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2025.07.23
東京ミッドタウンの安田侃作品で心が形に包まれる / 連載「街中アート探訪記」Vol.42
Critic / Yutaka Tsukada
私たちの街にはアートがあふれている。駅の待ち合わせスポットとして、市役所の入り口に、パブリックアートと呼ばれる無料で誰もが観られる芸術作品が置かれている。
こうした作品を待ち合わせスポットにすることはあっても鑑賞したおぼえがない。美術館にある作品となんら違いはないはずなのに。一度正面から鑑賞して言葉にして味わってみたい。
今回訪れたのは六本木の東京ミッドタウンにある安田侃作品である。多くの人が行き交い、子どもたちが触れたりしている人気の作品。そこには多様な受け止め方を受け入れる安田作品の懐の深さがあった。
前回はJR山手線から見える「あれ」の正体を鑑賞!
六本木の地下に光が注ぎ込む
大北:東京ミッドタウンということですが、地下鉄から繋がってる通路上にあってアクセスはいつでもできる場所みたいですね。
塚田: ちょっとまた違う空間になってますね。
大北:きれいに光が当たってますね。

『意心帰』安田侃 @東京ミッドタウン
塚田:ここは建築とアートが一体化していて、天窓と床も同じ楕円形の形で石が敷き詰められています。特別な場所としての玄関という演出がされてるそうです。
大北:この作品前提なんですかね。
塚田:どうなんでしょうね。ただ東京ミッドタウンのパブリックアートをディレクションしたのは実績のある方たちなのでそういう考えもあったかもしれません。ちなみにどういう人たちかというと、パブリックアートのプロデュースなどを数々手がけてきた清水敏男さんと、90年代以降の美術の世界の流れに影響を与えた展覧会「大地の魔術師」展を企画したジャン=ユベール・マルタンさんです。
大北:よく人が通るここに置くなら、と考えられた作品ではあるでしょうね。

塚田:安田侃さんは1945年生まれ北海道出身の作家さんで、東京藝大で彫刻を学んで大学院を修了後、イタリアに行って現地の美術学校で彫刻の先生に学び、そのままイタリアでアトリエを構えて制作をしています。70年代から現在まで、キャリア初期からグローバルに活躍している方ですね。
大北:世界的なアーティストの日本人なんだ。
塚田:この『意心帰』という作品は他にもいくつかあって、北海道にもあるんです。1階にある『妙夢』もそうで、札幌駅のシンボルとして待ち合わせスポットにもなっている。この東京ミッドタウンの作品も休憩場所みたいになってて、たくさんの人がいますね。東京ミッドタウンには、お店やオフィスだけでなく住居もあるので、色んな方がここに来てるみたい。それにしても大人気だ。お子さんがずっと遊んでる。
大北:大人もずっといる。居心地がいいんでしょうね。中に子どもが入っていくパブリックアートってそんなに見ないですよね。よく触ってますし。

大理石が人肌のように
塚田:北海道の結核療養所の記念碑として作った『回生』という安田さんの作品の除幕式で、来た人が作品に頬を擦り付けて泣いたという話があります。安田さんは触れる彫刻とは謳ってないんですが、丸みがあったりもするんで、触りたくなったり、ふれることで何か別の経験を思い起こさせたりする特徴があることは知ってたんですが……そういう部分がこんなに発揮されてるとは知らなかったです。
大北:お子さんが中から出てこない。すごい愛着を持たれてますね。触れる前提でないけど、丸みを帯びてたりツルッとしてますし壊れたりもしない。いろんな要素が触れる条件に合致してますね。

塚田:実際に見ると柔らかそうなニュアンスもある。上のくぼみなんかフェティッシュをくすぐるようなところもありますね。触れてみると上の方は日光が当たってちょっと温かい。下はひんやり。安田さんがアトリエを構えているところも石の産地として有名なトスカーナのピエトラサンタなので、素材に対するこだわりは強い作家さんだと思います。
大北:じゃあ芸術の本場の大理石なんですね。美術の教科書に出てくる作品の続きにこれがあるとも言えるなあ。触ってみるとみんなが触る理由もよくわかりますね。これは触りたくなるなあ。
塚田:触るともう言葉を出す必要がないんじゃないかと大北さんも今思ってるんじゃないですか。
大北:なにか遊具を置くのに引けを取らないくらいアトラクションとして成立してますよ。この「触りたくなる」は大人も含めた普遍的な感覚じゃないですか。
塚田:僕もこんなに触ったの初めてです。面白いですね。

ミケランジェロの遺作から抽象へ
大北:安田侃さんはこういう石の作品が多いんですか?
塚田:石には限りませんけど丸みを帯びた作品が多いですね。イタリア具象彫刻を代表するペリクレ・ファッツィーニに学んだんですが、こういう抽象的な作風になったのは、イタリアでミケランジェロの『ロンダニーニのピエタ』っていう作品を見たことがきっかけと本人が語っています。
大北:ミケランジェロというと、筋肉ムキムキの彫刻ですか?
塚田:それが違うんですよ。ピエタっていうのは磔にされたキリストが抱きかかえられたシチュエーションを描いたものなんですけど。『ロンダニーニのピエタ』はミケランジェロにとって遺作となったピエタでもあります。
大北:ほう、ドラマチックな。
塚田:この作品は最晩年に腰も曲がり、目が見えなくなってきてもなお制作を続け、結局未完で終わっています。聖書にも登場するニコデモに扮したミケランジェロ自身がキリストを抱き抱えようとしていることから、まもなく終わろうとする自分の墓標のつもりで取り組んでたのではないかという解釈もされています。
大北:ええーっ。すごい作品ですね。
塚田:はい、未完で終わっちゃったから作り込みが十分でなく、結果的に抽象的なところがあるんです。

大北:へえ! 意図しない抽象彫刻なんですね。
塚田:そうなんです。人物もムキムキになってないし、これを見て安田さんは「精神だけが形に現われている」と感銘を受けて、抽象彫刻の方に行ったようです。
大北:執念みたいなのが見えるわけですよね。
塚田:安田さんの作品は、そうした精神性の具現化として捉えるのが良いと思います。イサムノグチも安田さんについて、いわゆる文脈的な「芸術のための芸術」ではない、「意識や人知を超えた内面から生まれる真実」を追求する作家だと語っています。
大北:ふむー、彫刻の歴史を知らなくても楽しめる作品ってことでもありそうですね。だからこそ大人にも子どもにも親しまれてるのか。

心を形に、形が心に
塚田:この意心帰も抽象的なものに形を与えるという、安田さんのテーマにおいてもど真ん中な作品と言えますね。
大北:抽象的なものに形?
塚田:人間って抽象的なものに対して形を求めるじゃないですか。安田さん自身の言葉を引用すると「愛する人に対して『あなたを愛しています』と言ったとき、『どれほど?』と聞かれた経験がある人はいませんか。愛には形がなく目には見えないため、不安に感じて思わず聞いてしまうわけです。これが『心は形を求める』」ということなんだそうです。
大北:なるほど、それは物体だったり、目で見たいなにかですよね。
塚田:「意心帰」とは造語ですが、ご本人の言葉によると「形は心を求め、心は形を求める」ということだそうです。心も形を求めるし、人は形を見て、心になんらかのことを感じる。「形と観念の相互の関係性」をものとして提示している作品と言えます。
大北:ああ、それはおもしろいですね。抽象的なものは形を求めるけどその逆もたしかに起こってる。何か形のあるもの見た思いを発生させてるし。その行き来が起こってるんだ。

安田侃の普遍性と懐の深さ
塚田:上のくぼみにもその辺りのことを感じるものがありますね、心情の微妙な、不定型な感じとか、明確な形になりそうでならない。
大北:たしかに。この作品に限らず、彫刻から何かみんな思いを持って帰ってるかもしれないですし。大きなテーマですね。
塚田:もちろんそうですね。今日みたいにしっかりと光が差し込んできてる日、曇りの日、日によって見え方も変わってくるでしょうし。
大北:私達は芸術作品に対して「作者の思いが込められた」って思いがちですけど、これはもう「みんなそれぞれなにか受け取るでしょ」って前提なんですね。
塚田:触れてもいいとすることで子どもにも好かれてるし、置かれる場所によっては人が涙するようなある種の墓標のようなものにもなったり。色んな受け止められ方ができることが作品の懐の広さを傍証しています。
大北:受け止められ方の多様さはたしかに作品の豊かさにもなりますね。
塚田:同じ立体物としてちょっと離れた比較になってしまいますが、例えば交通標識は進めだったら進めだし、止まれだったら止まれで、その意味しか生まれないじゃないですか。その対極にあるものと捉えると良いかもしれませんね。
大北:ははは、交通標識はたしかに一つしか言えない(笑)。なるほどなあ。いろいろ受け止められるというのは何にもメッセージを定めさせないっていうところでもありますよね。

穴を体感する
大北:穴があるのも特徴的ですね。入ったら気持ちよさそう。見るからに入りたくなるような高さにあって、もう50cm高かったら怖い。入ってくれ感があります。
塚田:その境目にあるのは台座の有無ですよね。台座があると実際の目線よりもちょっと高くなる可能性もあるし。あと台座があると「触っちゃいけない」感が出てきます。
大北:そうだ、これは台座がないんだ。今気づきました。
塚田:台座がないことで生まれる親しみやすさっていうのはあると思いますね。
大北:その辺に転がってたもの感がある。
塚田:そこまで放置されてるという感じもないですが(笑)。僕たちも作品に入ってみしょうか。
大北:そうか。いいんですね。

塚田:おお、楽しい。入ってみると穴がけっこう深いですね。
大北:意外と大人2人入れますね。エマニュエル・ムホーに続き、体験できるパブリックアートに。
塚田:朝早く来て一人で2、3分入っていたいですね。洞窟とか、胎内のようなイメージもあって瞑想的な気分が起こりそう。
大北:ああ、秘密基地みたいなものも思い出しますね。こんな贅沢なことはないな。
塚田:確かに。ちょっとの恥ずかしさを乗り越えるだけで貴重な体験ができる。
大北:これだけ大きな大理石は高価だろうし、高名な作家さんでもあるし。「入って損はないぞ」と言いたいですね(笑)。

彫刻における穴の問題
塚田:この作品にはくぼんだ穴がありますが、近代彫刻のなかで穴って面白いテーマでもあるんですね。そもそも彫刻って形を作るもので、量感を表現するもの。それに穴を開けるのは少しトリッキーじゃないですか。
大北:ドーンとするもの作るはずが。
塚田:穴開いたような作品を作る人は他にもいます。例えばヘンリー・ムーアとか。穴や内部があることによって、外と中が生まれ、両者に関係が生まれる。
大北:都庁のときの関根伸夫作品で出た話ですね。
塚田:そうです。内側をしめすことで、内部と外部という関係性だったり、その奥になんらかの解釈を呼び込む装置になっている。この作品に関しては、洞窟とか、子宮とかを連想させますよね。
大北:なるほど、穴を開けるとは内側を示す、とも言えますね。
塚田:作品と周りの環境の関わりを豊かにさせることができるので。現代の彫刻が切り拓いてきた領域の一つでもあります。
大北:なるほど、視点を中に持ってこられたり。
塚田:あるいは作品をフレームにして。地上に設置されている作品『妙夢』は穴から景色が見えたりしますよね。いずれにせよ穴、ヴォイドは安田作品の重要な要素になってます。

大北:いや、でも今回はコンセプトのおもしろさがスッとわかりました。コンセプトの狙いも伝え方も色んなことがうまくいってるんでしょうね。
塚田:それだけ一般性や普遍性があるテーマに取り組んでるってことでしょうね。
大北:あとこれは入った方がいいよって言えますね。「記事見たんだけどこうやって入るものらしいですよ」と言い訳しながら入ってほしいですね。パブリックってことですもんね。大人も子どもも。すごいなあ。

ユーモアの舞台を作る大北(左)と美術評論の塚田(右)でお送りしました
DOORS

大北栄人
ユーモアの舞台"明日のアー"主宰 / ライター
デイリーポータルZをはじめおもしろ系記事を書くライターとして活動し、2015年よりコントの舞台明日のアーを主宰する。団体名の「明日の」は現在はパブリックアートでもある『明日の神話』から。監督した映像作品でしたまちコメディ大賞2017グランプリを受賞。塚田とはパブリックアートをめぐる記事で知り合う。
DOORS

塚田優
評論家
評論家。1988年生まれ。アニメーション、イラストレーション、美術の領域を中心に執筆活動等を行う。共著に『グラフィックデザイン・ブックガイド 文字・イメージ・思考の探究のために』(グラフィック社、2022)など。 写真 / 若林亮二
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