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ESSAY

2025.08.27

現代アーティストのこの1作〈映画編〉 / 岸裕真、松川朋奈、みょうじなまえ、荒木悠

Edit & Text / Eisuke Onda
Illustration / Natsuki Someoka

映画は時に、誰かの人生を変えてしまう。
日常の風景を塗り替え、固定観念を揺さぶるほどの力を持っている。

現代アーティストたちに「この1作」を選んでもらい、その思いを綴ってもらった。
彼らの思い出の作品には、どんな物語が刻まれているのだろうか。

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【前編】日常を侵食する「ホラー」に取り憑かれて / 連載「作家のB面」Vol.14 岸裕真

  • #連載
  • 岸裕真 選 / 『A.I.』(2001年)
  • 松川朋奈 選 / 『ノマドランド』(2020年)
  • みょうじなまえ 選 / 『ぼくのバラ色の人生』(1998年)
  • 荒木悠 選 / 『マルコヴィッチの穴』(1999年)

岸裕真さんが選ぶ1作
『A.I.』(2001)

“愛すること”をインプットされ、人間に限りなく近づいた少年型ロボットのデイヴィッドが、人間の愛を求めて旅をする物語。主人公を演じるのは『シックス・センス』(1999)でも才能を発揮していた当時の天才子役ハーレイ・ジョエル・オスメン/2001年/監督・脚本:スティーブン・スピルバーグ/原案:スタンリー・キューブリック/出演:ハーレイ・ジョエル・オスメント、ジュード・ロウ、フランシス・オコナー 他

不思議と記憶に残っているラストシーン

幼い頃、映画といえばスピルバーグだった。『インディー・ジョーンズ』、『ジュラシック・パーク』、『E.T.』、『ジョーズ』、『未知との遭遇』……。親の車で20分かけて行く近所のビデオショップでは、白人の温厚そうなメガネの老人の写真といっしょに「謎の遺跡を大冒険!」「恐竜復活!」「宇宙人は友達!」といった数々の子ども心をくすぐるポップが出ていた。さほど田舎でもない(田舎だったのか?)が都会でもない、特になにも起こらない地方都市で、スピルバーグはいつもワクワクする非日常を画面越しに見せてくれた。

そんなスピルバーグの手がけた映画の中で、ぜんぜん好きじゃなかったのが『A.I.』だった。暗いし、なんか怖い。他のスピルバーグ作品は爽快な冒険活劇なのに、この作品だけじめっとして嫌だ。ラストも悲しい。『インディー・ジョーンズ』や『ジュラシック・パーク』は親も大好きで何十回も観たのに、『A.I.』は多分せいぜい三回くらいしか観ていない。

しかし『A.I.』の終盤で、幼心に強い印象を残しているシーンがある。主人公の少年ロボット(ディビッド)は、息子として迎え入れられたはずの家族に捨てられ(悲しすぎる!)、長い長い眠りにつく。ディビッドが目覚めると人類はとっくに滅亡していて、進化した未来のロボットたちがディビッドのことを見つめている、というシーンだ。

当時ディビッドと同い年ぐらいだった僕は、遠い未来に人間がいなくなって、半透明のスラリとしたロボットたちに囲まれた自分を想像した。それは不思議なことに寂しいものではなかったから、今でも記憶に残っているのかもしれない。スピルバーグ映画はいわゆる王道の展開が多かったから、人間が絶滅すればそれは悲しい気持ちになりそうなのだが、そのシーンはなぜかとても心地の良いもののように感じた。

後になって知ったことだが、この映画は元々は巨匠スタンリー・キューブリックが温めていたアイデアを彼の死後、親しかったスピルバーグが引き継ぎ、なるべく原案を尊重するかたちで映画化したらしい。

大人になって僕はキューブリックの映画に影響を受けて展示会をつくるが、その最初の出会いは『A.I.』の中にあったのだった。人間がいなくてもいい世界で未来の住民に出会う経験に、今でもずっと憧れているような気がする。

(文・岸裕真)

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岸裕真
AI を「Alien Intelligence(エイリアンの知性)」と捉え直し、⼈間とAIによる創発的な関係「エイリアン的主体」を掲げて、⾃ら開発したAIと協働して絵画、彫刻、インスタレーションの制作を⾏う。2025年に開催した『Oracle Womb』では、「神託(オラクル)」をテーマに、岸が開発した新たなAIモデルや映像インスタレーション、そして大型絵画作品が展示された。この展覧会では「スターチャイルド」が登場した。

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《Organs》 2025年 √K Contemporary Ⓒ Yunosuke Nakayama

松川朋奈さんが選ぶ1作
『ノマドランド』(2020)

リーマン・ショック後のアメリカで、仕事も住居も失った中年女性がキャンピングカーで移動しながら季節労働をして暮らす現代の「ノマド(遊牧民)」を描く。ノンフィクション『ノマド 漂流する高齢労働者たち』を原作に、後に『エターナルズ』を監督したクロエ・ジャオが制作。アカデミー賞作品賞・監督賞・主演女優賞を受賞。/2020年/監督・脚本・編集:クロエ・ジャオ/出演:フランシス・マクドーマンド、デヴィッド・ストラザーン 他

絶望の先にかすかな光

私が心を動かされた映画の一つに、2020年公開のクロエ・ジャオ監督作品『ノマドランド』がある。リーマンショック後に仕事と家を失った60代の女性であるファーンが、季節労働を求めてキャンピングカーでアメリカ西部を放浪する姿を描いた物語だ。亡き夫と長い時間を過ごした町を離れ、ファーンは「自分がどこに属するべきか分からない」という深い孤独と向き合っていく。旅の中で出会うのは、痛みや喪失を抱えたノマドたちだ。社会の枠組みになじめず、働いては別れ、そしてまた移動する。 特定の場所に根を張ることが当然とされる世界に違和感を抱きながらも、それを言葉にする術を持たない人々。その静かで切実な生き方が、じわりと胸に迫ってくる。

この映画を観ながら、私は1985年に公開されたアニエス・ヴァルダ監督の『冬の旅』を思い出した。 こちらも、社会からこぼれ落ちるようにして放浪する女性モナを描いた作品である。モナが出会う男性たちは冷淡で、時に侮蔑を含んだ視線を向ける。一方、道すがら出会う女性たちは、モナに優しさを注ぎながら、「あなたのように自由に生きてみたい」と漏らす。しかしその自由は決して祝福されたものではなく、 最終的にモナは命を落とし、物語は悲しく淡々と幕を閉じる。

『ノマドランド』もまた、社会の中心からはみ出した女性の物語だ。 しかしこの映画には、絶望の先にかすかな光を見出そうとする、柔らかな眼差しがある。漂流し続ける女性が否定や悲劇の対象としてではなく、そのままの姿で丁寧に描かれている。たとえ傷を抱えていても、社会にうまくなじめなくても、「それでも生きていていい」と語りかけるような眼差しが感じられるのだ。

『冬の旅』から『ノマドランド』までの35年という歳月の中で、時代の眼差しが確かに変わってきたのだと、私は感じた。そして何より、そんな柔らかな視線が映画として世界に届けられたことが、私にはとても嬉しかったのだ。

映画の最後に、ファーンは亡き夫と過ごした家を訪れたあと、振り返らずに歩き出す。その背中には、長い記憶にそっと、ほんの少しだけ区切りをつけるような、静かな決意が見えていた。

(文・松川朋奈)

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松川朋奈
写実的でどこか劇的な印象を与える絵画作品を制作。その作品群は同世代の女性たちへのインタビューの中で印象に残ったフレーズをモチーフ及びタイトルとしており、彼女らとの対話を通して生まれてきている。そのフラットで滑らかな表面上には、対話から導きだされた日常的な情景の一部がハイライトを当てるように再構成され、生活の中に見られる脆弱性を別の価値観へと転換する試みがされている。

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《She Loves The Way They Love Her》2024/ Oil on canvas/80 x 63cm

みょうじなまえさんが選ぶ1作
『ぼくのバラ色の人生』(1998)

「自分は女の子になりたい」と願う7歳の少年リュドヴィックが、家族や社会に波紋を広げていく。子どもの無垢な自己表現と、それに対する周囲の困惑と葛藤を繊細に描いたフランス映画。トランスジェンダーやジェンダー規範をテーマにした先駆的作品としても知られる。 /1997年/監督・脚本:アラン・ベルリネール/出演:ジョルジュ・デュフェスル、ミシェル・ラロック、ジャン=フィリップ・エコフェ、エルヴェ・ピエール 他

多様な性のあり方を教えてくれた映画

今からもう20年ほど前の話になる。入学して2ヶ月ほどで、私は中学校へ行くのをやめた。

同級生たちが談笑している話題になに一つ興味を持てなかったし、毎日女子生徒用の制服に袖を通すことにも、どこか違和感を感じていたから。まるで自分だけが地球に漂着した異星人のようだと、いつもそんなふうに感じていた。

皆が学業に勤しんでいる間、家で茫漠とした時間を持て余していた私は、近所のレンタルビデオ店で手当たり次第にVHSやDVDを借りては、四六時中、映画を観て過ごしていた。考古学者やヒーロー、ファッションデザイナーにロックスター――画面の向こうでは、私は何にだってなれたし、何だってできた。およそ健康的とは言いがたい子ども時代だったけれど、私にとっては今でも宝石箱のように大切な時間だ。そんな中、夢の終わりを告げる映画に、ふいに出会ってしまった。

『ぼくのバラ色の人生』というその映画は、1997年に制作されたフランス映画で、女の子になりたい少年・リュドと、その家族とのドラマが描かれている。劇中では、リュドの性自認をきっかけに、周囲の無理解からさまざまな困難や苦しみがリュドやその家族たちに降りかかる。

この映画を初めて観た当時の私は、世の中には多様な性のあり方が存在することをまったく知らずにいた。けれど映画を観終えたとき、それまで曖昧で輪郭を持たなかった自分の「生きづらさ」が、その肉体の檻が、強い共感と共に、はっきりと眼前に立ち現れるのを感じた。呪いと祝福は、あるところでは裏表一体なのかもしれない。

物語の終盤、女性として在りたいという願望を矯正するために、母親に髪を短く刈り上げられたリュドが静かに涙を流すシーンは、とても切なく、胸が締めつけられる。あれから時は流れ、子どもだった私はあっという間に大人になってしまったけれど、この社会は、当時よりもマイノリティたちが自分を押し殺さずに生きられる世の中になってきているのだろうか。

そうであってほしいと、心から願う。かつて小さな男の子だった私や、リュドのような子どもたちが、夢を抱いたまま何にでもなれる世界であるようにと。

(文・みょうじなまえ)

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みょうじなまえ
自身のこれまでの体験を契機に、人間のアイデンティティや、その消費をめぐる問題などの作品テーマを扱っている。近年では特に、テキストを用いて「物語」や「ナラティブ」の持つ潜在的可能性に着目した制作活動を行う。映像インスタレーション《Alter Dominant》では30年後の未来の女性の身体と出産をテーマに明るく、どこか不穏な産婦人科の待合室を制作した。

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《Alter Dominant》2025/ミクストメディア/サイズ可変/Photo by Kenji Agata

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【前編】ターミナルから見つめる、束の間の人生 / 連載「作家のB面」Vol.19 荒木悠

  • #荒木悠 #連載

荒木悠さんが選ぶ1作
『マルコヴィッチの穴』(1999)

実在の俳優ジョン・マルコヴィッチの“頭の中”に入れる穴をめぐる奇想天外な物語。The Pharcyde「Drop」、Björk「It's Oh So Quiet」、Fatboy Slim「Weapon of Choice」などのMVを手がける映像作家・スパイク・ジョーンズの映画デビュー作でもある。/1999年/監督:スパイク・ジョーンズ/脚本:チャーリー・カウフマン/出演:ジョン・キューザック、キャメロン・ディアス、キャサリン・キーナー、ジョン・マルコヴィッチ 他

映画の外側を意識させてくれた映画

学生時代、初めて観た瞬間に衝撃を受け、それ以来、自分の一部として取り込んでしまった『マルコヴィッチの穴』。当時、MTVを観まくり、Palm Picturesの「Directors Label」シリーズを教科書がわりにしていた私にとって、映画学校を出ていないスパイク・ジョーンズは、ひときわ眩しく、憧れの存在だった。スパイクとチャーリー・カウフマン、両者にとっての長編デビュー作であるこの作品には、何か特別な質ーーアウラ、もしくは気魄のようなものが宿っているように感じられる。

有名な作品なのであらすじには触れないが、この映画には「囚」という象形文字がしっくりくる。とりわけその印象を引き出しているのが、要所要所で効果的に挿入される主観映像だ。この手法は一般的に、“一人称視点のテイ”を装っていても、どうしてもギミックの域を出にくい。というのも、映画を観ている私たちの身体は、劇場であれ端末越しであれ、常に映像の「外側」にある。当然ながら、画面の中の世界に物理的に入り込むことはできない。この“絶対的な隔たり”は、映画を観るという行為そのものの、いわば“お約束”でもある。

しかし本作では、「ただ眺めることしかできない」という視覚の限界が、「他者の頭の中に入りたい」という登場人物たちの欲望と見事に重なり、物語の構造に巧みに組み込まれている。劇中に登場する「穴」を通じて、観客である私たち自身が囚われている視覚的・空間的な隔たりが、入れ子状に意識化されていく。エルンスト・マッハの《左目から見た自画像》を思わせるような、あの漫画っぽい主観映像のボヤけた縁の表象こそが、この作品のキモであるように思う。映画が完結するのは画面の内側だけではなく、むしろその外側ーーつまり「映画を観ている私」の状況そのものをメディウムとする、そんな可能性に気づかせてくれた。

制作初期、「自己とカメラの関係性」をテーマにしていた私は、胃カメラを飲んだり、小型カメラを口に入れるなどして、自分の内側から外の世界を捉えようとしていた。あの衝動の原風景は、紛れもなく『マルコヴィッチの穴』に繋がっている。

(文・荒木悠)

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荒木悠
日本とアメリカを行き来しながら育ち、各地のさまざまな言語・文化間で起こる誤訳や誤解、オリジナルと複製の関係、それらが表出させる権力構造について、ドキュメンタリー、アニメーションなどの映画や映像作品を制作。アメリカの大学から日本の大学院へ進学した頃に制作した《Deep Search》では、白人男性の人形を荒木さん自らが飲み込み、胃カメラでその様子を抑えた。

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《Deep Search (digested version)》、2009年、映像スチル ©Yu Araki, courtesy of the artist and MUJIN-TO Production

ARTIST

岸裕真

アーティスト

1993年⽣まれ。慶應義塾⼤学理⼯学部電気電⼦⼯学科卒業。東京⼤学⼤学 院⼯学系研究科(電気系⼯学専攻)修了。東京藝術⼤学⼤学院美術研究科(先端芸術表現専 攻)修了。AI を「Alien Intelligence(エイリアンの知性)」と捉え直し、⼈間とAIによる創発的な関係「エイリアン的主体」を掲げて、⾃ら開発したAIと協働して絵画、彫刻、インスタレーションの制作を⾏う。2023年よりほぼすべての制作において、AIモデル「MaryGPT」 がキュレーションを担当。主な活動として、個展「Oracle Womb」(2025 / √K Contemporary)、 「The Frankenstein Papers」(2023 / DIESEL ART GALLERY)など。 その他執筆やアートワーク提供、映像演出等、さまざまなアーティストや企業とのコラボレー ションでも注⽬を集める。Photo By Natsume Tezuka

ARTIST

松川朋奈

アーティスト

1987年、愛知県生まれ。2011年 多摩美術大学絵画学科油画専攻卒業。 松川の特徴的な写実的でどこか劇的な印象を与える絵画は、同世代の女性たちへのインタビューの中で印象に残ったフレーズを作品のモチーフ及びタイトルとしており、彼女らとの対話を通して生まれてきている。初期作品からの日常生活に残された痕跡や仕草に表れる人間性や人間の内面への関心はそのままに、そのフラットで滑らかな表面上には、対話から導きだされた日常的な情景の一部がハイライトを当てるように再構成され、生活のなかに見られる脆弱性を別の価値観へと転換する試みがされている。作品はこれまで森美術館、大原美術館、京都国立近代美術館、愛知県美術館、そしてジャピゴッツィコレクション(スイス・アメリカ)に収蔵されている。2011年に、福沢一郎記念賞を受賞して以降、「六本木クロッシング2016展」「MAMコレクション011」に参加するなど、国内のアートシーンを担うアーティストとして知られる。近年は個展とグループ展をパリで成功させ、国外でも活躍の場を広げている。

ARTIST

みょうじなまえ

アーティスト

1987年生まれ、兵庫県出身。自身のこれまでの体験を契機に、人間のアイデンティティや、その消費をめぐる問題などの作品テーマを扱っており、近年では特に、テキストを用いて「物語」や「ナラティブ」の持つ潜在的可能性に着目した制作を行っている。 Photo by Wataru Hayashi

ARTIST

荒木悠

アーティスト・映画監督

1985年生まれ。2007年ワシントン大学サム・フォックス視覚芸術学部美術学科彫刻専攻卒業。2010年東京藝術大学大学院映像研究科メディア映像専攻修士課程修了。文化の伝播や異文化同士の出会い、またその過程で生じる誤訳や誤解の持つ可能性に強い関心を寄せている。特に、近年の映像インスタレーションでは、歴史上の出来事と空想との狭間に差異を見出し、再現・再演・再生といった表現手法で探究している。近年の主な展覧会と映画祭に、「双殻綱:幕間」(SCARTS、札幌、2025)、「BEFF7: Nowhere Somewhere」(One Bangkok Forum、タイ、2025)、「Engawa Film Programme」(CAMグルベンキアン・モダンアートセンター、リスボン、2024)、「LONELY PLANETS」(十和田市現代美術館、2023)、「Memory Palace in Ruins」(台湾現代文化実験場、台北、2023)、「恵比寿映像祭2023コミッション・プロジェクト」 (東京都写真美術館)、第31回マルセイユ国際映画祭(フランス、2021)、「Connections―海を越える憧れ、日本とフランスの150年」(ポーラ美術館、神奈川、2020 )、「 LE SOUVENIR DU JAPON ニッポンノミヤゲ」(資生堂ギャラリー、東京、2019)、第47回ロッテルダム国際映画祭(オランダ、2018)など。Photo by Kaho Okazaki

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