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2022.10.07

【後編】家族のかたちは変わり続けても良いんです / 連載「作家のB面」Vol.5 百瀬文

Text / Daisuke Watanuki
Photo / Ichiko Uemoto
Edit / Eisuke Onda

アーティストたちが作品制作において、影響を受けてきたものは? 作家たちのB面を掘り下げることで、さらに深く作品を理解し、愛することができるかもしれない。 連載「作家のB面」ではアーティストたちが指定したお気に入りの場所で、彼/彼女らが愛する人物や学問、エンターテイメントなどから、一つのテーマについて話してもらいます。

第五回目に登場するのは百瀬文さん。映像における複雑な構造を意識しながら鑑賞者にコミュニケーションとは何か、また近年では女性の身体とは何かを問うアーティストだ。また近年では自身の生活を綴ったエッセイを文芸誌『群像』で連載するなど幅広く活動を見せている。

そんな彼女が今回語るB面は「家族」について。前編では映像作家の斎藤玲児さん(写真左)と、写真家の金川晋吾さん(写真右)という二人のパートナーと暮らすご自宅に伺い、今の生活が始まった経緯を聞いてきました。そして後編ではこうして生まれた家族のかたちが今後どうなっていくのかを、作品の話を交えながら伺ってきました。

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【前編】女1人、男2人の私たちが「家族」となるまで / 連載「作家のB面」Vol.5 百瀬文

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3人いれば、いい雰囲気になる

ーー実際に斎藤さん、金川さんと3人で暮らし始めてからも、恋愛状態ではなかったり関係性は変化し続けてきたわけですね。

この変化がすごく大事だなと今でも思っています。たとえば恋愛感情も時間が経つにつれて変化していくもので、未来永劫同じままだと信じるとつらくなっていくものです。変わったら変わったときに、どういうかたちにしていったらいいのかということをその都度話し合って、更新していく必要があるのだと思います。だから今は未来の変幻自在性を担保にしながら、関係性の変化を楽しんでいます。

ーー今の3人の関係性にしっくりくる言葉はなにかありますか?

最近出会った概念で面白いなと思ったのは、「リレーションシップ・アナーキー」。アナーキーという言葉が指し示す通り、関係性における無政府主義のこと。つまり自分と誰かの関係性を他人や社会に支配させないとする考え方なんです。「恋人」や「夫婦」と言った名称を間柄を示す言葉として採用してしまうと、その関係性の目指すべき理想が勝手に設定されてしまう。そこで、国家に自分たちの関係性を名付けさせない。あくまで個々の「あなたとわたし」のそれぞれの関係性として認識しようという思想です。恋愛というもののなかで自分たちの関係性を規定に当てはめるよりも、私たち3人の関係性を模索し、築いているのが今の状態なので、この概念は参考になりそうだなと思いました。

ーー関係性を国家に規定されたくないというのは、まさにご両親の考え方(前編を参照)でもありますよね。3人での暮らしをしてみて、よかった気づきはありますか?

今ではこの3人だからこそこの暮らしがしたいんだな、3人だからこそこの暮らしができているんだな、と思えます。それに3人というのは案外理にかなっているんです。たとえば2人で喧嘩が起こった場合に、1対1だと逃げ場がないですが、そこにもう1人がいればそれを冷静に見て調停してくれるんですよね。問題を3人で解決するために話し合い、いい雰囲気になるように努めることができますから。まあ、いつも問題は私が起こしているので、玲児くんと金川さん同士は今まで一度も喧嘩したことはないんですけど……(笑)。

ーーパートナーというと二人一組になるときの相手をイメージしがちですが、斎藤さんと金川さんそれぞれに対する個別のパートナーシップとは別に、3人という関係性も重要だということが伝わってきました。

そうですね、個別にパートナーシップを育んだ「パートナーズ」ではあるのですが、どちらかというと今は「チーム」みたいなニュアンスの方がしっくりきます。現在私には新しい恋人と呼べる人ができて、恋愛関係はその人と育んでいます。ですからチームの2人について説明するときは一緒に共同生活をしている「家族」として紹介していて、今の恋人もそのことは受け入れてくれています。今度この家に招待してみんなでご飯を食べれたらと思っています。

ーーではもし恋人が一緒に暮らそうと提案してきたらどうしますか?

私は拠点がいっぱいあるのが好きなので、この家も維持したまま、その人と住む家もつくることができるのが1番いいと思っています。自宅や職場以外に行きつけの飲み屋などのサードプレイスを持たれている方も現に多くいると思いますが、自分が自分でいられる心地よい場所はいっぱいあったほうがいい。私の暮らしは、それをもうちょっとラディカルにやってるだけなのかもしれないです。

ーー今の家は、百瀬さんにとっては実家のような場所なんですね。

今はこうやって3人で暮らしていますけど、家族の輪郭はいろいろ変わっていくと思います。この家から出て全員バラバラに住むこともあるかもしれません。一般的な家族でも、子どもが大学に入って1人暮らしを始めるなど変化はありますよね。もしかしたら私だってしばらく1人で海外に行くこともあるでしょうし。そういう変化が許されてるからこそ、むしろ家族だといえるのかもしれません。この3人の関係を約束でギチギチに縛ってしまったらきっとしんどくなって、むしろやめたくなるかもしれない。

 

コロナで考えた「主体」と「従属」

ーーこれまでのお話を聞いて、百瀬さんと斎藤さんと金川さんの関係は、血のつながりや法的には関係なくとも自らの意思でお互いに支え合う家族を構成する「Chosen Family(=選ばれた家族)」のあり方に近いものだと感じていました。

たしかにそうかもしれません。連載を執筆している文芸誌『群像』のエッセイ「なめらかな人」(第二回)でも書いたのですが、最近では家族という既存のパッケージをあえて利用しながら、関係性を捉え直してみる実験もしているんです。たとえば金川さんと玲児くんがママで、私が彼らの娘という風に。私が家の中で本当に子供っぽい人間なので。ただ「ママと娘」だとあまりに役割が象徴的すぎるので、最近は「叔母と姪」くらいの距離感のほうが相応しいのではないか、という話にもなりました。試してみると、性別を超えた愛情のバリエーションはたくさんあることに気付かされます。私たちの関係性はいつも変化しているから、決まった役割があるわけじゃない。この世界にはたくさんの選択肢があり、いろんな家族のかたちがあっていいと思います。

ーー一方でコロナ禍になり給付金が世帯主である父親に振り込まれるなど、血縁を大事にした家族像が一層強調されてきたように感じています。この伝統的価値観の復権も気になるところです。

おっしゃる通りで、私がコロナで1番怖かったのはウイルスそのものよりも、それによってより旧来的な社会規範が強まるのではないかということでした。こういう非常事態に際して、国家が国民を管理するのはやはり戸籍だったり「イエ」だったりするということがつらかったです。

ーー血縁や婚姻からはみ出る関係性は家族として扱われず、否定されてしまいますからね。

婚外子として生まれ、一般的社会規範から外れた暮らしをしていると、普段は意識しませんが時々こういうときにチクッと疎外感を覚えてしまうことがあります。婚姻関係を認められない同性カップル、家に居場所がない子どもなども同じ気持ちをいだいていたかもしれません。さまざまな家族形態が存在している現代においても、国家が想定している家族のかたちは働くお父さん、家にいるお母さん、そして子どもたちがいることが幸せだとされる家族像なんですよね。

また、奇しくもコロナ禍のタイミングで、ポーランドでは人工妊娠中絶がほぼ全面禁止になるということも起きてしまった。伝統的価値観が復権し、国家が自分たちの身体までを管理しようとしていることにどう抵抗するかということは、映像作品《Flos Pavonis》に込めました。

《Flos Pavonis》(2021)。日本に住む女性アヤと、ポーランドに住む女性ナタリアの対話が描かれる30分の映像作品。移動を制限されているコロナ禍のなかで二人の対話からは国家が身体の自由を奪うことへの思いが語られる

ーー同作品は男女の非対称性についてもよく表れていて、男性に比べ女性がいかに性に対する自己決定権が認められていないかを考えさせるものでもありました。ほかにコロナ下で考えたことはありますか?

(前編で)アナキズムは社会と個人の間の契約をどう考えるかだという話をしましたが、 案外日本人は管理されたがっている人が多いということについても考えていました。「政府や自治体が外出を禁止したり、休業を強制したりできるようにする法律の改正が必要だ」と考えている人が世論調査で6割を超えた現状をみて、国の命令に従うということに抵抗がない人が多いことに驚きました。

ーーたしかにそれはガチガチに自由を制約されるということなんですけどね。世の中の多くが自分で考えるよりも命令に従っていた方が楽という思考になってしまったように感じました。

国家と個人の話で言うと、フランスの哲学者(ミシェル・)フーコーの「主体」概念が非常に面白いです。具体的に話すと、sujet (=subject)という言葉は主体という意味と従属するという意味があります。フーコーは「主体化とは従属化にほかならない」ということを言っているのですが、本人は主体的に選んだと思っていても、それを選択することが「正しい」と信じ込まされている社会であればそれは強制(従属化)されたこととも言えるかもしれないですよね。主体と従属という両義性が、国家と個人の間にはあると思います。

ーー自分が主体的に選び取ったと思っていたことは、実はその意識をもたせていた権力側への従属でもある。たとえば恋人をつくること、結婚すること、子どもを持つことなどもそうですよね。本来決して当たり前なことではないですし、それ以外の関係性を築いても否定されるべきものではないはず。百瀬さんは既存の関係性にとらわれずに主体的に拡張した家族をつくりましたが、家族を家族たらしめているものはなんだと思いますか?

精神的なつながりはもちろんありますが、やはり意識しやすいところでいうと時間と空間を共有しているということですかね。逆に言えばそんなゆるい条件でも、家族と名乗ってしまうくらいでいいんじゃないかということです。

 

ここは帰ってこれる居場所

ーー今回撮影場所として、3人が暮らす家をご指定いただきました。百瀬さんにとってこの家はどういう場所になるんでしょうか。

自分を整える場所であり、帰ってくる場所です。私は遊牧民みたいな暮らしにも憧れているんですけど、やはりベースキャンプみたいなものは必要だと思っています。 365日のうち半分は別の場所にいることだってこれから先にあるかもしれないけど、自分以外の人間が自由に過ごしている場所に帰ってきたい。それに、自分の思考や価値観を相対化できる場所でもあるんです。外でひとりになってあれこれ考えたところで思考は狭まるばかりで、たかが知れている。ですが、家に帰って二人とおしゃべりしていると、頭がもみほぐされる感覚があります。思考が広がり、いいアイデアが浮かんだりするので、対話できる人たちがいるのはありがたいなと思います。私たちが心地よくいるための関係性やライフスタイルを求めたら、結果としてこういう場所ができあがった。

ーー今に至るプロセスは百瀬さんとアーティストの遠藤麻衣さんの共同作品《Love Condition》にも通ずるものがありますね。

《Love Condition》は遠藤麻衣さんとおしゃべりをしながら、粘土で「理想の性器」をつくりあげるプロセスを映像化した作品です。結論ありきで話を進めるのではなく、さまざまなことに思考をジャンプさせながら粘土はこねられ、造形はどんどん変化していく。私たちの暮らしもまさに未来をこねるようにしてつくられたもので、常に変化する可能性に開かれていることが大切なのだと思います。

《Love Condition》(2020)。百瀬さんと遠藤さんが対話しながら、粘土で理想の性器をつくる映像作品。かたちは様々な性器のバリエーションを生み出していくのと同時に、粘土自身が二人の対話を可塑的に変化させていく場も生まれる

ーー百瀬さんは現在、国際芸術祭「あいち2022」(10月10日まで開催)にも参加しています。そしてこの冬からは十和田市現代美術館での展示も控えています。こちらはもう展示の構想はあるのでしょうか。

ずっと「声」にまつわる作品を多く扱ってきたのですが、今は少年のキャラクターを演じてきた女性の声優さんに興味があります。私たちはアニメの少年キャラをみて少年だと判断しますが、それはなぜなんだろう。声のテクスチャ―なのか、「僕」などの主語の問題なのか、単にビジュアルの問題なのか。曖昧なものによって、私たちはその声の主体の性別を認識してるのかもしれない。その着想から声だけのインスタレーションを考えています。また、父に出演してもらった《定点観測[父の場合]』も出品する予定です。私のなかでの父親に対する切実さみたいなものが込められた作品なので、ぜひそちらも見ていただきたいです。

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百瀬文 展

十和田市現代美術館で百瀬文の個展を開催決定。本展では、女性声優をテーマにした新作を発表。日本では、『新世紀エヴァンゲリオン』の碇シンジ(緒方恵美)や『ONE PIECE』のモンキー・D・ルフィ(田中真弓)など、女性声優がアニメ作品で少年役を演じることがよくあります。百瀬は女性声優が少年を声で演じる際の、声優自身の性とキャラクターの性の流動的な関係性に焦点をあて制作します。 今回のテーマとつながる過去の作品も出展予定。

会期:2022年12月10日(土)〜2023年6月4日(日)
会場:space(十和田市現代美術館サテライト会場)

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ARTIST

百瀬文

アーティスト

東京を拠点に活動するアーティスト。 2013年、武蔵野美術大学大学院造形研究科美術専攻油絵コース修了。 映像によって映像の構造を再考させる自己言及的な方法論を用いながら、他者とのコミュニケーションの複層性を扱う。近年は映像に映る身体の問題を扱いながら、セクシュアリティやジェンダーへの問いを深めている。主な個展に「I.C.A.N.S.E.E.Y.O.U」(EFAG East Factory Art Gallery、2020年)、「サンプルボイス」(横浜美術館アートギャラリー1、2014年)、主なグループ展に「フェミニズムズ/FEMINISMS」(金沢21世紀美術館、2021年)、「新・今日の作家展2021 日常の輪郭」(横浜市民ギャラリー、2021年)、「六本木クロッシング2016展:僕の身体、あなたの声」(森美術館、2016年)、「アーティスト・ファイル2015 隣の部屋—日本と韓国の作家たち」(国立新美術館、韓国国立現代美術館、2015-16年)など。

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