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SERIES
2023.07.14
ゲルハルト・リヒター /「現代アートきほんのき」Vol.3
Illust / Shigeo Okada
Edit / Mami Hidaka
世界で高騰が続き、億単位で取引されることもある現代アート。驚きの数字に興味を惹かれながらも、ときには「なぜ億もの高値がつくのか?」「作品の魅力がわからない・・・」と首を傾げてしまうこともあるのではないでしょうか。
連載「現代アートきほんのき」は、現代アートの代名詞的存在にもなっているアーティストや作品について、今一度評価の背景を繙いていくシリーズ。現代アートの巨匠とも呼ばれるアーティストを各回一人ずつフィーチャーし、なぜその作品が高く評価されているのか、美術史的観点と人々の心を惹きつける同時代性の観点の2軸からわかりやすくご説明します。
第3回は、様々な素材や表現方法を用いて、具象と抽象を行き来するような独自表現を展開してきた現代アートの巨匠、ゲルハルト・リヒターについて。文化研究者の山本浩貴さんとともにお届けします。
岡本太郎 / 「現代アートきほんのき」Vol.2 はこちら!
ポーラ美術館が約30億円で落札!
世界を魅了するリヒター作品の魅力とは?
2020年に香港で開催されたオークションで、ゲルハルト・リヒターによる1987年の絵画《Abstraktes Bild (649-2) 》が約30億円で落札されました。アジアでのオークションでは、欧米の作家による作品として当時の過去最高額を記録。落札者が箱根のポーラ美術館だったこともあり、日本でも話題をさらいました。
ゲルハルト・リヒター《抽象絵画(649-2)》1987年 ポーラ美術館 © Gerhard Richter 2023 (0154)
参照:https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000098.000026617.html
また、2012年にロンドンで開催されたオークションでは、リヒターの別の作品(《Abstraktes Bild (809-4) 》)が約27億円で落札されています。これも、当時存命作家の作品として史上最高額の落札価格でした。当然ながら作品の市場価値がアーティストの重要性を測る唯一の基準ではありませんが、これらの事実は、彼がアートワールドでもっとも重要なプレイヤーのひとりと認識されていることを示しています。
第3回は、そんなリヒターの作品の価値と魅力について、美術史と時代性の観点から繙いていきます。
ポロックやウォーホルら、既成概念を
問い直した美術家たちに影響を受ける
ゲルハルト・リヒター
1932年ドイツ・ドレスデン生まれ。冷戦の象徴であるベルリンの壁が建設される直前の1961年にデュッセルドルフ(西ドイツ)に移住した。1959年に西ドイツのカッセルで開催された国際芸術祭「ドクメンタ」を訪れた際に、床に置いたキャンバスに絵具缶から直接絵具を滴らせて描くジャクソン・ポロックや、キャンバスをナイフで切り裂いたルチオ・フォンタナらの作品に衝撃を覚え、その衝撃は西ドイツに居を移す理由のひとつにもなったという。特にポロックの絵画に代表される抽象表現主義や、アンディー・ウォーホルが牽引していたポップ・アートなど、当時のアメリカ美術から受けた影響は大きいと本人は回想する
ゲルハルト・リヒター《Abstraktes Bild (809-4) 》(1994)© Gerhard Richter 2023 (0154)
冒頭で紹介したふたつの作品のタイトルとなっているドイツ語の「Abstraktes Bild」は、英語では「Abstract Painting」、日本語では「抽象絵画」を意味します。シンプルかつストレートなタイトルがつけられたこのシリーズは、リヒターが1970年代後半以降今日まで展開してきた代表的な作品の一つです。
リヒターはこのシリーズを通じて、半世紀近くに及ぶ試行錯誤の過程で形式や色彩のレパートリーを増やし、描き方を変化させながら絵画における抽象表現の可能性を探究しつづけています。
「モネからリヒターへ ― 新収蔵作品を中心に」展示風景 Photo: Ken KATO
参照:https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000101.000026617.html
ポーラ美術館に収蔵されることになった《Abstraktes Bild (649-2) 》は、2022年に同館の開館20周年記念展として開催された「モネからリヒターへ ― 新収蔵作品を中心に」において、クロード・モネら古今東西の芸術家たちの作品と一緒に見ることができました。
生誕90年、画業60年を迎えた2022年。
アートのみならず思想領域からも改めて注目
90歳を超えてもなお精力的に制作活動を継続し、今も世界中の美術館やギャラリーで作品を発表し続けているリヒター。
2005年には、K20ノルトライン=ヴェストファーレン州立美術館(デュッセルドルフ)とミュンヘン市立レンバッハハウス美術館で開催された大規模な回顧展が、日本の金沢21世紀美術館と川村記念美術館にも巡回しました。
しかし意外にも、東京の美術館での個展は、2022年に東京国立近代美術館で開催されたときが初めて。東京国立近代美術館での個展に合わせて『美術手帖』のほか、文学から批評までを広くカバーする総合誌の『ユリイカ』が、リヒター特集を企画したことは、アート界にとどまらず、日本の文化・思想領域全般の人々からのリヒターへの関心の高さを浮き彫りにしています。
油彩画、写真、デジタルプリント、ガラス、鏡など多岐にわたる素材を用いるリヒターの芸術実践は、非常に多様で、現代アートの専門家や愛好家だけではなく、一般の鑑賞者も魅了するものです。
東京国立近代美術館での個展でも、大型から小型のものまで様々な絵画が展示されました。またリヒターは、描画のスタイルにおいても抽象から具象、色彩においてもモノトーンからカラフルまで豊かなバリエーションが見られます。
さらに写真の上に油彩を重ねた作品群やガラスを用いた立体作品(2012年の《8枚のガラス》)、特筆すべきものとしては初期の映像作品(1966年の《フィルム:フォルカー・ブラトケ》)まで約120点が、東京で一堂に会しました。
#リヒター展 では一部を除いてほぼ撮影可能となっております。こちらは《8枚のガラス》からの《4900の色彩》です。置かれた場所、観る角度などその時々によって映す出されるイメージを、リヒターはガラスや鏡の反射率、大きさなどで検討し続けています。#ゲルハルトリヒター #東京国立近代美術館 pic.twitter.com/spgR99aigf
— ゲルハルト・リヒター展 (@grichter2022_23) August 28, 2022
ドレスデン爆撃、ホロコースト、9.11 ...
残虐な所業を描くことは可能か
リヒターは、ドレスデン爆撃やアウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所の残虐な実態、西ドイツの極左過激派「バーダー・マインホフ」による数々のテロ事件、そして9.11といった歴史に残る悲痛な出来事を明示的・暗示的に作品の中で扱い、高い評価を獲得しています。
リヒターの芸術実践をすべて政治性に還元することはできませんが、こういったリヒターの作品や活動は、多くの研究者や著述家の論述の対象となり、学術や批評の分野でも熱心に論じられてきました。
日本語で読めるものだけでも、リヒターに関する数々の文献を挙げることができます。例えば、ディートマー・エルガー『評伝 ゲルハルト・リヒター』(清水穣訳、美術出版社、2017)や、杉田敦『リヒター、グールド、ベルンハルト』(みすず書房、1998)、『増補版 ゲルハルト・リヒター写真論/絵画論』(淡交社、2005)、林寿美『現代美術スタディーズ ゲルハルト・リヒター 絵画の未来へ』(水声社、2022)、などがおすすめです。
2011年公開のコリンナ・ベルツ監督による『ゲルハルト・リヒター ペインティング』など、リヒターへの取材をもとに制作された映像、あるいはリヒターを題材にした映像も数多く発表されています。
美術史的な位置付けとしては、リヒターは、しばしば荒々しくエネルギーに溢れた絵画を特徴とする80年代の「ニュー・ペインティング」や「新表現主義」といった潮流との関連で論じられることがあります。これらは1970年代後半から80年代半ばにかけて、欧米を中心として世界的に目立つようになっていった芸術の動向です。
リヒター自身は、けっして表現主義的な絵画だけを制作していたわけではありませんが、70年代にアートシーンを席巻したミニマリズムやコンセプチュアル・アートなどの洗練された知的な作品に対する世界的な「絵画回帰」の中で知られるようになっていきました。
ゲルハルト・リヒターが評価されたワケ ー3つのポイントー
- 油彩画、写真、デジタルプリント、ガラス、鏡など多岐にわたる素材を用いて、具象や抽象を行き来するような独自表現を模索し続けている
- ドレスデン爆撃やホロコースト、9.11など、歴史的悲劇に言及するような政治性を含む作品制作も試みてきた
- 80年代の「ニュー・ペインティング」や「新表現主義」といった潮流の中でと一線を画して存在感を発揮した
リヒターの芸術実践の驚くべき多彩さ。
彼と似たエネルギーを感じる日本のペインターとは?
ペインターに限らず、現代を生きるアーティストの中で「リヒターの活動に一切の興味がない」という人物を探すことは逆に困難と言えるでしょう。それほどに、リヒターは現代アートのグローバルな領域のなかで大きな影響力を有しています(それを本人が望んでいるのかはさておき)。
そのようなわけで、「(リヒターから)影響を受けたアーティスト」とは少し外れて、リヒターと関連させて語ることのできる日本のアーティストとして、1955年生まれの美術家・大竹伸朗を紹介します。
大竹は、日本の美術大学を休学して二十代でロンドンに渡り、同地でサウンド・パフォーマンスへの参加や、画家であるデイヴィッド・ホックニーとの交流などを通して、グローバルで多種多様なアート・ワールドに触れました。
大竹が、自身のシグネチャーである大量の素材から構成された分厚いコラージュ・ブックの制作を開始したのもこの時期のことです。ありとあらゆる印刷物や廃棄物を貼り込み、インクや絵具が塗り重ねられたスクラップブック──皆さんもどこかで一度は観たことがあるのではないしょうか?
また大竹もリヒター同様、その芸術実践の驚くべき多彩さと多産さで知られています。
先述した「ニュー・ペインティング」の興隆と同時期に、日本でも「絵画回帰」と称される現象が目立つようになる中で、大竹が描くのびやかで力強いエネルギーに溢れた絵画も、横尾忠則や辰野登恵子、宇佐美圭司、日比野克彦らの作品と並んで「絵画回帰」の動きの一翼を担う例としてしばしば言及されてきました。
80年代初頭から今日まで、絵画から版画、素描、彫刻、さらにはインスタレーション、パブリック・アートなど、猛烈な創作意欲でありとあらゆる表現を手がけてきた大竹伸朗。リヒターの次に東京国立近代美術館で個展を開催したのが彼であったことも、不思議な縁を感じさせます。
GUEST
山本浩貴
文化研究者、アーティスト
1986年千葉県生まれ。一橋大学社会学部卒業後、ロンドン芸術大学チェルシー・カレッジ・オブ・アーツにて修士号・博士号取得。2013~18年、ロンドン芸術大学トランスナショナル・アート研究センター博士研究員。韓国のアジア・カルチャーセンター研究員、香港理工大学ポストドクトラル・フェロー、東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科助教を経て、21年より金沢美術工芸大学美術工芸学部美術科芸術学専攻・講師。著書に『現代美術史 欧米、日本、トランスナショナル』(中央公論新社 、2019年)、『ポスト人新世の芸術』(美術出版社、2022年)。
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