴史や民俗を踏まえる必要があるかどうかは、ひとつの議論でもあると思っています。というのも、僕は、地域芸術祭すべてに満足しているかというとそうではなく、表層的に地域の地域の文化や民俗をつかまえただけで、ちょっとアートに生かしたという程度の作品も少なからずあると思っているからです。地域の歴史を踏まえてやるからには、綿密なリサーチやそれに対するアプローチの仕方が、ほかの人がやっていないやり方をしないことには、オリジナルの美術作品としても強度のあるものにはならないのではないでしょうか。
――たとえば「祭り」の中でもさきほど例にあがった祇園祭は、直接関わりのない見物客が加わった「祭礼」の括りに入るものですが、鑑賞の対象としての「祭礼」と「芸術祭」に共通点はあると思いますか?
地域芸術祭は、ある種のフェスティバルですよね。ある期間を区切って、そこに人々が集まり合う。似ているとすると、あるイベントを行うことによって、不特定多数の人がその土地に足を運んでその土地を見ていく、そこの風土を体験していくという意味では地域芸術祭は祭礼に近いともいえると思います。
ただ、アートと祭りというのを直接的に結びつける場合に、アートといってもさまざまな種類がありすぎる。たとえばインスタレーションのような、その場所に行ってみなければ体験できないようなものに関しては、時間と空間を共有するという意味でアートと祭りは非常に近しいように思います。特に恒久的な作品ではなく、その時期のみに展示されているもの(そこにもちろん意味があるわけですが)は、見る人にその場を体験してもらうという形で日常から非日常をつくりだしている部分で共通しています。それに、そこまで足を運ぶという行為そのものから祭りが始まっているともいえます。
――「祭り」と「アート」の共通点は、非日常との接触ということでもあるのでしょうか?
はい、日本人のお祭りに対する思いを理解する上で重要なのが、民俗学の概念でいう「ハレとケ」。「ハレ」とは「非日常」、「ケ」は「日常」。私たちは日々、地味で淡々とした切実な営みを送っているわけですが、祭りのときにコミュニティで一気に集まり、全員で力を合わせて非日常空間をつくりだす。祭りは「ハレ」であり、華やかに執り行うことで「ケ」をリセットする意味があります。芸術祭もインスタレーションも「ハレ」の場面ですよね。アーティストや主催者は、よりほかにはない「ハレ」を生み出す必要は当然でてくるだろうし、地域芸術祭が増えれば増えるほど、そこを意識しないとどんどん価値がなくなっていくと思います。
――祭りから連想されるインスタレーションアーティストで思い浮かぶ方はいらっしゃいますか?
インスタレーションを誰が日本で定着させたかというと、内藤礼さんではないかと僕は思っています。彼女がやっていることは、彼女自身「祝福」という言い方もしているけれど、その作品は非常に祭りらしい。アーティストがつくった空間は、どんな場所だとしても彼女がつくりあげた時空間を創出している。そこに入っていくことによって、なにか別の非日常を体験するということでは、ある種の祭りではあると思います。
――豊島美術館に内藤礼さんの「母型」(*1)を見に行ったことがありますが、たしかに美術館に一歩踏み入れるだけで非日常感がありました。
豊島美術館の作品はある意味で恒久的な祭りですよね。内藤さんには珍しい常設の空間だけれども、行く日行く時間によってまったくその姿かたちが変わるし、同じものを見る人は誰一人としておらず、体験が常に変わってくる。それはおそらく内藤さんも建築家の西沢立衛さんも想定していること。そういう意味では、非日常の空間をつくりだす美術作品としてかなりクオリティが高いものだなと思います。
*1……豊島美術館に展示されている唯一の作品がアーティスト・内藤礼さんの「母系」。アーチ構造で柱が一つもない空間の床に無数に開けられた穴から水滴が湧き上がり、その水は天候など自然状態に左右されながら動いていく。行くたびに表情を変えるインスタレーションを鑑賞することが出来る。
まれびととアーティスト
先程の写真と同じく飴屋法水さんの作品「何処からの手紙」。写真は久慈川にある舞台「自分を枯らす木」。この作品にも祭りの要素を感じたと畑中さんは語る。撮影/畑中章宏
――昨今、畑中さんが見た芸術祭やアートイベントで祭りや儀礼を連想し、印象に残った企画があれば教えていただけますか?
2016年の「KENPOKU ART 茨城県北芸術祭」はおもしろかったです。東北ではないという理由で、東日本大震災での被害があまり知られない茨城県北。人々のイメージが乏しい土地ですが、そこの民衆の営みや歴史などもしっかり踏まえられていたものでした。とりわけ飴屋法水さんの作品「何処からの手紙」はすばらしかったです。まず飴屋さんが指定した茨城県内にある4つの郵便局にハガキを出すことから作品へのアプローチが始まります。郵便局からの受け取った返信には、掌編小説を思わせるような物語が書かれたテキスト、鉄道駅から目的地までの地図、作品にアクセスするための交通手段、目的地とその周辺らしき場所の写真を印刷した絵葉書が入っている。それをもとにこの地を実際にめぐることで、観客が物語の中へと入っていくという作品。きっと制作に至るまでのプロセスは、民俗学や人類学のフィールドワークの手法に似たものを行っていると思います。実際に体験することで、茨城県北で、「神」や「災害」といった民俗学の重要なテーマに引き寄せられました。これはまさにまれびとの所業。その土地との結びつきや、土地の人がどういう人で、どういうことを考えているかということをかなり濃密に体験させるという意味で、あの作品は抜きん出ていたし、「KENPOKU ART」自体が地域芸術祭としかなりよくできているものだと思いました。
荒神明香(アーティスト )、南川憲二(ディレクター )、増井宏文(インストーラー )を中心とする現代アートチーム・目[mé]]が宮城県 石巻市街地、牡鹿半島で開催した芸術祭で発表した作品。目[mé]/《repetition window》/2017年/Reborn-Art Festival 2017
また、2017年の「Reborn-Art Festival」では、アートチーム・目[mé]の作品「repetition window」もおもしろかった。鑑賞者が石巻の民家の勝手口に入っていくと、家屋の縁側のような部屋に出る。するとその空間がそのまま移動を始め、道路に出て、被災地石巻の様々な場所を巡るというもの。あれは津波で家ごと流されるという悲惨なイメージも再現されていて、追体験としてはかなりきわどいものではあるけれど、パフォーマンスとしても体験としても、非日常の再演という意味では「祭り」をやっていると思いました。復興途中の被災地を作品を通して見ていくわけですが、同時に縁側のような部屋が町の中を動いている様子を、外にいる人が見ている。鑑賞者も窓枠に収まる作品として外から眺め返される状況をつくっていたのもすごかった。震災ということのもっている非日常と、アートという非日常、そして芸術祭として祭りに参加すること、その3つの要素を兼ね揃えた作品でした。
「repetition window」の中から覗く、2017年の石巻の景色。震災から数年経ってもまだまだ復興途中の町並みがつづく。撮影/畑中章宏
――飴屋法水さんや目[mé]はまさに、その土地に光をもたらす、外部からの来訪者だったわけですね。最後に「まれびと」とアーティストの共通点についても伺いたいです。
まれびとというのはそこにある種の異和をもたらして、静かに眠っている地域を活性化させる存在。だからアーティストが滞在し、コミュニティに入ってその歴史を紐解いたり、それをもとにして作品にする際は、その土地からもらうだけではなく、なにか新しいものをもたらさなくてはいけない。予定調和な作品ではだめなんです。アーティストのまれびとたるゆえんというのは、やはり強烈な異和をもたらす存在だからだと思います。
DOORS
畑中 章宏
民俗学者/編集者
1962年、大阪生まれ。近畿大学法学部卒業。主な著書に『21世紀の民俗学』(KADOKAWA)、『死者の民主主義』(トランスビュー)、『天災と日本人』『廃仏毀釈』(ちくま新書)、『五輪と万博』『医療民俗学序説』(春秋社)、『忘れられた日本憲法』 (亜紀書房)など多数。また、編集者として2022年に東京現代美術館で開催された第2回「Tokyo Contemporary Art Award」受賞記念展の藤井光の作品集の編集を担当した。
volume 03
祭り、ふたたび
古代より、世界のあらゆる場所で行われてきた「祭り」。
豊穣の感謝や祈り、慰霊のための儀式。現代における芸術祭、演劇祭、音楽や食のフェスティバル、地域の伝統的な祭り。時代にあわせて形を変えながらも、人々が集い、歌い、踊り、着飾り、日常と非日常の境界を行き来する行為を連綿と続けてきた歴史の先に、私たちは今存在しています。
そんな祭りという存在には、人間の根源的な欲望を解放する力や、生きる上での困難を乗り越えてきた人々の願いや逞しさが含まれているとも言えるのかもしれません。
感染症のパンデミック以降、ふたたび祭りが戻ってくる兆しが見えはじめた2022年の夏。祭りとは一体なにか、アートの視点から紐解いてみたいと思います。
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